使用人一族の娘
「文化祭実行委員を決めないといけないんだよ」
面倒そうに言う担任が、手元のプリントを見ながら息を吐く。本当に面倒だと思っていてもそれは生徒の前で出していい態度ではないと思うが、半年以上の付き合いで担任がどういう性格なのかすっかり把握しているため、誰一人としてそれを咎める生徒はいない。私も当然それを咎めたりなどすることなく、誰でもいいから挙手してくれないかな、と思いながら窓の外を見た。
「文化祭実行委員は結構忙しいから、できれば部活も委員会もやってない奴がいいんだけどなあ」
窓の外を見ながら聞こえてきた担任の言葉に、思わずぎくりとした。僅かに視線を教壇へと向ければ、不運なことに担任と目があってしまった。
「そうだ、一条どうだ。たしか委員会も部活もやってないだろ?」
「やってませんけど、バイトがあるんで無理です」
担任の推薦に対してきっぱり即答を返すと、担任は「学校行事よりバイト優先すんなよ……」とぶつぶつ言いながら引き下がってくれた。バイトを容認する学校でよかった。高見沢家の使用人になることについて、学校側にはバイトと通すことにしている。私と同じ高校出身の兄さんも高校時代にそうやって通したそうなので、大きな問題はないだろう。
「えー、他に委員会も部活もやってない奴なんかいたっけっか。自薦他薦なんでもいいぞ。はい、挙手してー」
いかにも気だるげな担任の言葉に、クラス全体が苦笑する。しかし、部活や委員会に所属していない方が珍しいのだ。担任の希望むなしく、手が挙がることはなかった。
「弱ったなぁ、クラスで一人以上出さないといけないんだよ。じゃあ多少忙しくなること覚悟で誰かやってくれない?」
はい、挙手ー、という気だるげな声で自薦を募るが、忙しくなること覚悟と言われて手を挙げてくれる猛者はそうそういないと思いますけど、と表情で訴えるクラスメイトたちから立候補が出るはずもなく、担任は再度「弱ったなぁ」と呟いた。
私も、担任と同じように内心で「弱ったな」と呟いた。それは、担任の言う「弱ったな」よりも、ずっと焦りを伴った「弱ったな」だった。
教壇の上にかけられた時計を見れば、既にいつもより十五分ほどホームルーム終了時刻をオーバーしている。十五分程度、いつもなら文句を言うような時間ではないが、今日だけは別だ。
(……まずい。母さんが怒る)
なんてったって今日は、私が高見沢家の使用人として迎える初めての日なのだから。
昨晩から、高見沢家の現当主である俊也さまとそのお母様である初子さまに私を紹介するのだと母さんがものすごく息巻いていた。基本的に物凄く忙しいらしいそのお二方が私のために時間を割いて下さるのだから、母が息巻くのも当然として理解できるのだが、その主賓である私が遅刻するわけにはいかない。そんなことをしたら、初日から顰蹙を買うばかりではなく、母さんからの怒りの制裁が下ることは目に見えている。
(……それはちょっと面倒だな)
想像して、思わず背筋がぞくりとするくらいには面倒くさい。文化祭実行委員を決める程度のことで、長く続くであろう高見沢家使用人としての生活を面倒なものにするのはごめんだった。
「……先生、すみません」
「あの、すみません」
私用事があるんで先に帰ってもいいですか、と言おうとして、手を挙げた矢先。
「え?」
「……あ」
私の席のすぐ後ろの左隣に座っていた、……名前、なんだっけ、忘れた。とにかく、彼も私と同様に手を挙げていた。
「お、なんだ、一条やっぱりやってくれるのか。いやぁ助かるなぁ。シューヤも。二人もいればいくらか楽になるはずだから。じゃ、文化祭実行委員は一条とシューヤで決まりな」
同じ瞬間に手を挙げてしまったことに驚いて呆ける私と彼をよそに、担任はさくさくさくっと手元のプリントに名前を書いて話を終えてしまった。って、え、ちょっと担任。
「いや、先生、ちょっと、」
「俺べつにそんな、」
じゃあ解散ー、と言う担任を制止するための言葉も、また同時。そっくりかぶってしまった言葉に驚いて彼を見れば、彼も驚いたのか目を見開いて私を見ている。
そしてその間に――手元に私と彼の名前を書いてしまったらしいプリントを持った担任は、さくさくと教室を出て行ってしまった。
……おいこら担任。
「災難だったね、繭」
そう言って私の肩を叩く友人が、テニス部の大会で忙しいことを私は知っている。その隣で苦笑いをしている友人も、放送委員として何かと忙しい。他の友人も、同様に何かと忙しい事情があることを、困ったことに私は把握してしまっている。
誰にも頼めないじゃないのさ。
本当に災難としか言いようがない事態に、私は大きくため息を吐いた。
「家の仕事もあるのに、大変だねー……。しかも、シューヤくんと一緒なんてよけいに大変じゃん。がんばれ、繭」
「がんばりたくない」
「まあ、そう言わずに」
盛大に肩を落とす私を励ます友人の傍らで、私はもう一度大きく息を吐き――吐きながら、友人の言葉を頭の中で繰り返した。
(ん? シューヤくんと一緒だから大変? なにが?)
なんだか気にかかる一言があったような、なかったような。
「……シューヤくんがなに? ていうか誰だっけ」
「誰ってあんた……同じクラスでしょ……」
「クラスの男子は話したことなければ名前知らないよ。覚えてない」
「……あっそ」
友人の呆れたような目線が痛いが、だって興味ないんだもんとしか言いようがない。
「って言っても、私もシューヤくんのこと殆ど知らないけどさ。でもシューヤくんってどう見ても不良じゃん。怖そう」
「……え、」
もう一度、私の席のすぐ後ろの左隣に目をやる。先ほど言った通り、私はたとえ同じクラスだろうと話をしない限りその人の名前も見た目も覚えようとしない。だから、シューヤくんと呼ばれていた彼のことも、はっきり言って申し訳ないくらい何も知らなかった。
(……なるほど、不良だ)
見た目だけで不良と断定してしまうのはどうかと思うが、たしかに彼の見た目は「不良」だった。髪の色こそ黒だが、ワックスで見事に固められた髪に清潔さは見られない。持ち上げられた髪の間から覗く耳にはいくつものピアスが連なり、見ていて「痛くないの?」と問いかけたくなってくる数だ。ネクタイは当然のようにつけておらず、シャツのボタンは全開で、中に着ている黒いTシャツには派手な刺繍とラメでドクロが描かれている。首元と指にはいくつものシルバーアクセサリーがつけられていて、正直なところ私には邪魔そうにしか見えない。制服ズボンは当然のごとく腰パンで、上履きはかかとが履き潰されている。全体的に、典型的な不良学生っぽい格好だ。
私は基本的に、クラスの男子が不良っぽい格好をしていようとオタクっぽい格好をしていようと、「本人がよければそれでいいんじゃない?」と思っている。たとえ他の女子が「あいつダサいよね」とヒソヒソ話していようと、私は大して気にならない。それが自分に関係ない人間なら尚更だ。
しかしそれは、あくまでも「自分に関係ない人間なら」という条件がついて初めてそういう思想に辿り着くわけで。
「……やっぱり私がんばりたくない……」