小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

24歳の原点

INDEX|5ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

 僕達は果てしなく続く灰色の大地を、風の冷たさや、裸足で歩く痛み等に堪えながら、ただひたすら歩き続けた。あの彼女が首吊り自殺をした森の存在する地球では、大抵の小学生が帰宅する時間に差し掛かっていることだろう。悪魔の命のタイムリミットは、あと8時間から9時間だ。そんなことを思っていると、突然、悪魔が遥か前方に人差し指を指し、独り言のような、または自分や、僕の意識を揺らすような叫び声を上げた。
「…おい!! あれを見てくれ!!」
 僕には悪魔の言う通りに彼の指差す方向に視線を移さなくても、彼が何に対して叫んでいるのか、全て分かっていた。
 悪魔が視線を注いでいる向こう側には、茫漠と広がる、鉛色の大海原が遠く向こうに見え、その波の先に洗われるようにして、ぽつんと、1軒の、外観がしっかりとしたカーキ色のタイルで造られた、何処の住宅街にでもありそうな家が立っていた。其れは、生前、彼女が、高校生時代まで暮らしていた住宅そのものだった。彼女は北海道札幌市出身で、立教大学進学の為に、東京へ18歳の時にやって来たのだった。それから彼女は2年間、「立教大学国際交流寮」の5Fで過ごした後、20歳の春、つまり大学3年の時、「女子寮ドミトリー富士見台」へ引っ越した。その少し前に、彼女は高野悦子の「二十歳の原点」の存在をとある新聞の夕刊の編集者のコラムにて知り、彼女の性格も、精神状態も著しく激しく、そして芳しくなくなった。
「…あの家は、俺達が彼女と出会った19歳の夏休みに、北海道の彼女の故郷に行った時の実家と全く同じじゃないか?! どうして俺達の想像力の限界地点に、彼女の実家があるんだ??」
「それは僕達の彼女の家族達に、僕達が交際を続けるにあたって強く反対されたからだよ。一種のトラウマとでも言うのかな。大学でろくに学ばずに、中退し、毎日毎日東京の街をあてもなくぶらぶらと過ごしていたからさ。…君は彼女が20歳になってからようやく作家という仕事にありつけたけれど、それでも彼女が生きている内に、彼女の家族等に認められなかったことが、想像力の凝結に繋がったんだ。本当なら、僕も、君も、あの彼女の実家の先へ、もっと先へ、想像力の限界を広げることができたのだろうがね。それに加えて、彼女があの森で首吊り自殺した原因を彼女の家族達に押し付けられて切り刻まれた体から溢れ出る血液のように、絶望が押し寄せてきたことも要因の1つではあるけれど」
 僕が話し終わると、悪魔は一気に落ち込み、首を垂れて左手の拳を固め、表情からは後悔の念が滲み出していた。僕は悪魔の心情を悟っていたので、もうそれ以上何も言わず、ただただ彼女の実家へ黙々と歩き続けた。

