真実が消えた戦争
言葉の最後の方はとてもゆっくりだった。アリアは泣いているのだろうか。アリアの言葉を聞きながら、僕は人間という生物の体温と……言葉の温もりを感じていた。
「お母さんとお父さんが帰って来なくなって、私とても悲しかった。寂しかった。辛かった。苦しかった。もう死のうと思った。だけど……だけど! ウィルが私を笑顔にしてくれた。二人のいない地獄から救ってくれたんだよ。そんなウィルは私の大事な家族なの!」
僕はアリアの背中に手を回した。小さいアリアが震えている。今、この少女を泣かせているのは自分だ。そう思うと胸が締め付けられて息をしにくくなってしまう。
「前に私が見た夢の話をしたこと、覚えてる?」
ハッとした。覚えている。その日に見たという夢を話すアリアの笑顔は、より輝いて見えたからはっきりと覚えている。
――お母さんとお父さんが帰って来てね、お母さんが私に始めに言うんだ。ごめんねって。寂しい思いをさせたねって。お父さんも一緒に何度も何度も謝っているの。私が、ウィルといたから大丈夫だったよって言ったら二人ともキョトンとしたよ。それで、ウィルが恐る恐る顔を出すんだけど、二人とも凄く驚いちゃった。何回も事情を話すとわかってくれて、二人ともウィルに謝ったりお礼を言ったりして――
「四人で笑い合った」
「うん、それ」
夢の話の最後の言葉は無意識に声に出してしまっていた。アリアは言った。顔は見えないけれど、きっと笑顔で。
「それはね、夢であり望む未来でもあるの。ウィルが欠けていちゃダメ。だから、だから――」
アリアの腕の力が強くなった気がした。アリアは消えてしまいそうな、それでいて力強い声で言った。
「死ぬなんて言わないで。戦争を止める方法は他にあるにきまっている。だから死なないで……ずっと、ずっと私の側にいてよ!」
僕も今泣いているだろうか。頬を伝う水滴は拭われることなくそのまま首筋へと流れていく。
僕は何をしているのだろう。死なないでと言われて喜んでいる。自分よりも小さな女の子を救ってあげたかったのに、むしろ彼女に救われているではないか。
――ああ、僕は生きたい。まだやりたいことはたくさんあるんだ。国に帰りたい気もあるし、兄に会いたい気持ちも少なからずある。でも……それよりもアリアの側にいたい。側にいてあげるんじゃない、僕が側にいたいんだ。そしてアリアの言っていた夢が本当に叶う日を、この目で――
僕は小さなアリアを強く、壊れないように抱きしめた。渇いたような声を必死に出して、アリアに言った。
「……ありがとう……」
狭い部屋に、ただ彼女の啜り泣く声だけが響き渡る。僕たちは静寂を破ることなく、ただお互いの温もりに微かな幸せを感じるのであった。
あの日から一週間が過ぎた。僕は二人のときは戦争という状況すら忘れて楽しく過ごし、アリアがいないときは体を動かしつつ考えごとをしていた。考えれば考えるほど疑問は増えていった。まず自分の国のことが気になる。アリアが言うには、その東の国はすでに滅んだらしく、これを聞いたときはさすがに言葉を失った。しかしあまりショックではなかった。愛国心を無くしてしまったのかもしれない。アルはどうしているだろう。生死すらはっきりしていないわけだが、死んでいたとしたらやっぱり悲しい。罪を犯したとはいえ、僕の兄だから。
でも、それよりも疑問に思っていることがあった。それはアリアの両親のことである。二人が今生きているのかどうかも疑わしいが、そもそも何故いなくなったのかが気になる。アリアはあまりそのことについて話さず、僕もそれをアリアに聞く気にはなれなかった。
気になることは多いけど、とりあえずこの戦争を終わらせるには。それを第一として考えていこう。そう思っていた。
そして、その最大の疑問が思わぬ形で真実を見せ付けてくることを知らず僕はまたアリアの帰りを待っているのであった――。
ある日、僕は誰かの泣き叫ぶ声で目が覚めた。壁の隙間から入り込む光の量からして、日の出の最中というところだろう。幼い少女の声だ。ちょうどアリアぐらいの歳だろうか。アリアも目が覚めたらしく、しばらく僕らはキョトンと互いの顔を見ていた。
「何だろう? 敵襲ではなさそうだけど」
「うん……」
お互いの顔がまだよく見えない時間。そんな朝早い時間から泣いているなんて――
いや、この時間なら一つ可能性がある。この国は出兵している人の死亡は身内に郵便で知らされるようになっている。アリアの父親は兵隊にならなかったようだから、郵便で生死の確認は出来ないが。
「あ、この声……」
アリアは声に聞き覚えがあったらしく、声のする方の壁へ歩いて行くと、その壁の穴に片目を近づけた。
「……あ!」
何かを見つけたようだ。僕も近くの穴を覗こうとしたとき、アリアは急いで部屋を出た。
「ごめん、ウィル。ちょっと行ってくる」
と言い残して。僕はアリアが覗いていた穴を使って様子を見てみた。
そこには茶色の紙をにぎりしめて泣き崩れる少女がいた。あの紙こそ身内の死を知らせる紙だろう。泣いて、泣いて、泣いている少女。間もなくアリアが少女に駆け寄って行った。
「……大丈夫?」
「――」
少女から言葉は返ってこなかった。様子からすると大丈夫とは言い難い。アリアも何と言えばいいものか悩んでいるようであった。風が強く吹き、人気のない道を木の葉が駆け抜ける。
「えっと……」
その言葉を何度も口にする。心の底から心配しているのだが、慰めの言葉が見つからないようで、困ったようにキョロキョロしている。一瞬、目が合った気がした。アリアは何か思いついたようでしゃがみ込んで少女の背中をさすりつつ、少女に一つ一つゆっくりと声を掛けた。
「大丈夫だよ……またいつか、いいことがあるから」
少女に反応はない。反面、アリアは楽しそうに……まるで僕に両親の話をするときみたいに話した。
「私もね、優しかったお父さんとお母さんがいなくなったとき凄く寂しかったよ。でもね、そんな私を苦しみの地獄から連れ出してくれた人がいるの。今は二人でお父さんとお母さんの帰りを待っているんだ。だから、ね。きっと……」
初めて少女が反応した。ゆっくりと涙にまみれた顔をアリアの方に向ける。やった、と思ったがそれは間違いだった。
「馬鹿じゃないの?」
「え?」
少女はアリアをキッと睨みつけると、怒りと哀れみが混じったような表情でアリアに言う。それは、アリアにとっても僕にとっても信じがたいもので――。
「本当、馬鹿だよ。アリア以外は皆知っているんだよ? アリアの両親は優しくなんかない。二人はアリアを捨てて出て行ったってことを……!」
「え、え?」
時間が止まった気がした。信じられない。アリアの両親は優しかったって、アリアが……それはこちらまで嬉しくなるぐらいにいつも楽しそうに話していたではないか!
「優しい、か。そうね。アリアには十分優しかったみたいね。でもね、アリアの両親は本当に酷い人だったわ。人のものは当たり前のように奪っちゃうし、口も悪い。逆らったら殴られて、それを他の人たちに見せ付けるの。夫婦揃って最低だったわね!」