一千の夜と
2章 ようやく逢えた
「志野っ!!」
管理長室に入った志野を出迎えたのは、抱擁だった。聞きなれない声で名前を呼ばれて、気づいた時には誰かの腕の中にいた。
見えるのは肌触りのいい服を着た誰かの肩と、そして黒い髪だけ。
肩越しに見える職員や管理長たちはなんかやたらと温かい目でこちらを見たり、目元を拭ったりしている。
「え?ちょっ、なんなの……」
思わず呟いた志野の呟きを聞いて、抱きしめていた人物はようやく志野を放してくれた。
「ごめんね。――迎えに来たよ、志野」
放してくれたけど、両手で肩を掴んだままそういって微笑んだのは、黒髪の青年だった。
「――お兄さん?」
行動と言動から考えて、多分この人がそうなんだと行き当たる。首をかしげながらもそう聞いてみると、目の前の人は苦笑しながらも頷いてくれた。
「元木一千夜(もときいちや)です。志野の正真正銘の兄です」
兄弟って似てるもんじゃなかったのかな。と思いながら志野はようやく体の離れた兄をまじまじと見た。
なんだか目が潤んでいる管理長に促されて、応接室に移動する。
管理長と担任が並んで座った事もあり、志野は必然的に一千夜と名乗った兄と並んで座る事になった。
「はい、この度はおめでとうございます。先ほども申しました通り、無事確定いたしました」
管理長が笑いながらぱちぱちと小さく手を叩いた。
「ホント、よかった」
隣では一千夜が安心したように俯いた。
「さて、志野君。君には二つの選択肢があります。本木さんは君を引き取る事を希望しています」
まぁそうだろう。引き取ろうと子供を捜しているのだから。
けれども志野の胸に一抹の不安が過ぎる。
結構あるのだ、で戻ってきてしまったり、本人を確認した途端、引取りを拒否される例が。
擬似子宮の弊害はからだの外側から中まで、多岐に及ぶ。それを引き取り手の家族が受け入れる事が出来るかどうか。勿論子供本人に会わせる前に家族は子供の体の説明とカウンセリングを何回も行なう。そこで頷いても、子供を目の前にして、子供と一緒に暮らして、体感した後に拒否反応を起こす場合も多い。
志野の場合、毛髪の色素の脱落と若干の生育不良・虚弱だけではあったが、受け入れてもらえるかどうか不安だった。実際は目も色素の脱落と思われていたが、どうやら一千夜の目の色と全く同じ色なので、遺伝らしい。
「勿論君の意思で元木さんの元に行くか、ここに残るか選択できる。その選択に我々は異論を唱える事はしないし、出来ない」
言葉を噛み締めるように管理長が書類を差し出した。
「――一週間考えてみてとは言ったけれど、勿論人生の大事な選択だ。今すぐにとは言わないよ。君が納得いくまで考えて構わない。元木さんとよく話し合って見るといい」
担任が管理長の言葉尻を取って、そう説明してくれた。
なるほど結論は急がないというわけか、と志野は手元の資料に目を通しながらぼんやりと考える。
どうしようかな、と声無く呟いたはずなのに、隣に座っていた一千夜が体ごと志野に向き直る。
「もし志野がいいんだったら、色々と説明したい事もあるし。兄である自分の人となりも知って欲しいし。もし良ければ、来週からの年末年始の長期休暇、うちに来ないかな?」
ただこちらを見つめて、ついでになんか手を取られて真摯にそう伝えてくれる一千夜の目は、嘘をついていないように見えた。親が自分を引き取らなかったのに、どうしてこの兄という人は自分を引き取ろうとしてくれるのだろうと、志野は不思議に思う。
不思議に思って首をかしげていた志野を、回答に困っていると判断したのか管理長が相槌を打ってくる。
「それはいい案だね」
じっくりと考えるといい。
その声を合図にはらりとすこしひんやりとした手が去っていく。名残惜しげに手を伸ばそうとしてしまって志野は自分の行動に驚いた。
その動作を誤魔化そうと、志野は膝に置いたままだった先ほど管理長から貰った書類に目を落とした。
ぺらぺらとめくると、これから外に出るのかもしれないのに、眉を顰めるような事例が載っていた。
曰く4世代目以降、乳児の時点で親元に帰されてもその後特別支援校に出戻ってくる子供も多い。
出生する子供の数を増やす事には成功したものの、まだまだ擬似子宮には問題が山積みだ。その点もきちんと説明されて、兄弟二人で顔を顰める。念には念を、釘を打っておくとかそういう規約なんだろうけど、ちょっとそれを聞いて、ほんわかした空気が一気に緊迫する。
そんななか今日はこれまで、と管理長が促すと、皆でぞろぞろ管理長室を出た。
「あの、この後志野とちょっと話したいんですけど、いいですか?」
一千夜が担任にそう申し出ると、担任はどうする?と志野に聞いてくる。
少し逡巡した志野は、それでも頷いた。
「門限は6時までですからそれまでに帰してあげて下さいね」
時計を見ればまだ11時だ。
担任はそのまま一緒に校門まで行き手続きをすると、志野に外出用の携帯電話を渡してくれた。
そのまま一千夜についていくまま校門を出ると、メタリックグレイの車に乗せられる。
車に乗り込んで二人きりになると、一千夜はようやくふう、とため息をついた。
「話には聞いてたけど、まどろっこしいんだな。特別育成校って」
苦笑しながらエンジンをかけると、車はゆっくりと発車する。
「まぁそうですよね。僕ら滅多にこの外に出ませんし」
だからこそ、外に出る時は携帯電話の貸与がなされる。お小遣いはそれなりに支給されるし、欲しい物はネットと敷地内にあるショッピングモールで成り立つのだ。
「そうなんだ」
「移動するときは大体皆でバスだから。こういった乗用車に乗れるの、実はちょっとわくわくしてます」
志野だって一応れっきとした少年なのである。車やバイクは素直にカッコいいと思うけれど、如何せん学校の中じゃ触れ合う機会は全く無い。はるか校門の外の職員用のこの駐車場を眺めるくらいだ。
「そっか。じゃあちょっとどっかドライブにでも行こうか」
一千夜が楽しそうな声でそう告げると、なんだか志野まで楽しくなった。