   7

 彼女の実家に瓜2つの家の玄関前に僕と悪魔は立っていた。潮風は先程の風に比べて格段と冷たく、僕達2人の足元を波が洗っていた。北海道の住宅は、真冬の豪雪に備えて、他の地域のそれと比べて、玄関の高さがかなり異なる。僕達は罅の入ったコンクリートの階段を数段上がり、これまた真冬の為に備え付けられた硝子扉を開け、僕はインターホンを押した。
 1分程応答を待っていたが、彼女の声は聞こえてこなかった。今度は僕の代わりに悪魔がインターホンを鳴らした。すると少しして、彼女の至極真面目な返答が聞こえてきて、悪魔は衝撃のあまり何も続けて喋ることができなかったので、“僕”が代わりに彼の言葉を察して声に出した。
「…“僕”だよ。君に逢いに、此処まで来たんだ」
 暫く彼女に沈黙があった。そしてある時、インターホンの消える音が聞こえ、家の中から廊下を素足で軋ませ歩いてくる音が聞こえた。
 僕は彼女が玄関のチェーンや鍵を開けようとカチャカチャ音を立てているのを聴くと、悪魔に穏やかな心でこう言った。
「それじゃあ、僕は其処ら辺で君達が2人だけの時間を満喫するまで、時間を潰しているよ。これだけははっきりと言っておくけど、君が彼女と過ごせる時間は、あと7時間余りだ。悔いの残らない時間を過ごしてくれ。それじゃあ」
「…おい!! 待てよ!!」
 悪魔は硝子扉を開けようとした僕の右手を掴んだ。
「…お前…、本当にお前も彼女と一緒に過ごさなくていいのか? 本当に、俺だけが至福の時を過ごしてもいいのか??」
 僕は悪魔に即答した。
「僕はもう、彼女に対する未練なんてもうこれっぽっちも残っていないんだ。さっきも言ったけれど、僕に残されている記憶は、“君には無い”、彼女との幸せな日々だけなんだ。だから、正直に言って、もう彼女のことは全く好きではないんだ。僕は、僕の負の感情を抱いている、寿命が残り数時間余りの君に、最後の、最高の幸せを体感して欲しい」
「分かったよ…。…有り難う、お前に何て感謝していいのか分からないよ」
「感謝なんて要らないよ。君は、今まで僕を悩みの無い人間として生かせてくれた。けど、お前が死ねば、此処まで僕1人では想像力の限界が延びて来ず、彼女に2度と逢うことができない。それは全然大したことではないのだけれど、これから現実世界で生きていくにあたって、自分の負の感情をどのようにコントロールすればよいか、神様の力を持つ僕にだって初めてのことは分からないと思うんだ。でも…」
 その時、玄関の扉のチェーンと鍵を外した彼女が、扉を開けかけたので、僕はすぐさま硝子扉を開けて、駆け出し、悪魔に向かってこう叫んだ。
「6時間後に、また迎えに来るからな!!」
 それを聴いた悪魔は、僕の方を向いて非常に困惑とした表情をしていたが、玄関の扉の隙間に視線を移すと、硬直していた体が解凍されたように、急に柔軟になり、扉の裏に隠れている彼女を抱き締め、何か叫び声のような、アイスピックのように尖った歓喜の声と泣き声を混ぜたような言葉を発して、そのまま彼等は倒れ込むように家の中へ吸い込まれていった。

   8

 彼女のカーキ色の外観の実家から、西へ5分程進むと、枯れ果てた大地の蜃気楼が晴れ、東京都渋谷区の街並みが現れた。すると、僕は現実世界で着ていた服装にいつの間にか戻っていた。
 人は誰も居なかった。下りの道玄坂にも、渋谷の「スクランブル交差点」にも、先代の神様が営んでいたカフェにも、誰も、蟻1匹たりとも存在していなかった。無人の渋谷区に、自動車ですら何処を見回しても見つけることはできなかった。途中、激しい雨が突然降り始め、雨具を持っていない僕はすぐさまずぶ濡れとなり、「SHIBUYA109」の入り口へ駆け込み、其処へ座り込み、ぼんやりと止むことの無い雨を見つめていた。
 僕は濡れていないかどうか、ポケットの沢山付いているズボンの左ポケットから、生前、彼女から渡された、高野悦子の「二十歳の原点」の文庫本を取り出し、茶色のスピンを挟めた頁までぱらぱらと捲った。
 僕は、その文庫本の206頁と207頁を開き、彼女が何度も何度も、様々な色のペンやマーカーでラインを引いている個所を読み上げてみた。


  人は何故生きていくのかって考えてみました。弱くて醜い人間が、どうして生きているのかって思いました。私はこの頃しみじみと人間は永遠に独りであり、弱い─
作品名:24歳の原点 作家名:丸山雅史