真実が消えた戦争
自分の言葉にハッとなる自分が滑稽に思えたが、それどころではない。僕の言うとおり、死体を中心に魔法陣が描かれている。
血だ。
彼女の血で描かれている奇妙な魔方陣が部屋の大部分を占めている。ただ一つ引っ掛かることがある。この魔法陣、見たことがある。そう思うと同時に嫌な予感がした。
――逃げろ、逃げろ!
自分に僕の声は聞こえず、むしろ魔法陣に近づく自分。
「ほらあ、今度攻め込む予定の西の国。俺たちが攻め込む前にちょっと弱っといてもらおうと思って」
――西の国……?
「攻撃の魔法陣ってこと?」
「いや。そんなことしたら攻撃したのが俺たちってばれるじゃないか」
背筋に何か冷たいものが通った気がした。
――これ……まさか!
「もっと賢い方法でさ。早い話、西の国に内乱をもたらす魔法陣だよ、これ」
――やっぱり! その西の国はアリアがいる国だ! それに、内乱をもたらす魔法陣……。
自分の中で何かがパズルのように繋がった気がした。ここにいては危険だと、わかっているのに体が動かない。
僕の考えがただしければ、この後――
「やめろよ! 西の国のことも考えろよ!」
「ああ、ウィルらしい言葉だな。平和主義の馬鹿正直」
「平和主義で悪い? 皆が楽しく過ごせたら、それだけで幸せじゃないか!」
僕の声がむなしく響き渡る。アルはフと笑うと僕に息絶えた虫を見下ろすような冷たい視線を向けた。その瞳に恐怖を感じてしまう。
「ハハ、生温い奴。いつまでそんな甘い考え方しているつもりだ?」
「この思いは死んでも変えたくない。それで人の命が救えるのなら……僕は命に代えてもこの計画を阻止してみせる!」
怯むものの言いたいことをぶつける自分から冷静さは完全に失われているだろう。客観的に見ている僕はまだ冷静でいられた。だからこそ、じりじりと近づいてくるアルに気付くこともできた。
「うん。死んでも無駄だよな。じゃあ、さ」
急に距離を縮めたアルは僕の襟首を掴むと、僕の体を押し倒した。頭に強い衝撃が走り、少し遅れて、ちぎれたボタンが遠方で床とぶつかる。カランという音が静寂の空間に響き渡る。
「実はさあ、生贄もう一ついるんだよね。それも生きたものを」
「なんだ――っ!」
声が出ない。突然、アルは僕の首を絞めだしたのだ。息ができない上に遠退いていく自分の意識。僕の目に映るアルの姿は……僕の知る兄、アルの姿とは掛け離れてしまっている。悪魔のような笑みと、充血して赤い涙が流れだしそうな目。自分と遺伝子を共有したとは思えないような――。
「安心しろよ、殺しはしねえ。ちょっと気絶してもらうだけだから」
「――!」
体から力が抜けていく。アルの腕を掴んでいた自分の手は何も掴めなくなり、ただ腕に触れているだけになる。意識もかろうじてある状態だ。それに気付いたのかアルは僕の首から手を離す。
「もう聞こえていないかも知れないけど……まあ一応言っておくさ。今から魔術を行う。お前の役目は西の国の内乱の化身になること。お前が好きだった兵隊人形に戦争の呪いもお前の魂も封じてやるさ。お前は我が国の勝利に貢献した。誇り高いことじゃないか」
――何を言っているんだよ。そんなこと、誇りでも何でもないじゃないか。
「いつか人形から出られるさ。それからしばらくしたらこの記憶も蘇るだろうから言っておく。もしまだ戦争が続いていて、止めたいならば――」
――ダメだ、もう少し。戦争を終わらせる方法を聞くまでは意識を!
「お前が戦争を請け負った者。つまり――」
とうとう途絶えた意識。途絶える寸前、僕は間違いなく聞いた。戦争を終わらせる方法を。それは――
「自分の命を絶つことだな」
「ウィル!」
――!!
再び聞き慣れた声が聞こえてくる。
「ア、アリア?」
やっとのことで目を開くと心配そうに顔を覗かせているアリアがいた。アリアの長い髪が僕の顔に触れて少しくすぐったい。
「よ、よかった! 大丈夫? 汗びっしょりだよ?」
「……大丈夫だよ、今起き――痛っ!」
重い体を起こそうとしたら頭に激痛が走った。銃声を近くで聞いたようにくらくらする。自分の体の無事を示したかったが余計にアリアに心配かけてしまったようだ。
「起きなくていいよ、無理しないで」
「……ありがとう」
再び体を床に寝かしつける。一度深呼吸すると大分落ちついた。同時に自分が情けなくなる。あれは夢だ。たかが夢にこれだけ動揺して――
いや、もう現実から逃げることは止めよう。あれは確かに夢だ。同時に紛れも無く事実である。そうだ、僕が兵隊人形にされる前に、アルがいつか僕の記憶は蘇ると言っていた。それはきっと今日のことを言っていたのだろう。
そして聞いたじゃないか。戦争を終わらせる方法を――アリアの為にも実行すべきだ。アリアのために僕は自ら命を絶とう。
「夢、見ていたの?」
「うん……夢」
そうだ、アリアには何て言おう。何も言わないのは残酷だろうか。――うん、言わなければならないのはそれだけじゃない。この国の戦争の発端を話さなきゃ。僕らの罪を償うためにも。
「アリア」
「なあに?」
アリアの表情は大分和らいでいるようにも見えた。だからこそ、その表情を壊してしまう自分が悲しい。
「言わなきゃいけないことがあって……聞いてくれる?」
アリアは真剣な表情をしている僕に戸惑いつつも力強い返事を僕に言った。
「……うん、聞くよ」
アリアがそのままでいいと言ってくれたけど、僕は身を起こして話をした。本来なら僕が回復してからするべき話だけど、そこまで待っていられなかった。
僕はアリアに僕の知る全てを話した。予想していた以上にすんなりと受け止めてくれて――表情が雲っていくのがわかったけれど、それでも僕は全てを話してしまった。
「ウィルは悪くないよ」
何度もそう言ってくれたアリアは冷静だった。僕の方がよっぽど冷静でなかったと思う。ただ最後を除いて。
「この戦争を止める方法は、戦争の呪を背負っている僕が死んだらいいんだ」
「……え?」
「僕はアリアを守りたい。今すぐにでもどこかから海にでも飛び込んで――!」
気付けば死のうと思っていることも話してしまっていた。アリアの幸せのためになるなら僕の命なんて――そう思っていたけど。
「ダメ!!」
部屋だけではなく外にも響き渡るような声が僕の鼓膜を震わせた。突然変わったその場の空気。
「絶対ダメだからね! そんな……私のために死ぬなんてことしたら、私死ぬまでウィルのこと恨むからね!」
いつも笑顔のアリアが凄く怒っている。僕は考えてもいなかった話の展開に戸惑った。
「どうして――?」
どうしてダメなの? そう聞こうとしたが、途中で言葉は喉の奥へ戻ってしまった。気付けばアリアが僕に抱き着いていた。先程アルに首を絞められた夢を見たから、首筋に触れる皮膚に少し恐怖を感じた……なんてことは全くない。
「こんなこと言うのは自分でもどうかと思うよ。でもね、私は他の何人もの命より家族が大事なの。わかってる? もちろんウィルだって私の大切な家族の一人なんだよ?」