真実が消えた戦争
僕は今日も彼女を見送った。彼女はいつものように僕に笑顔を見せてくれる。これが本当の笑顔なのだと思わせるほどに、純粋な。
この国は国内戦争をしている。彼女が言うには一年前、戦争は突然始まったらしい。北と南に別れたこの国の戦争。残酷という言葉以外になんと言い表せればいいものか。何人もの罪なき人々を死へと導いた。突然降り出した雨は突然止むというけれど、この戦争も同じだろうか――。
僕は彼女の家にいるわけだが、彼女と話をしていて分かったことがある。それは僕が記憶を少し喪失していること。完全な記憶喪失ではなく記憶はどんどん戻りつつある。単に記憶が混乱していると言うべきか……。
あと、これは僕自身も覚えていることだ。僕がここに来る前のこと。
僕は兵隊人形だった。
息をしないただの人形だった僕。傷と泥にまみれた僕を彼女が拾い、この家に持って帰って綺麗にしてくれた。彼女の温かい愛情に触れて僕は人間に戻ったのだ。鉛兵隊になる前は……あまり覚えていない。僕が思い出したくないだけかもしれないけれど。
彼女の名はアリア。アリアはとても優しい女の子だ。誰もが絶望の渦に巻き込まれる戦争の中、アリアは何故こうも明るくていい子なのか。一度聞いたことがある。アリアはまた笑って言うのだ。「お母さんとお父さんが帰ってくるのを待っているから」と。話によると、両親は大変優しいらしい。ならば自分も二人のようでなければと思っているのだろう。
ただその両親、数週間前から帰っていないらしい。二人が生きているのか死んでいるのかもわからない。しかし、アリアは絶対に死の可能性を提示しない。だから僕もアリアと共に両親は無事だと信じようと思う。
「ただいま、ウィル」
しばらくしてからだった。アリアは戸を開くなり元気に僕の名を呼んだ。手には貰ってきたのであろう支給品がある。
僕の名はウィリアム。アリアからウィルと呼ばれている。
僕は金髪で青い目を持ち、肌が白い。この町の住人とは少し違った容姿な上、異国の兵隊の服を着ているため、アリアの家で隠れるように居候を続けている。アリアに迷惑をかけないためにさっさと出ていこうとも思ったが、アリアを一人残して出ていく気にもなれず、結局アリアの世話になっている。
「お帰り、アリア」
僕はアリアに僕の過去を話したことはないのだが、彼女は全く気にしていないよう。そのことが本当に嬉しかった。単に鉛兵隊だった僕に過去なんてないと思っているのかもしれないけれど。
わかっている。僕はそんなアリアを好都合に思っていることを。僕は過去から逃げていて、過去に触れないアリアに感謝しているのだ。思い出したくなくて――。
「ねぇ、ウィル」
「なんだい?」
ほら、こんな他愛もない話がこんなにも心地よい。今は目の前にいる、僕を鉛兵隊の呪いから解き放してくれたアリアの退屈しのぎにでもなれたら、それだけでいい。
「――ってことがあってね、私凄く嬉しかったんだ」
「それは良かったね。僕も隣にいたかったな」
またアリアは笑顔になった。僕もつられて笑顔になる。
「お父さんとお母さんが帰ってきたら、この話もしようと思っているんだ」
変わらない笑顔だけど、僕もつられて笑顔になるけど……。今度ばかりは心の底から笑顔にはなれなかった。何故、アリアの両親は帰ってこなくなったのだろう。アリアは何か知っていて、それで元気なのだろうか。ならばまだ安心できるけど……。
翌日。今日もアリアは元気な声を残して家を出た。バースデーケーキのろうそくの火を消したような、なんとなく寂しい空間が広がる。何もやることがなく僕は床に寝転がった。僕のような長身だと床の対角線上に寝ないといけないほどに、部屋は狭い。だけど寝転がったとき目線の先には屋根がある。横には壁がある。これほどに嬉しいことはないとアリアはよく言っていた。お母さんが言っていた言葉らしいが。壁もしっかりしたものではない。外の声がよく聞こえ、外の内緒話も聞こえてしまう。中の声も筒抜けだろう。
「アリアちゃん、元気になってよかったね」
普段は聞き流している会話だが、聞き慣れた名前が急に出てきたことより、思わず僕は身を起こした。
「そうね。アリアちゃんの両親がいなくなったときは、すごく落ち込んでいたというのに」
信じられないことを聞いてしまった。あの絶えることなく笑顔でいるアリアが、落ち込んでいたなんて――。
「いいことでもあったのかな?」
「そうかもしれないわね」
遠ざかる声を聞きながら、僕は唖然としていた。何かあるわけでもないのに壁を眺めている僕がいる。冷静に考えると、そもそも両親が突然いなくなって悲しくない筈がない。アリアだって本当は辛いんだよね――アリアのお父さん、お母さん。聞こえているなら、どうか幼い少女のために帰ってきてください。アリアはずっと待っていますから……。二人が帰って来るまで、せめて僕が彼女を支えてあげられたら……。
そう思っていた。僕が彼女を支える、と。それしか考えていなかったけれど――。
――ウィル……
「……ん?」
ゆっくりと目を開けると、そこには薄暗く蜘蛛の巣が似合いそうな空間が広がっていた。あれ? ここはどこだろう。確か僕はアリアの家にいて、それでアリアの帰りを――
「ウィル!」
「うわ! ああ何だ。アルじゃないか」
僕の目の前には、僕と全く同じ容姿の青年がいた。彼、アルは僕と親を同じとする双子だ。僕と違ってしっかり者の兄のアルは、いつも僕と共に行動していた。何かと不器用な僕はいつもアルに叱られてばかりである。アルも僕と同じ兵隊。今も僕と同じ服を身につけている。
ただ、何か大事なことを忘れている気がする。それにここはどこかという疑問は晴れていない。
「話があるんだっけ?」
「ああ、ついてこいよ」
……? 話があるってどういうことだろう。自分が兄に問い掛けた言葉に自分自身が疑問を抱く。この気味の悪さは何だ。自分の意思と無関係に、口が動く、体が動く。それにこの場面どこかで見たような……。
デジャブだ。
僕はこのままアルについて行っていいのかな……?
