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24歳の原点

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 運転手は不思議そうな顔をして、暫く僕の顔を見下ろしていたが、それからすぐに体の向きを変えて、待合室を出て行き、バスの降口から運転席に座り、酷い黒煙を吐き出しながら、都心の方へ走って行った。僕はもの凄い空腹と喉の渇きを感じた。唾を飲み込もうとしても、唾は出て来ず、喉の奥が水気の無い舌によって塞がりそうだった。深く長い溜め息をゆっくりと吐き、とにかく、何処かの公園で喉だけは潤そうと、静かに立ち上がって待合室から外へ出た。
 公園はすぐに見つかった。僕は水飲み場の蛇口から溢れ出る水を、貪るように飲み、喉の渇きを潤し、空腹感をある程度満たした。
 公園の中に、小高い丘のようなものがあり、僕はその裏手に回り、人に見つからない茂みの目の前で、その丘の斜面に横たわって腹に手を組み、朝日の光が少しずつ外気を暖めていくにつれて、次第に意識が遠ざかっていくのを感じた。

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 ゆっくりと目を覚ます頃には、太陽は南中しかかっていた。どうやら、誰にも眠りを邪魔されずに済んだらしい。携帯電話のメインディスプレイを見てみると、電池のマークが残り1つとなっていた。僕は急激に不安に襲われて、駆け足でその公園を出、都心に向かって歩き始めた。
 腕時計の針が午後7時を過ぎた頃、僕は新宿区歌舞伎町に辿り着いた。ネオンがけばけばしく輝き、まるで幻想の世界に迷い込んだみたいに感じた。歌舞伎町1丁目の裏通りを歩いていると、いかにも胡散臭そうな客引きやポン引きが何度か僕に声を掛けたが、その度に僕は頭を下げて早足でその場を立ち去った。
 今日は土曜日ということもあって、多くの外国人やサラリーマンで町は溢れ返っていた。ある時僕が酔っ払いのサラリーマンの集団を避けようと体を捻った時に、尻の部分に固い存在を感じた。僕はその固い存在に左手を当てた。それは、恋人が自殺した森で拾った「二十歳の原点」という文庫本だったことを思い出した。僕は街灯の下、その文庫本のあの破れている個所を開いた。そして、その失われた頁に書かれていることについてどうしても知りたくなった。僕は、本屋へ行って、お金を持っていなかったので、その頁の所だけ、立ち読みしようと思った。
 紀伊国屋書店新宿本店に着いたのは午後8時過ぎであった。「フロアガイド」に従って2Fの「雑誌・文庫・新書、催事コーナー」へエスカレーターで上がると、僕は「店頭在庫検索サービス」で、ジーンズの後ろポケットから取り出した文庫本のタイトルと著者名を入力した。

  書名 ハタチノゲンテン 著者名 タカノエツコ

 すると、少しして液晶画面に検索結果が出て、「在庫1点 棚番号2F A‐××(女性エッセイ)」と表示され、「地図を表示」をタッチし、それが置いてある場所を確認すると、それらの情報を印刷し、レシートを持ってその場所へ向かった。

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 僕は、閑散とした空間の中で、左手に持っている文庫本と同じ本を見つけた。“二十歳の原点”。僕はレシートと自分の文庫本をジーンズの後ろポケットに差し込み、新しい“二十歳の原点”を本棚から取り出した。そしてゆっくりと冷静に僕の文庫本の失われた頁までぱらぱらと捲っていった。
 そして、“204頁”へ到達した時、僕は突然、“悪魔”のことを思い出した。まるで、覚醒したように頭の隅々が軽くなったのと同時に、苦しい胸の痛みを感じるようになった。失われた209頁まで、何度も何度も、舐めるように、脳裏に完全に刻み付けるように、繰り返し読み続けていくにつれて、目頭の奥から熱いものが噴き出すように溢れて来るのをぐっ、と堪えたが、大きな塩辛い水滴が、206頁と207頁の“のど”の隙間にぽとり、と、1滴、滲んで吸い込まれていった。
 外へ出てみると、激しく冷たい雨がざあざあと降っていて、街路樹の幾つもの枯葉がアスファルトに貼り付き、何かの昆虫の死骸のように映った。僕は“新しい”「二十歳の原点」を左手に持っていた。彼女が自殺する前に、夕立の降る「東急百貨店東横店東店」の屋上で僕にプレゼントしてくれたあの“古い「二十歳の原点」”は、この新しい文庫本の代わりに本棚に差し込んでおいた。僕はふいに、自分はとんでもない過ちを犯したのではないか、と一瞬心が揺らぎ不安になったが、“新しい”「二十歳の原点」を胸の内ポケットにしまい込むと、豪雨の中を、何処へ行くあてなどもなく、晩秋の匂いがただ漂う方向へ、走り始めた。“悪魔は何故自殺したのか?”、夜空の下、ただ、悪魔への疑念を晴らす為に、僕は雨の滴と闇に溶けることなく走り続けた。

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 無我夢中で走り続けて辿り着いたのは、偶然にも渋谷区だった。時刻は既に午前0時目前であり、土砂降りのせいか、街中に人をぽつりぽつりと見掛けるだけだった。車も殆ど通らなく、客待ちのタクシーが路肩に列をなしていた。あるタクシーの運転手はぷかぷかと煙草を吸い、またある者はルームライトを点けて成人向けの週刊誌を読んでいた。
 僕はずぶ濡れで、灰色のジャケットやジーンズが雨水をたっぷりと吸っていたので、まるで急に地球の引力が強くなったような感覚を受けた。
 「スクランブル交差点」を歩行者用信号機が赤のまま渡り、横断歩道の中心に立って頭上を見上げると、雨雲に覆われた漆黒の空が少しだけ透けて見えた。そして視線を元に戻すと、先代の神様が営んでいたカフェのある建物が視界に入った。その建物の周りは、警察の黄色いテープで囲まれており、それを跨いで2Fのカフェの入り口の硝子扉へ近付いてみると、「立ち入り禁止」という紙が貼ってあり、扉には鍵が掛っていた。僕は突然、“この中で雨宿りをしたい”、という願望が沸々と湧き上がってきたので、何が何でも無人のカフェの中に入りたくなってしょうがなくなった。1度はこの硝子扉を叩き割ってでも中へ入ろうと思ったのだが、ふいにこの建物には裏口があったことを思い出して、この建物と隣の芸術的な建物の間の路地へ身を滑らせ、屋根を伝って落ちてきた激しい量の雨の滴が頭と肩に降り注ぐ中、僕は体を縦にして、蟹のようにわさわさと歩き続けると、暗闇の中に銀色のノブを見つけた。雨水で濡れた左の掌をジーンズで拭い、徐にノブを回してみると、なんと扉が開いた。僕は誰にも見られていないかどうか、左右をきょろきょろと見まわして確認すると、さっ、と建物の中へ入った。
 建物の中は外の世界よりも真っ暗だった。雨音が、体内の内側、心の外側から聞こえてくる、そんな穏やかで不思議な感覚を抱いた。
 2Fの神様のカフェに階段で上がると、急に寒気を感じた。そしてふいに尿意を感じたので、暗闇の中、椅子などに足をぶつけないように手探りで慎重にカウンターの奥のトイレへ向かった。
作品名:24歳の原点 作家名:丸山雅史