山行記
5月3日 はれのち雨
<鹿島槍北壁主稜>
雨はあがっているがしっくりとこない天気である。午後はまた雨になるというので東谷奥壁はとりやめとなり、竹田・山下・中島・岡田は北壁主稜へ、奥西・吉永・秋山も同じく北壁(キレット尾根)、野沢・杉田・伊藤は東谷奥壁へ向けて出発した。
我々のグループは遠くの山々を望見し、撮影しながらゆっくりしたペースで歩を進めて行った。雲におおわれていた剣岳が次第にその様相を露わにしてくる。懐かしい小窓が、そして主峰が、青い空にその輪郭を呈するまでじっと佇んで見ていると、山へ来てよかった、これからもずっと続けていよう、という気持ちにさせられる。雪と空そして草付き地帯とのコントラストが遠目には実に美しく、魅了させられるのだ。そしてあの壁に足跡を残したいと思う。
キレット小屋で30分ほど休憩。雪崩れる音が頻繁に聞こえてくる。
突然の音響と叫び声が聞こえた。もしや、と我々は急いでキレット沢を下降しコールをかけるが応答はない。
彼らはもう下まで降りたんだろうと、さらに下降を続けると、いたいた、キレット尾根に取り付くところの彼らに声をかけ、先を急ぐ。
後から聞いた話では、彼らは咄嗟の思いで雪崩を避けることができたとのこと。口には出して言わないが無事で本当によかった。
正面ルンゼをやや登った安全地帯にて水の補給に約30分を費やした。さらに急斜面を詰めていくと主稜の取り付きだ。12時である。
雨が降り出してきた。
雪の面と岩の面を利用して竹田がリードしていく。殿の私が順番を待っている時、大音響とともに雪の塊がこちらを襲ってくるようにみえ、思わず“こっちへ来る”と叫んでしまった。先ほど登ってきたルンゼの方へ流れていったのだが、ちょっぴり心細くなって“中島さ〜ん、まだぁ〜”と呼んでみたが応答はなく、じっと我慢の子であった。
雪が少ないのでやぶこぎが多い。竹田・山下が交替でリードしていく。ピッケルのピックが斜面に心地よく効いて登りやすい。
8P目、ちょっと嫌なトラバースをして小さな滝を越えなければならない。何もかも濡れてしまっているのだが、滝の水に手袋を濡らすのがためらわれ、それが滑稽で苦笑いの私。ちょっと口づけをし、ひと口含む。おいしい。2口、3口。そして再びやぶの中へ入って行った。
9P目。“岡田、トップやるか”との声に“やぶはいややな”と応えた。別に拒否することもなかったのだが、ルートの取り方に自信が持てないのだ。がむしゃらに上へ登って行くだけなら自信はあるけど。
その代わり、11P目と13P目の雪壁トラバースを引き受けた。
もうすでに暗くなりかけており、雨は相変わらず時折激しく叩きつけてくる。今はどこらへんに位置しているのか、あと何ピッチ登ればよいのか見当もつかない。
新品のゴアテックスの雨具の山下・中島もそろそろ水が浸みてきたらしい。もし気温が下がったらどうしよう、という不安はあるけど、楽天家なのだろうか、今日中に登りきってしまったら少々のことでも大丈夫、と思い歌を口ずさむ。“ワオー”と大声をはりあげる。そうすると幾分元気が出てきて寒さも一時的にしのげるものだ。行動食をとり、ブドウ糖をなめる。
15P目からヘッドランプを使っての登攀。暗くなってからは竹田がリードし、登攀スピードは大幅に速まった。ホールドが見にくいので私の登りも大胆になってきた。
竹田は決してあせらせたりしない。そして余裕たっぷりにヨーデルを響かせ我々を励ましてくれる。もう少しだもう少しだ。竹田さんの存在が不安感を与えない。この寒さと不快感からは一刻も早く解放されたいのだけど。BCへ戻ったら体をふいて、下着の水を絞り出そう。
“オーイ、稜線に出たぞ。よーし、3人一緒にのぼれ”・・・やった、やった。実に21ピッチ。10時間。充実感と完遂したことの感激。雨はまだ続いていて星はないけれど、見はるかす街の灯のまばたきが、我々の執念と根性に惜しみない拍手を送ってくれているかのようだ。
北峰を経てBCへ、ザイルを付けたまま慎重な足取りでたどって行く。BCへ着いたら何を食べよかな。どうやって下着を乾かそかな、なんて考えながら。
ところがそこにはショックな出来事が待っていた。
雪洞の入口がない!? 雪洞は崩れてしまっていた。
20時30分頃に帰着したという野沢ら3人がわずかのスペースを修復してツェルトでカバーしていた。4人が入るといっぱいのスペースの中では下着を絞り乾かそうとの期待もむなしく、シュラフに入れこそすれ、坐ったままのビバーク姿勢で寝ざるを得なくなった。
震えの止まらぬつらい時間が続いた。
起 床 4:00 |主稜取付 12:00
BC発 7:30 |終 了 22:30
キレット小屋 10:00 |B C 着 24:00
〜10:30 |