「ここだ、入れ」
アルが言った通りに動く僕の体。部屋に入ったその瞬間、ロボットのねじが外れてしまったかのように体が全く動かなくなった。
見てしまったのだ。闇をそのまま形にしたように暗い部屋に広がる血のようなにおい。――違う。ようなではなく、血、そのものだ。そしてそのにおいを部屋中に広げている物体は、部屋の中心にあった。自身の存在を忘れられないようにしているのかのように、きつく、深く、濃く、冷たく、臭く、そして赤く広がる液体。目が暗闇に慣れるのに随分時間が掛かった。もっと早く慣れていたのかもしれない。目の前の物体を信じたくなくて。
「一つ、生贄が必要だったからさ。俺の彼女に頼んだら、快く引き受けてくれた」
――嘘だ。もし彼女が快く引き受けたというなら……こんなに苦しそうな顔をしているわけないだろ! 叫んでやりたかった。だけど、勝手に動く僕の口から吐き出された言葉は、その死体ことについてではなかった。
「何の魔術? 聞いていないよ。見たことない魔法陣だけど」
この国は国内戦争をしている。彼女が言うには一年前、戦争は突然始まったらしい。北と南に別れたこの国の戦争。残酷という言葉以外になんと言い表せればいいものか。何人もの罪なき人々を死へと導いた。突然降り出した雨は突然止むというけれど、この戦争も同じだろうか――。
僕は彼女の家にいるわけだが、彼女と話をしていて分かったことがある。それは僕が記憶を少し喪失していること。完全な記憶喪失ではなく記憶はどんどん戻りつつある。単に記憶が混乱していると言うべきか……。
あと、これは僕自身も覚えていることだ。僕がここに来る前のこと。
僕は兵隊人形だった。
息をしないただの人形だった僕。傷と泥にまみれた僕を彼女が拾い、この家に持って帰って綺麗にしてくれた。彼女の温かい愛情に触れて僕は人間に戻ったのだ。鉛兵隊になる前は……あまり覚えていない。僕が思い出したくないだけかもしれないけれど。
彼女の名はアリア。アリアはとても優しい女の子だ。誰もが絶望の渦に巻き込まれる戦争の中、アリアは何故こうも明るくていい子なのか。一度聞いたことがある。アリアはまた笑って言うのだ。「お母さんとお父さんが帰ってくるのを待っているから」と。話によると、両親は大変優しいらしい。ならば自分も二人のようでなければと思っているのだろう。
ただその両親、数週間前から帰っていないらしい。二人が生きているのか死んでいるのかもわからない。しかし、アリアは絶対に死の可能性を提示しない。だから僕もアリアと共に両親は無事だと信じようと思う。
「ただいま、ウィル」
しばらくしてからだった。アリアは戸を開くなり元気に僕の名を呼んだ。手には貰ってきたのであろう支給品がある。
僕の名はウィリアム。アリアからウィルと呼ばれている。
僕は金髪で青い目を持ち、肌が白い。この町の住人とは少し違った容姿な上、異国の兵隊の服を着ているため、アリアの家で隠れるように居候を続けている。アリアに迷惑をかけないためにさっさと出ていこうとも思ったが、アリアを一人残して出ていく気にもなれず、結局アリアの世話になっている。
「お帰り、アリア」
僕はアリアに僕の過去を話したことはないのだが、彼女は全く気にしていないよう。そのことが本当に嬉しかった。単に鉛兵隊だった僕に過去なんてないと思っているのかもしれないけれど。
わかっている。僕はそんなアリアを好都合に思っていることを。僕は過去から逃げていて、過去に触れないアリアに感謝しているのだ。思い出したくなくて――。
「ねぇ、ウィル」
「なんだい?」
ほら、こんな他愛もない話がこんなにも心地よい。今は目の前にいる、僕を鉛兵隊の呪いから解き放してくれたアリアの退屈しのぎにでもなれたら、それだけでいい。
「――ってことがあってね、私凄く嬉しかったんだ」
「それは良かったね。僕も隣にいたかったな」
またアリアは笑顔になった。僕もつられて笑顔になる。
