むべやまかぜを
「美人だしなあ」
どうも、伊澤は美人が好きなようである。そして、美人が好きな伊澤は思い出したようにして続ける。
「……あのさ、一矢さんって独身なの?」
「そいつについては言及を避けるようにとアネキから厳命されてます」
少女は事実を語った。伊澤は愉快そうに笑った。
「そうか。ふーん。私生活もまたミステリアスか。そうだよなあ」
どんな業界でもそうだが長く仕事が続く人間は基本的に陽性。
そして。物書きヤクザが伊澤と話しをしていると、会議室に二人目の命知らずが入ってくることになった。
「どうも」
背の高い眼鏡の男。チノパンにカラーシャツ、灰色っぽい青のジャケットをつけた男が持っているのはタブロイドのスポーツ紙のみ。それ以外に荷物は見当たらない。傘すら持っていないのだ。これから重馬場の大井競馬場にでも行くような風情のそやつは見たところ、二十代半ば、といったところか。
「お、来たな……」
信金男はそのようにして言った。どうも伊澤とやってきたばかりのタブロイドの眼鏡は顔見知りであるらしい。
「ああ、なんだ、伊澤さんもいたのか。ご苦労なこって」
眼鏡の男は軽い口調で口笛を吹くようにしてそう言った。そして丸山花世が何かを言う前に編集殿がささやいた。
「あれは蔡円さん。うちでもいろいろと作品を出してもらってます」
「蔡? 中国人……じゃないよね?」
少女は尋ね、岡島は言った。
「ペンネームですよ。本名は山田直樹さん……」
岡島の言葉を蔡円はきちんと聞いている。なかなかの地獄耳であるらしい。
「実家が菜園をやってるから蔡円。まあ、あんまり意味のあるペンネームではないよね」
眼鏡の男は言い、それから丸山花世のほうに視線を落とした。
「ええと、新しい編集のアルバイトさん?」
「いや。この子もうちらと同じくちだってさ」
伊澤が言った。少女は自分で自分を紹介する必要もないと見える。
「え? エロ屋なの? 君が?」
タブロイドの眼鏡男は目を丸くしている。
「大丈夫なの? 倫理的に……」
「倫理的には知らないけれど、大井一矢さんのところの子らしいから、能力的には大丈夫なんじゃないのかな?」
伊澤が言い、そこで山田というありきたりな名前の男は頷いた。