むべやまかぜを
作家連や編集連。大井一矢が美人だと聞いた業界人の多くが、事実を確認しにイツキにやってくるのだ。あるいは、龍川もその手のクチか。
「……」
龍川は正直な若者である。黙り込んでいる。
「アネキ、空手やってっから、変なこと考えないほうが良いよ。下手したら奥歯折られるよ」
丸山花世は一応の警告をした。龍川の顔が僅かに引きつった。
「奥歯?」
「うん。前ね。アネキに襲い掛かった馬鹿がいて。それで、かかとで頬を蹴ったら奥歯が二本折れて、病院送りになった……」
「……本当なんですか?」
恐ろしい事実について店の主人は何も語らず、代わりに、瓶ビールと自家製のイカの塩辛が出てきた。
「人生、長く生きていればいろいろとあるでしょう」
女主人は穏やかに笑った。事実を肴にする酒はいつでもまずい。
「ま、いいや……」
丸山花世は適当に言った。若い作家は恐縮したようにカウンター席に着いた。
「……山田さんに聞いたんです。この店のこと」
若者は隠し事ができないタイプであるらしい。
「大井一矢。青のファルコネットの作者さんですよね? あと、トリエステ日記とか。丸山さんの親戚だって、僕、昨日山田さんに教えてもらったんです」
「あれ、たっつんに言わなかったっけ?」
丸山花世の言葉に龍川は黙って頷いた。
「アネキ、アネキって誰かと思っていたんだけど、まさか大井一矢だったとは……」
何という粗忽。
「それで、どうしても、どういう人なのか会ってみたいと思ってここまでやってきたんだ。バイトも早く上がったし。山田さんがすごい美人だって言うし……」
若者は本当に素直である。あまりにも素直な若者はそのせいで自滅する。
「丸山さんは……あんまり大井さんとは似ていないね。親戚……なんでしょう?」」
「あんた、喧嘩売ってんの?」
丸山花世はブラウスの下に手を突っ込んで腹の辺りを掻きながら言った。そしてそこで龍川は自分が失言をしたことを理解した。
「あ、いや、丸山さんが不細工だというわけではなくて……」
丸山花世は渋い顔になり、女主人は涼しげに笑った。
「あー、もういいよ。フォローは。見苦しくなるだけだから」
少女は言い、恐縮したガテン作家はうなだれている。
「まあ、とにかくどうぞ」