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定義

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機械の定義



 裏切りというものは強すぎて熱すぎる光のようなものだと彼女は感じた。裏切りの光によって切り裂かれた後、その傷にはどうしようもなく重くて硬くて冷たい或る物質がまとわりついて、複雑に気まぐれに傷を啜り続けるのだった。あの娘が私の悪口を言うなんて。親友だと信じてたのに。その友人と初めて会ったときの互いに硬直した物質的なやり取りや、その友人とともに買い物に行った帰りの夕陽に友情の生育する結合色を見てとったこと、その友人の物理的に存在していないかのように思えるほど彼女の内部を潤す眼差し、それらすべてが、今彼女の全存在が圧縮されている前線に、一瞬間として、さざめき煌めき白んでいった。
 彼女はCDをセットすると、シューマンの交響曲第一番をかけた。音楽の旋律と和音は、湿って泡立ち内向することにより彼女の代わりに悲しみまた苦しみ、紛糾しひらめき構成することにより彼女の代わりに苦悩しまた模索し、発現し運動し外向することにより彼女の代わりに起ち上がりまた行動した。音楽は彼女の感情と思考と行動とを代理したので、彼女はもはや人間ではなかった。彼女はもはや感情も思考も行動も持たない一個の機械として、平和と静止と諦念の中であらゆる無機物に対して開かれていった。

 友人の運転する車に乗って、会話と沈黙と風景と振動にまみれながら、海へと向かう一時間半の道程を、海と、その周辺の港や町や道路や灯台の抽象化された観念とを交錯させながら、初めて進水する船のような面持で、消化しきれない疲労や期待や発見を黙認しながら進んで行った。
 海の表面の微細な角の立ち方が膨大に移ろっていき、行く波と返す波が微細にぶつかり合い宥め合い、あと一つのところで音楽になり損ねていた。それが、私の諸観念の傾きを涼しく整序し、私の未知のものへの怒りを包むように相殺し、私の感情に貼り付いたゆがんだ突起を砕いていった。私は、自分の視界がこの海全体を覆えるほど広かったらよかったのに、自分の視力が海の粒子のあらゆる機微をとらえ尽くせるほど強かったらよかったのに、と思った。
 なめらかな砂浜には、流木や網や貝などが打ち上げられていた。その中に一個の機械があった。何かの電子機器の一部のようだった。私は記念にとそれを持ち帰った。
 その機械が私の机の隅の方に飾られてある。この機械は、かつてどんな言葉を探して他の機械に結合したのか、どんな仕草の中にその自我と機能との矛盾を表現していたのか、どんな悲しみをあえて舐め尽くして自壊を思いとどまったのか。機械は私の現在に幾重にも重なっていき、それぞれの層が私の閉ざされた思考や感情の殻を溶解していくようだった。私は機械を握りしめた。その硬さを確かめた上、窓を開けて外に思い切り投げた。どこまでも遠く飛んでいって欲しかったが、結構な近場の茂みに落ちた。

作品名:定義 作家名:Beamte