地球の眠り
「大いにあるさ」彼は笑いを堪えきれないといった調子で言った。「君がこの
物語、いや、夢の全てをこのある人の心臓と一緒に左右する存在なんだからね。
ある人とは、僕の心臓の移植のドナーなんだけれど、彼女は乳ガンで亡くなっ
たよ。僕は心臓に病気を持っていた。彼女の夢に出てきた心底気持ち悪い人間
が、君なんだよ。君も、其処で静止している二人を心底嫌っているだろう? 僕
は彼女が語る夢を、彼女に依頼されて執筆していた。一度、意識を失った時が
あっただろう? それは、僕と彼女の心臓移植の時のことさ。君の、大人にな
りたくないという我が儘が、この物語の中にも蔓延してきて、とうとう地球は
活動を停止したんだ。別に君が悪いわけではない。彼女や僕の夢に出てきた君
が悪いわけでもない。大体、君が、僕達と同じこの世界に存在するということ
自体、信じがたい話なのだからね。彼女は君と一度も会ったことが無いのに、
どうして君は夢に出てくるようになったのだろう? 君も以前、似たような夢
を見たことがないかい? 全く知らない人間が夢の中に現れたという体験をし
たことがないかい? それは多分、この世界(∨ほんのちっぽけな宇宙)の何
処かに夢に出てきた人間が存在するという何よりの証拠だよ。そして彼女の心
臓で夢を見ている今、君は夢の中の銀河系の地球という惑星にいることが判っ
た。この夢が始まる前から僕は君のことを話で聞いていてだいぶ知っていたん
だけど、何でも君は大人になるのが嫌で、飛び降り自殺をしたというじゃない
か? 生前彼女はこの奇妙な夢を精神科医に分析してもらったところ、?その
夢は決して消えることはありません?と言われたらしいんだ。彼女はノイロー
ゼになって、食事が取れない程衰弱した。そして心臓移植した後、今度は、僕
が君の夢を見るようになったんだ。それは科学的によくある話だから別に驚き
はしないけれど、心臓移植をする前に、?貴方にお話しした夢を物語にして頂
けませんか??と頼まれたんだ。…この素人の僕にだよ? …こんな神様気取
りの立場で話をするのは僕にはもう限界だから、暫く僕が君の元に会いに行く
のを待っていてくれないか? 君とはこの物語を完成させる為に、ぜひとも親
睦を深めたいと思うんだ。だからちょっと待っていてくれ…」
そう彼は言葉を伝え終わると、それっきり声が聞こえなくなった。その瞬間
に、流れ星が夜空に傷のような軌跡を残して流れていった後、静寂が僕の鼓膜
まで塞いだような気がした。時間が流れていないはずなのに、僕は、途方も無
く長い時間を過ごしたような気がした。僕は、彼を、いや、この夢の世界の創
造者を待っている間に、湖の水を飲んだり、その周りをぐるぐる回ったりして
過ごした。ふと思いついた考えを付け足して、現在僕はどのような状況に置か
れているか整理してみた。まず、僕は自分自身の夢の世界にいる、と思ってい
た。現実でも、飛び降り自殺をしてきっと植物状態なのだろうと推測していた。
しかし、この夢の世界も現実も、全て、このある人間の中で起こっていること
だと悟った。ある人間は心臓に病気を持っていて、乳ガンで亡くなったこの夢
を見るある女性から心臓移植を受け、この夢を引き継ぐ形となった。彼は彼女
が生前この夢を物語にするように依頼されていた。何故彼女がそんなことを頼
んだのか理由は今では定かではない。それは彼にも知り得ないことだ。もしか
したら彼女はこの夢を物語として世界に提示することによって、微かな希望が
光り輝くことを夢見たのかもしれない。それがどのような希望なのか、彼女に
よって生み出された僕には全く分からない(これは、彼ではなく、夢の中の僕
の意見だが、僕は、彼の夢に運命を束縛されているのではなく、自分の意志を
持っているのだから、彼に支配されるという恐怖を感じる必要は無いはずであ
った。つまり、この?僕?の望んでいた永遠の世界を、作者が破壊したり邪魔
をするようであれば、彼を殺しても構わないのだと思った。この世界がいくら
彼【彼女】が創った世界といっても、僕にはそれを拒み守る権利がある。彼ら
の夢であろうと、彼らのものではないのだ。末当は?僕?の夢なのだから)。
森の全ての植物達は静止した状態のまま、眠りに落ちていた。静寂に耳をす
ませてみると、彼らの一定のリズムの呼吸音が聞こえてきた。それは明らかに
睡眠時の呼吸音だった(僕【藤川周】は今まで生きてきた中で、夢の中で眠る
という夢を見たことがない。夢の中では、不眠不休でもなんてことないのだ。
彼ら【飛び降り自殺をした?僕?とこの夢物語の創造者だと思い違いしている
?僕?】は、末当は僕がこの【地球の眠り】を発表する為に、彼らを自由自在
に操っていることに気付いていない。しかし、【飛び降り自殺した?僕?】と
はこの物語を書き終える前に、一度話をしなければならないと思っているのだ
が、読者の皆さんはどう思いでしょうか? では末編をご賞味下さい)。僕は
急に疲労と眠気を感じ、暫く目を瞑っていた。夢物語の作者の言う通り、地球
に僕と同じように、大人になることを躊躇わせ、拒ませ、眠りに就かせたのは
きっと、彼であると思った。おそらく、僕と話をする為に自ら僕のいる夢の中
へやって来るつもりだからであろう。さっきのは、浅い眠りの場所で僕へ語り
かけてきたのかもしれない(しかし、その経過も合わせて、僕【藤川周】は、
物語を書き続ける。何故なら僕がこの物語を中断すると、この物語が終わって
しまうからだ。夢物語の創造者だと思い違いしている?僕?に病気を与えたの
も僕だし、心臓移植をさせたのも僕だ。今のところ最小の世界に存在する?僕
?が主人公に相応しいと思うのであるがどうであろう?)。
どのくらい時間が経っただろうか。僕は僕に作者が会いに来る為に、より深
い睡眠を取り始めたのかと推測した。そして湖畔に立ち、全てが眠りに就いた
森の世界を眺め回した。僕が目を覚ましたところで体育座りをしてぼんやりし
ていると、湖の向こう側で静止している微かに姿が残っている心底嫌っている
.年二人を見た。彼らは完全に森に溶け込んでいた。このまま放っておいてい
いのか、それとも夢の世界の創造者が現実で目を覚まし、物語を進めれば彼ら
はどうにかなるのであろうか。そんなことをあれこれ考えている内に、僕は意
識を失った。
夢の中で意識を取り戻した時、僕は寝返りを打った状態で、瞼を開けた。視
界の外れに、人の両足が見えたので、反射的に起き上がってその人物の顔を眺
めようとした瞬間、男性の声でこう聞こえた。
「末当にこの地球は眠っている。地球の時も眠ったようだな。こんな光景は初
めてだ」
「…深いこの夢の夢の世界へ降りてきたんだな。今、君は眠っているんだろう?」
僕は咄嗟に声に出して言った。
「あぁ、そうだとも。僕が、心臓移植した女性の夢を引き継いでしまった哀れ
な男さ」と彼は答えた。
「僕が今さっきまで眠っていたのにはまた理由があるのかい? あるのなら教
えてくれよ」