地球の眠り
そう言っているように聞こえた。
「…僕も、協力する」主人公も彼と同じように立ち上がって僕の声の発せられ
る方向に向かって言った。「僕達を生んでくれたのは君だからね。…そりゃあ、
母親から生まれてきて、きっと君の世界と同じような世界で、色々悩んできた
けど、今思い返してみると、生まれてきて良かったと思うよ。この物語が終わ
ってしまったら、元の生活に戻って、人生に喜びと幸せを感じることができる
かもしれない」
「大人になることを拒んでいるということは君の中から消去させてもらうよ。
それと夢の世界での記憶も…」
「それはいいよ、僕がこれから生きるにあたってとても大切な事だったと生涯
忘れないから。隣の僕や、君と出会うことができてほんと良かった。僕は隣の
僕の中で生き、隣の僕は君の中で生きる。それぞれがそれぞれの世界を持って
ね。もしかしたら今度は僕が、物語の作者になって、こういう物語を書くかも
しれないしね」と主人公は笑顔で言った。
「…有り難う」
「この物語の主人公は、君だよ」
僕は彼らの言葉で心が暖まった。すると、「あれ、なんだか暖かくなってき
たみたい」と主人公(以下青年)は辺りを見回して言った。
「きっと君の心の氷が溶けてきたからじゃないかな?」と彼は清々しい表情で
言った。
「そうだと思う。…君達の言葉に熱くなった僕の胸の空気が伝わって、この世
界の温度が上昇したのだと思う。君達からは見えないけど、今僕は感激して泣
いている」僕は.し照れながら答えた。
「僕達にできることは?」青年は、期待を込めて僕に問い掛けた。彼も、腕を
組みながら、その返答を心待ちにしているようだった。
「…この湖で、一人にしてくれないか? つまり、君達の存在を消していいか、
ということさ。…君達は、この世界から消えてしまうけれど、ずっと僕の記憶
の中で生き続けるんだ。その世界は、病も苦悩も死も無い世界さ。君達のこと
は絶対に、忘れないよ。…それを、頼めるかい?」
「構わないさ」彼は口の端を上げて即答した。
「分かった」青年は承諾した。
「有り難う」僕は涙声で感謝した。
僕は彼らをこの世界から消した。と同時に、透明に近い.年二人の姿も消え
ていった。僅かに時が流れ始め、風の音が聞こえた。僕はこの彼の夢の中では
なくなった世界にイメージの中で存在し始め、姿を現せた。自分の姿が映る湖
面を見て脳裏に君を思い浮かべ、月の光を増大させた。湖面は幻想的に輝き、
心の平安を感じた。大丈夫、君はこの世界にいる、そう僕は直感した。
この世界にはもう僕と君しかいなかった。それは他者を拒んでいるからでは
なく、きちんと成り行きと理由を説明して承諾してくれたからだ。青年や彼は
今、この夢を見ているのかもしれない。青年は植物状態から目を覚まし、彼は
夢から目覚め、小説を完成させようとしているのかもしれない。でも、それは
此処からずっと遠く離れた別の次元の世界でのことで、しかし、確かに僕の記
憶の中で起こっていることであり、朧気ながら彼らが懸命に生きていることを
実感することができた。最も遠くて最も近い世界。矛盾し漠然としているけど、
それが僕の現段階では限界ギリギリの表現だ。寝転がりながら君のことを考え
ると、想い出には果てがあるような気がした。君もこの満天の星空を眺めてい
るだろうか。それとも森に頭上を蓋をされ、暗闇の中を彷徨っているのだろう
か。もし後者ならば、僕はこの途方に暮れるほど広い世界を、君を探しに行き
たい衝動に駆られた。しかし冷静に考えてみると、此処に留まって、いつまで
も君を待っているべきだと確信した。決して自分が動きたくないからとか、道
に迷いたくないとかの理由では無い。此処が君と出会う世界の中心だからだと
思ったからだ。いずれ、太陽はこの場所に光を射し込むだろう。それは、僕や
君がこの物語から解放され、自由になることを意味していた。そう、現実で全
うに生きていく為に…。そう僕は願い続けた。
どれ位時が流れたのか計り知ることができない(読者であるあなた方も、こ
の物語を物語るのを再開したのにどれだけの時間が経ったかは想像がつかない
だろう)。この世界は、.しだけ変化したかもしれない。でも、ずっと君をこ
の場所で待っている僕には、それを感じることができなかった。頭の中で物語
る僕には様々な感情が飛び交った。例えば、僕の中で迸る創造力を全て放出す
る為に集中力を切らさないようにしたり、生まれて初めてこのような物語を創
り、完成させることができるのかという、止め処なく溢れてくる恐怖のような
漆黒の強風に倒れないように自分自身を信じようとした。僕にはこの世界(僕
自身も含めて)を僕が納得がいくまで描写しなければならなかった。その全て
が終わったら、何故か君と会える気がした。君のことを想い続けた果てに、僕
はこの世界の創造を想像力と比例して拡大させ(宇宙のように)、始めていっ
た。しかし上空から眺めてみると、更に木々は生い茂って森の密度は濃くなり、
満天の星空には雲が広がってきて、突然激しい.が降り始めた。針のような.
に打たれて、やはり僕の心には悲しみしかないのか、と絶望し、座ったまま頭
を垂れた。湖面は.の一滴一滴に打ち砕かれ、それを絶えず繰り返していた。
僕は.し顔を上げてその様子を見ていると、現実の世界で公園の噴水前で君を
待っている時に降り出した.の日のことを思い出した。その記憶は僕にイマジ
ネーションを与え、この地球を拡大させていった。そして森は広がっていった。
その日、君は大学の授業で出すレポートに手間取っていて、遅刻してきたのだ。
同じ大学に在籍する僕も君も、びしょ濡れだった。僕は、君が遅れたことに対
する僅かな腹立たしさを君への想いで心の奥底の暗闇へ押し込め、君が真剣な
表情で駆けてくるのを好意的に迎えた。
その日僕は君に告白するつもりだった。君は学年こそ違うけれど、共に末を
読むのが大好きで、毎日大学の図書館通いしているうちに、顔見知りとなり、
仲良くなったのだった。君は成績優秀で、学年でトップだった。加えて、素晴
らしい美貌を兼ね備えており、当然の如く、多くの人に羨望の眼差しで見られ
ていた。そんな君が、何の変哲もない普通の僕と親しくなったのである。僕は、
君との仲が深まるにつれて、誰かに恨まれるんじゃないのかとか、憎まれてい
るんじゃないのかと時々不安になった。末を借りたり読んだりする為に図書館
へ行くのでは無く(勿論末は大好きであったが)、君に会いたいが為に毎日通
うようになっていったのだ。やがて図書館の外でも会うようになり、度々喫茶
店や公園で末の話(主に文学と呼ばれる類のものの末について)をするように
なった。しかし僕は君自身について殆ど何も聞くことはできなかった。あまり
の美しさの為かもしれない。どう計っても僕と君ではレベル的に釣り合わない
と感じた為かもしれない。実際に、大学の構内で二人で歩いていた時に、君と