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釘の靴

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がいたとしても、同様の意見を述べることだろう。ホントに彼女は月の国の美
の女神の化身みたいに見えた。彼女の頬に残る涙の亡骸を親指でそっと払い落
とし、その美しいほっぺたを指先で優しくさすった。にきびやそばかすやら何
かの傷跡など一切存在することを許されてはいない、絹のように恐ろしくすべ
すべとしていて程良い弾力のあるほっぺただった。 親指をそこから離すとぷ
るるん、と微かに趣深く震えた。その振動は周囲の闇の中に波紋を呼び覚ませ
た。彼女の長くて黒々とした睫毛の傘が閉じたり開いたりして、サファイアを
埋め込んだように真っ赤に染まった瞳に被さっていた。目の淵には月の影と闇
の世界とちっぽけな自身の海底に閉じこめた溢れんばかりの涙が溜まってい
て、それらは瞳を閉じると砕けて習字筆のように濃い睫毛にぴたっ、と密着し、
一瞬にして開かれると無数に細かい水の玉は陸上競技の開会式セレモニーで
出場選手達が満月の夜空に向かって一斉に砲丸を投げ飛ばしたみたいに重力
に逆らって上昇し、そして耐えきれなくなって下半身が埋まっている闇の砂丘
へと飲み込まれていった。眼には女の子の一挙一動全てがスローモーションの
ように映った。そしてゆっくりと彼女の口元が僅かに上下左右斜めに柔軟し始
めた。

「私は…それじゃあ…私は一体何者…かな?…」

「…君は君自身だよ。その人並み外れた美貌と才能のために、人間という狭苦
しい.から飛び出してしまっただけなんだよ。」

「…それってあなた方人間にとってすごく恥ずかしくてうっとうしくて迷惑
で目障りなもの?」

「…いや。」と答えた。「心の醜い人間達にとってはそうかもしれないけど。」

「…あんたもその内の一人?」

「うーん…どうかなぁ、君にそんな感情を持ったことないよ…けど、それはま
だ子供で人間として.熟者だからかもしれない…

…この先大人になったあと再び君に会うことができたなら…もしかしたら
そのときは君を苦しめた人間達のようになっているかもしれないし、もし完璧
な大人の人間になってしまったら……君を傷つけるかもしれない…クスクス
ゲラゲラ笑いながら…君が嫌がることを平気で…自分の欲望と快楽のために
……そして、より良く自分らしく生きるために…」



かぐや姫は黙っていた。自分もやはり黙っていた。強い秋風が冬に備えて色


を失いつつある山吹色の木々をバンパーにして、塗装が剥がれて銀の光沢を失
ったパチンコ玉のように辺りを中心に暴れ回っていた。落ち葉や木の実や土や
虫や動物や人間の死骸の粉や二人の沈黙が宙を華麗に舞った。やがてしばらく
して、女の子が前回の沈黙より重い沈黙をようやく破ってこう言った。

「…ところで、あんたさっき遭難したんだって言ってたけど、誰か助けに来て
くれるアテとかあるわけ?」

「それは…。」これから口元から生まれるはずだった自信の無い言葉をつい飲
み込んでしまった。

「…きっと今頃、僕の学校の友達が下山してから呼んでくれた地元の警察官と
か自衛官だとか、ここら辺の地理に詳しい人達が捜索救助隊やヘリコプターを
使って捜してくれていると思う……たぶん…。

…僕がこの山で迷子になったことが全国ニュースになっているかもしれな
いし…ウチの家族、僕のことすごく心配してるだろうなぁ…母さんとか姉ちゃ
ん、この山を眺めながらハンカチ持ってきっと大泣きしていると思う…父さん
は……父さんは、一人こっちに来て対策末部のテントの中でただじっと黙って
腕組みして捜索隊から入ってくる最新情報を一つ残さず聞き入ってるのかも
しれない…そんな光景がありありと思い浮かぶよ……」

「ふーん…なら良かったじゃない。あなたのことを心から心配してくれる人達
がいて…。

…これはあくまでも私の推測だけれど、おそらく今日の昼間ぐらいまでには
あなた救助されそうね。だってここって、太陽が空のてっぺんに出てきて辺り
がとっても明るくなったら、山頂から簡.に見つけることができるしね。この
大木が目印になってね。もちろんここから動くことのできない私は見たことな
いんだけど、ずっと昔…と言ってもまだこの大木がまだ今の大きさの半分もな
い頃の話だけど、ある日この場所にやって来た人が?いやぁ、山頂から景色を
眺めていたら、偶然この大きな木の下に君が.るのを見かけてねぇ、てっきり
遭難者かなにかだと思って急いで降りてきたんだ?って言ってたんだ。そして
いつものように私がこの身の上の事情をその人に説明すると、これもまたいつ
も通りなんだけど、彼は変に顔が引きつったまま私から逃げるようにここから
消えていなくなった……とにかくここはとっても目立つところだから。 …あ
っ、また思い出した! これも昔、と言ってもつい最近のような気もするけど
…またある人間から聞いた話なんだけど、今ではもうこの木が大きくなり過ぎ
て死角になっているようで、山頂の視界からでは私達がここにいることは絶対
分からないらしい。だからさっきあなたに喋った話はさっさとすっかり忘れち
ゃって…とにかく、向こう側からこちら側が見えないのなら、こちら側からあ
ちら側に何か存在を示すために何か工夫を凝らせばいいだけだし。分かっ
た?」

もの凄いテンポでまくし立てるかぐや姫を尻目に、なんだか呆気にとられて
なんとなくう、う、うん…とだけしか頷くことができなかった。

「わ、分かったよ…ところで…君は?」


「何?」女の子は聞き返した。「何がよ?」「君はどうするの? …も、もし
よかったら僕と一緒にこの山を出ない?」彼女の美しい瞳に強く訴えかけた。
「…君と出会ったときからずっと、聞こう聞こうと思っていたことがあるんだ
……どうして君はこの場所から逃げだそうとはしないの? どうしてこんな
ところに独りでずっと留まっているの? 理由は? なんで? …あぁ、こん
なことはもっと早く君に言うべきだったんだ! もう一度言う、君はこんなと
ころにいるべきじゃない! 僕と…僕と一緒に脱出しようよ!」

「…無理。」彼女は目をそらしてきっぱりと言い切った。「無理。」

「なぜ? どうして無理なのさ?」

「?ここから一歩も動くことを許されない?ということが、私の?宿命?だか
らよ。」女の子の大粒の涙がまた闇の中に溶けていった。溶けて、溶けて、溶
けて、溶けていった。「どういうこと?」聞き返した。彼女は口を閉ざしたま
まだった。そして再びあの沈黙がやって来た。けど今度の沈黙はそれを肌に触
れた瞬間に破った。

「…僕はホントにいい人生に恵まれたと思うよ…他の人はこれは当たり前で
平凡で普通の人生と言うかもしれない…けど、君の今まで歩んできた人生に比
べたら……末当に幸せ者だね…友達もいるし帰る家があるし…けど君は……
意識を取り戻してからというもの、ずっとこんな寂しい山奥に独りぼっちでい
て、たくさんたくさんたくさん怖い思いをしてきて、何処にも帰る場所が無い
……これじゃあいくらなんでも、君がかわいそう過ぎるよ!」
作品名:釘の靴 作家名:丸山雅史