使用人一族の娘
シューヤくんと呼ばれた彼の不良っぽい格好を見て、とてもじゃないが「一緒に文化祭実行委員をがんばってくれそうだ」とは思えない。ただでさえ高見沢家の使用人として忙しくなるというのに、その片割れが不良とはなんたる不幸だ。担任のばかやろう。
ホームルームを終えてざわつく教室の中、友人が私を励ますかのように優しく肩を叩いた。しかし、その友人が文化祭実行委員を代わってくれることはないと分かっている私は、友人の励ましを受けても、机に突っ伏した顔をあげることが出来なかった。
案の定、母さんは怒っていた。ただ、時間には間に合っていたので、制裁とかそういうことはなかった。いつもより帰りが遅いことに怒っているのは明白だったので、たまたまホームルームが長引いてしまったんだと言って何とか母さんを宥めた。
「なにも今日に限って文化祭実行委員なんて決めなくていいのに」
ぶつぶつと呟く母さんのその言葉がどれ程自分本位(というか一条家本位)なのか、多分母さんは自覚してないだろう。しかし、私もまったく同じように思っていたので突っ込みはしなかった。よりによって今日じゃなければ、私が実行委員になんてなるはずなかったのに。思い出してまた凹んだ。
「とにかく、早く行くよ! 約束の時間まであと三十分しかないんだから」
クリーニング屋から戻ってきたままの状態の使用人服をもって、慌しげに家を出る母さんの後に続く。高見沢家は一条家から歩いて十分程度のところにあるお屋敷だから、使用人服を着ていってもそこまで人の目につくことはないだろうが、「初日だから、汚れると困るでしょ」という母さんの言葉に従って屋敷に着いてから着替えることにした。
僅かに早い歩調で進むうちに、高見沢家の屋敷が見えてくる。十六歳になるまでは中に入ることさえ出来ないから、壁の中がどうなっているのかが分からない。しかし、「いったい何を阻んでるんですか?」と聞きたくなるような壁の高さや、それが何処までも続くほどの敷地の広さを思えば、中身もそれ相応に立派なのだろうということは簡単に想像がつく。
「ねえ、母さん」
「なに?」
少しだけ早い歩調を緩めることなく、しかし会話には不都合のないそのスピードを保ったまま、私は母さんに話しかけた。
「坊ちゃんって、どんな方?」
私が専属でつくことになるらしい、高見沢家の次男。長男である優也さまには、私の兄・譲が執事としてついている。高見沢家には他に長女がいらっしゃるそうだが、基本的に専属の使用人がつくのは男子だけらしい。変なしきたりだ。
「そうね、とても物静かで、まじめな方よ。なんていうか、物憂げな感じ。優也さまとは違った意味でまじめな方ね」
「ふうん……」
高見沢家命な母さんが「物憂げ」と称するということは、おそらく坊ちゃんは――根暗な方なのだろう、と思う。高見沢家の人間を悪く言うことが出来ない母さんは、出来る限り良い言葉で高見沢家の方を表そうとするから、兄さんが初めて優也さまのお傍にあがった時なんかも兄さんが苦笑いを浮かべていた。「母さんが、優也さまはすごくまじめな方よって言うから、どんだけまじめなんだろうと思ってたんだけどね。優也さまはまじめなんじゃなくて、勉強おたくなんだよ。勉強がすきで仕方ないんだ」と、十六歳になったばかりの兄が言っていたのをよく覚えている。
まあ、根暗なら根暗で、付き合うのはそう難しいことではない。あまり言葉数が多くないということだろうから、会話をしなくていい分、楽だ。使用人の義務は主人の世話であって、仲良くお話することではないのだから。
「さ、着いた」
母さんがぴたりと足を止める。私も、それに倣うように足を止め、目の前に佇む門を見上げた。
「でかっ……!」
視線だけでは追いつかず、首を使って見上げなければいけないほどの高さをもったその門は、むしろ「門」と呼んでいいのか戸惑うほどにでかい。
「なにこれ……なんでこんなにでかいの……」
「門くらいで驚いてたらきりないわよ。ほら、おいで」
そう言って私の手を引っ張る母さんに連れられ、私三人分くらいはありそうな高さを誇る門を潜った。そして私は、その時母さんが言った「門くらいで驚いていたらきりがない」という言葉を、門をくぐって早々に実感した。
(なに、この家)
でかい。広い。一般家庭の標準サイズをことごとく二倍から四倍にすると、ようやくこの家に近付くだろう。庭も柱も欄間も部屋も、とにかく片っ端からでかくて広かった。
(これが高見沢家か……)
先祖同士でいったいどんなやり取りがあると主従関係が成立するんだろうと不思議に思っていたのだが、これだけ富裕の差があれば何かしらの取引が成立していてもおかしくない。初めて見る高見沢家の財力に、私は思わずごくりと喉を鳴らした。
つい昨日までなんとかなるだろうなんて思っていたけど。――これ、本当になんとかなるの?
今更ながら押し寄せてきた不安。しかし、今や私はその本拠地である高見沢家の中にいるのだ。あまりにも今更すぎて、打てる手立てが何もない。
私は、母さんに押し込められた部屋で手早く使用人服に着替えた。当然ながらメイド服ではない。だいたいあんな格好で給仕が出来るわけがないだろう、とメイド喫茶の写真を見るたびに思っていた。そんな私の使用人服は、純和風の屋敷に相応しい着物だ。そもそも洋風でさえない。
ものすごく今更ながら、心臓がばくばくと音をたてる。そんな私に反して、昨日大騒ぎしていたはずの母さんはすっかり仕事モードに入ったのか、昨日の動揺は何処へやら、表情をきりっと正して私の服を整えていた。母親ではなく、高見沢家の使用人としての顔なのだろう。
「母さん」
「母さんって呼ばない」
「……春江さん」
「どうしたの、繭さん」
昨晩の母とのやり取りを思い出してとりあえず訂正したが、自分の母をさん付けで呼ぶって思いのほか違和感がある。母にさん付けで呼ばれるのもまたしかり。
「今更だけど、緊張してきた」
「なるようになるわよ。はい、できた」
本当に昨晩の心配は何処にいったんだと聞きたくなるような潔さで、母さんこと春江さんは私の両肩をぽんと叩いた。着付けが終わったという合図なのだろう。壁にかけられた時計を見れば、約束の時間まであとわずか七分しかない。
どうにかなる、なるようになると言っていたのは私のはずだったのに。昨晩とすっかり立場が逆転してしまっている。私は、少しばかりきりきりと痛む胃をおさえながら、すっくと背筋を伸ばして立つ母さんの顔を見上げた。その表情に迷いはない。
(……腹、括るかぁ)
どうあがいてもそれしか選択肢がなさそうな状況であることだし。母さんに聞こえないよう小さく息を吐きながら、私は片手をついてその場に立ち上がった。どうせ逃げられないのなら、早いうちに覚悟してしまった方が後々楽に違いない。
「行くよ」
母さんの声に従い、部屋を出る。当然、子供ではないので、手をひかれるようなことはない。
(そうだ、私はもう十六歳になったんだから。子供じゃないんだ。こんなことで緊張なんかしてられない。私だって一条家の娘なんだから――)