「お父さんとお母さんが帰ってきたら、この話もしようと思っているんだ」
変わらない笑顔だけど、僕もつられて笑顔になるけど……。今度ばかりは心の底から笑顔にはなれなかった。何故、アリアの両親は帰ってこなくなったのだろう。アリアは何か知っていて、それで元気なのだろうか。ならばまだ安心できるけど……。
翌日。今日もアリアは元気な声を残して家を出た。バースデーケーキのろうそくの火を消したような、なんとなく寂しい空間が広がる。何もやることがなく僕は床に寝転がった。僕のような長身だと床の対角線上に寝ないといけないほどに、部屋は狭い。だけど寝転がったとき目線の先には屋根がある。横には壁がある。これほどに嬉しいことはないとアリアはよく言っていた。お母さんが言っていた言葉らしいが。壁もしっかりしたものではない。外の声がよく聞こえ、外の内緒話も聞こえてしまう。中の声も筒抜けだろう。
「アリアちゃん、元気になってよかったね」
普段は聞き流している会話だが、聞き慣れた名前が急に出てきたことより、思わず僕は身を起こした。
「そうね。アリアちゃんの両親がいなくなったときは、すごく落ち込んでいたというのに」
信じられないことを聞いてしまった。あの絶えることなく笑顔でいるアリアが、落ち込んでいたなんて――。
「いいことでもあったのかな?」
「そうかもしれないわね」
遠ざかる声を聞きながら、僕は唖然としていた。何かあるわけでもないのに壁を眺めている僕がいる。冷静に考えると、そもそも両親が突然いなくなって悲しくない筈がない。アリアだって本当は辛いんだよね――アリアのお父さん、お母さん。聞こえているなら、どうか幼い少女のために帰ってきてください。アリアはずっと待っていますから……。二人が帰って来るまで、せめて僕が彼女を支えてあげられたら……。
そう思っていた。僕が彼女を支える、と。それしか考えていなかったけれど――。
――ウィル……
「……ん?」
ゆっくりと目を開けると、そこには薄暗く蜘蛛の巣が似合いそうな空間が広がっていた。あれ? ここはどこだろう。確か僕はアリアの家にいて、それでアリアの帰りを――
「ウィル!」
「うわ! ああ何だ。アルじゃないか」
僕の目の前には、僕と全く同じ容姿の青年がいた。彼、アルは僕と親を同じとする双子だ。僕と違ってしっかり者の兄のアルは、いつも僕と共に行動していた。何かと不器用な僕はいつもアルに叱られてばかりである。アルも僕と同じ兵隊。今も僕と同じ服を身につけている。
ただ、何か大事なことを忘れている気がする。それにここはどこかという疑問は晴れていない。
「話があるんだっけ?」
「ああ、ついてこいよ」
……? 話があるってどういうことだろう。自分が兄に問い掛けた言葉に自分自身が疑問を抱く。この気味の悪さは何だ。自分の意思と無関係に、口が動く、体が動く。それにこの場面どこかで見たような……。
デジャブだ。
僕はこのままアルについて行っていいのかな……?
「ここだ、入れ」
アルが言った通りに動く僕の体。部屋に入ったその瞬間、ロボットのねじが外れてしまったかのように体が全く動かなくなった。
見てしまったのだ。闇をそのまま形にしたように暗い部屋に広がる血のようなにおい。――違う。ようなではなく、血、そのものだ。そしてそのにおいを部屋中に広げている物体は、部屋の中心にあった。自身の存在を忘れられないようにしているのかのように、きつく、深く、濃く、冷たく、臭く、そして赤く広がる液体。目が暗闇に慣れるのに随分時間が掛かった。もっと早く慣れていたのかもしれない。目の前の物体を信じたくなくて。
「一つ、生贄が必要だったからさ。俺の彼女に頼んだら、快く引き受けてくれた」
――嘘だ。もし彼女が快く引き受けたというなら……こんなに苦しそうな顔をしているわけないだろ! 叫んでやりたかった。だけど、勝手に動く僕の口から吐き出された言葉は、その死体ことについてではなかった。
「何の魔術? 聞いていないよ。見たことない魔法陣だけど」