使用人一族の娘
そして、その人は、――私の姿を見た瞬間、その場にいた全員が驚くほど、素っ頓狂な声をあげた。
「あ、あんた……!」
その人――もとい、周也坊ちゃんだと思われる方は、あまり大きくはない目をこれでもかというほどに見開き、驚きに震える手で私を指差した。まさか高見沢家の坊ちゃんが指を指すという行為を日常的に行っているとは考えにくいから、それを考慮する余裕がないほどに驚いているのだということが分かる。
「坊ちゃん、繭がどうかしましたか」
自分の後ろで打ち震えている坊ちゃんを不思議に思ったのか、微かに怪訝そうな顔を浮かべて春江さんが坊ちゃんに問いかけた。しかし、坊ちゃんがそれに対して言葉を返すことはなく、「そんな」とか「うそだろう」とか、独り言を吐きながら尚も目を見開いていた。
一方で私は、春江さんにものすごく不機嫌そうな目で睨まれながら、――いや不機嫌になりたいのは寧ろこっちですよ、という混乱に身を落としていた。
(……なんで私は初対面の人間にこんな驚かれないといけないのかな)
そう、初対面なのだ。私と周也坊ちゃんは。だいたい周也坊ちゃんの名前を知ったのだってついさっきだというのに、何故こんなにまで驚愕されなければいけないのか全く分からない。仕える側として、強い態度で臨む気にはなれなかったが、だからといって全く不快にならないわけではないのだ。
中途半端に捻っていた体をまるっと坊ちゃんの方に向ける。ついでに「もしかして誰かに似てるとかですか」とでも問いかければ少しは話が進むだろうか、と考えながら、それを実行すべく口を開いた、が。
「あんた、……文化祭実行委員の!」
――という、坊ちゃんの言葉に阻まれた。
「……え?」
ぶんかさいじっこういいん、と今しがた坊ちゃんの口から出た言葉を脳内で繰り返す。ただの音声だったその言葉に適切な漢字を割り振り、その言葉が意図するものを探り当てるために脳細胞をフル稼働させる。
その結果、行き当たった言葉は――文化祭実行委員。
「……えぇ?」
我ながら間抜けな声が出た、と思った。しかし、目の前に立つ周也坊ちゃんは未だ驚きが萎えた様子もなく、言葉にならない言葉を口から漏らしている。つまるところ、唸っている。
(ちょっと。ちょっと待ってよ)
私は、基本的に、話をしない男子の名前も顔も覚えない。興味がないからだ。必要があれば覚えるが、必要がなければ視界にも入れない。同い年の友人たちからはこぞって変わっていると言われるが、そういう性分なので仕方ないだろう。
それから、今日の帰りのホームルームで、私は不運にも文化祭実行委員になった。担任教師による独断といってもいいような方法で決められたそれは、当然私の意志によるものではない。更に、その時私と一緒に文化祭実行委員になってしまった不運な人物がもう一人存在し、そしてその人物は私の友人たちから「不良のようだ」と言われていて――。
ぐるりと巡った脳内邂逅。そしてはじき出した結論は、私自身、坊ちゃんと同じように心の底から驚きたくなるようなものだった。
「……まさか、『シューヤ君』?」
うっかり指を指しそうになってしまった手を意思の力で引っ込めて、私は坊ちゃん同様に目を見開きながら立ち尽くしているその人を見た。私がまさかという思いを込めてそう言えば、坊ちゃんは「やっぱり」と力なく呟いた。
坊ちゃんがそう言うってことは、つまり、坊ちゃんは『シューヤ君』なのだ。
「あら、同じクラスなの?」
お互いに目を見張る私たちを見て、初子さまが少しばかり驚きを含んだ声で言った。しかし、私たちはお互いに驚くばかりでそれに返答することさえ出来なかった。代わりに「そのようですね」と春江さんが答えてくれたが、それでも尚私は驚きから自分を解放することが出来ないでいた。
――だって。だってこれは、いったいどういうことだ。
坊ちゃんの名前を知ったのは今日。同じ高校だと知ったのも今日。ここまでは、いい。かなり驚いた事実ではあったにせよ、「そうだったんだぁ」と頷いてしまえばそれで済むからだ。
そして、坊ちゃんと私が同じクラスだったというのも、まぁかなり驚きの事実ではあるのだが、一学年に三クラスずつしかない以上その可能性はかなり高いだろうから、「びっくりしたねぇ」くらいで済ますことが出来る。なんせ私は男子の顔と名前を覚えない常習犯だから、同じクラスでも初対面ばりの対応をすることなんて日常茶飯事だ。
しかし、私は『シューヤ君』の顔を知っているのだ。自分と関わりのない男子の顔は覚えないということは、裏を返せば関わりがあれば忘れないということ。つまり、不本意だろうとなんだろうと、文化祭実行委員として関わりをもってしまった『シューヤ君』の顔を忘れるわけがないのだ。たとえ彼が、不良としか形容しようがない格好をしていたとしても。
(……そうだよ。『シューヤ君』は不良みたいな格好してる男子だったんだよ。だから周也坊ちゃんと『シューヤ君』が同じ名前でも絶対二人を結びつけたりなんかしなかったのに)
周也と、シューヤ。音は同じだが、私が脳内でその二人を結びつけることは絶対になかった。
というより、結び付けようがなかったのだ。
「……高見沢、周也、さま?」
「それ、は、うん。僕です」
僕? 僕だと? さっき学校で君が使っていた一人称は確かに「俺」だったはずだろうが! いつどの瞬間からそんな一人称を使うようになったんだ!
そう、今この場に立っている『高見沢周也さま』は、若干長いがまっすぐな黒髪に、几帳面そうな黒ぶちのめがねと糊のきいたシャツを身に付け、当然のようにシャツのボタンは全てきっちりと閉められており、ついでにズボンの裾は決して踏んでしまわないような絶妙な長さに調節されていて、――つまり、一言で言うと、ものすごく「優等生」のような格好をしていたのだ。
私が見た『シューヤ君』は、確かに不良としか言いようがない格好をしていた。しかし、今目の前にいる『周也坊ちゃん』は、優等生としか言いようがない格好をしている。しかもそれが同一人物だというのだから、私はもういったいどうすればいいのか分からない。
「なあに、元々お友達だったのかしら」
ころころと楽しそうに笑う初子さまの言葉に、動揺を通り越して呆気に取られていた私はようやく自分の居る場所を思い出した。見れば、春江さんも俊也さまも、驚いたように私たち二人を見詰めている。
「いえ、そんな、お友達では――……」
お友達どころか今日お互いを知ったような仲ですよ、と本当のことを言おうと苦笑いを浮かべながら口を開く。少しばかり期待している様子の初子さまには申し訳ないが、元々私たちは友達でもなんでもない。……はず、なのだが。
「はい、そうなんですよお婆さま! 僕も一条さんがまさか一条家の一条さんだとは思っていなかったんですが、僕たち同じクラスの友達なんです!」
そんなことをのたまって下さったのは、勿論、未だ膝をついたままの春江さんの後ろに立っている、周也坊ちゃんだ。
(……はい?)
いつから私たちは友達になったんだ。思わず怪訝な表情を浮かべてしまい、それをそのまま坊ちゃんへと向けた、が。
「ね、一条さん!」