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釘の靴

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「…でもさぁ、でもさぁ、でもさぁ、でもさぁ……」あまりにも取り乱し過ぎ
ていた。すっかりパニックに陥ってしまっていたのだ。「怖いよ、怖いよ、イ
ヤだ……もも、うそこには座りたくないよ…き、君の隣にしばらく一緒にいた
い…いい?」

我ながら情けない。

女の子の右腕に体を密着させてバクバクバクとやかましく唸る心臓を黙ら


せようとした。しばらくそうしているうちに呼吸の荒さはだいぶ収まってきて、
落ち着きが戻ってきた。 かぐや姫の腕から体を引っ剥がし、さっき彼女の話
を聞いてビックリして飛び上がった拍子に、手放してひっくり返ってしまった
水筒の蓋を僕はぶるぶる震えながら恐る恐る拾い上げ、またぎりぎりまで生温
くなったお茶をたっぷりと注いだ。全て飲み干すと喉の内膜が末来の湿り気と
艶やかさを取り戻したような気がした。

「…ホントにしょうがないね。そんなことぐらいで泣きべそかいててどうすん
の? あんたオトコでしょ? …あぁもう、こんなことだからあんたはこんな
山の中で遭難したりするんだね、まったく…。」彼女は左手でサラリとした細
い茶髪の束の先端部分を無造作にいじっていた。まだ愚痴が終わりそうな気配
はなかったのだけれど、とっさのうちにその話に割り込んだ。

「あの…遅くなってごめん……ちょっといいかなぁ? 君の個人的な質問に
ついてのことでなんだけど……。」少しうつむき加減で地面の雑草を引っこ抜
いてゆっくりと話し始めた。「…いろいろ考えてみたんだけどさ、やっぱり君
が一体何者だかなんてさっぱり分からないし、判断することなんてとってもじ
ゃないけどできないよ、その…なんていうかさ、君が何者かなんて無理矢理決
定づける意味なんて果たしてあるのかなぁ?

…君は君じゃない? 一見とても美しい人間の女の子のように見えるけど、
実はすごい能力の持ち主で、キスで他人の具合の悪いところを癒すことができ
る。ふと気がついたときからずっと独りぼっちで、この大きな木の下から一歩
も出たことがない。風邪をひいたことだってないし、寒さに強くってワンピー
ス一枚でもへっちゃら。それにちょっぴりだけどすごく怒りっぽい。時々変わ
った訪問者がやって来ては君のことを褒めたりけなしたり色々なちょっかい
をかけてくるけれど、全然相手にしないし、少しも傷つかない。強くて可愛い
女の子。…そう。それが君。それが君自身なんだ。何も自分が他人と違うから
って深刻に悩む必要なんてないんだ。それを僕に聞いてみたところで何も変わ
らない。真剣に考えたところで確実な答えなんか見つかりっこないよ。だって
君は始めから答えをその手でしっかりと握りしめているんだから……新たに
答えを探さなくてもいいんだ。君は末来のありのままの姿でいればいいんだよ
…。」

彼女は首を話し手のほうに向け、真剣な眼差しで結論に聞き入っていた。話
終わると彼女は髪の毛から手をぱっ、と放ち、やがてこう言った。

「…じゃああなたの言う、その?答え?っていうのは一体何なのよ?」

それに.じた。「…それはもちろん?自分らしさ?のことだよ。君以外のあ
らゆる障害から発せられるあらゆる影響に屈することのない、他の誰のもので
もない、?君だけの強い想い?のことだよ。君は自分でも気づいていないのか
もしれないけれど、君はとてもはっきりした形のある信念みたいなものを持っ
ているような気がする。他の人間達には到底実らすことのできないような逞し
くて美しさを併せ持つ信念を君は生まれつき備えていたのか、それとも後で身
につけたのか分からないけど、とにかく君は素晴らしい才能を知らぬ間に手に


入れているんだよ。

さっきも言ったけれど、君は人間のように見えて人間離れしているところが
たくさんある。もしかしたら末当に人間じゃないのかもしれない……それを他
人は変な呼ばわり方をするかもしれないけど、そんなこと気にしなくてもどう
でもいいんだよ。それは個性なんだよ、君の。…素晴らしい君の大切な……大
切な個性なんだ。」

「…人と違うことが私の、私自身の大切な個性……。」

「うん、そうだよ、その通りだよ。」闇に目を凝らして彼女のガラス玉のよう
に透き通ったかぐや姫の瞳を覗き込んだ。そこには闇に覆われた世界があった。

腕時計を見た。

午前二時四十七分三十九秒。

視界には午前二時四十七分四十一秒何コンマの世界が存在しているのが確
認でき、そして一瞬のうちに消えていくのを愛おしく感じた。彼女の視線は黙
り込んだままじっと死に絶え続けている過去の世界を眺めているように映り、
また何らかのダイニングメッセージを丁寧に読みとっているみたいにも感じ
られた。生まれも年も名前すらも分からない長く黒い風が森の湿った空気と上
手い具合に混ざり合ってしばらく辺りの木々や茂みを吹き抜け続け、水筒の蓋
の内側の水滴を微かに揺らした。それらの水滴は冷め切った番茶の中へゆっく
りと同化していった。雲が夜空から弾かれるようにして何処か遠くへ行ってし
まい、それまで目立たない存在であった満月が僕らの頭のてっぺんから煌々と
太陽からの反射光を、すっかり闇の支配下に陥っていた地上に慈悲のキッスの
ように四方八方へどこまでも遠く投げかけていた。

周りが幾分明るくなり、かぐや姫を見た。彼女は泣いていた。涙は頬を滑空
路のように上手く利用して地上へと落下していった。ぽたり、ぽたりと。その
様子を見ていると目もなんだか急に緩くなってきて、鼻の奥からは粘り気のあ
まり無い鼻水が入り口付近まで押し寄せてきた。 人差し指と親指で両目の涙
腺付近をぐっとつまみ、鮭が秋の川を全身全霊で勢いよく駆け上がるみたいに
鼻水を勢いよく啜り戻した。月の光は二人の肩ぐらいのところまでなら照らす
ことができる明るさを灯し始めていた。そこから胸、特に下半身は依然として
まだ巨大な闇の池の中に浸り続けていた。そして完全なる彼女の顔が目の前に
あらわになった。 まるで秘宝を眺めているような気がした。月の世界の重要
指定文化財や国宝級に位置づけられるくらい素晴らしい顔の造作だった。それ
らのランクに入るための基準点などの詳細は全く想像がつかなかったけれど、
とにかく上手く説明するのが苦手な自分にはその例えで精一杯だったし、それ
で十分満足だった。









急に尿意を覚えたので近くの茂みで「おしっこ」をした。それから元の場所


に戻ってきて再びしげしげと彼女を見た。かぐや姫の美貌はおそらく素敵な女
性がより完璧さを目指して整形手術にたくさんお金を費やしても、肩を並べる
ことはできないぐらい素晴らしいものだった。これも彼女の才能の一つである
とでもいうような美貌だった。

「美しさも才能のうちの一つである。」

そんな話をいつか、何処かのワイドショーにゲスト出演していた有名なファ
ッションデザイナーのコメンテーターが口走っていたような気がする。その哲
学っぽい格言に異論はもちろん無かった。もしこの場所にそのコメンテーター
作品名:釘の靴 作家名:丸山雅史