釘の靴
?……あなたに神のご加護がありますように、あなたに神のご加護がありま
すように、あなたに神のご加護がありますように、あなたに神のご加護があり
ますように、あなたに神のご加護が……。?
って叫びながら死んでいったのよ。」
彼女はここで話をストップさせた。それから申し訳なさそうに軽く頭を下げ
た。「…後半の聖職者の話はあなたが求めていたものではなかったわよね、余
計だったわ。ごめんなさい。」
首を掻いた。「いや、いいんだよ、全然気にしないで。その君と最初に出会
った人間がその後一体どうなったのか、話を聞いているうちにだんだん興味が
湧いてきていたからさ……それはともかく、今の話を簡.にまとめてみると、
君が言葉を使えるようになったのは初めて人間の言葉を耳に入れた時だって
ことだよね?」
「そうかなぁ…。」女の子は瞬きを素早く数回してから眼球を爽やかな晩秋の
朝空へゆっくりと向けた。そして眼球をその場に固定したまま再びサッ、サッ、
と軽やかな瞬きを繰り返し、鼻息で溜め息を吐き出しながらこうぽつりと呟い
た。「…間違いはない。」
そう口元もろくに緩ませないで答えたかぐや姫の長くて美しい睫毛に、小さ
くちぎれた綿埃のような雪虫が止まっているのを発見した。まるでそれは空中
散歩の途中、ちょっと疲れたのでベンチに腰を降ろして休憩している北国の氷
山に隠.している仙人のようにも思えた。しかし五、六秒したあと、彼女が再
びパチパチと瞬きをすると、雪虫はバランスを崩して宙に放り出されてしまっ
て、その瞬間、それに勢いよく息を吹きかけた。すると体をくるくると回転さ
せながら何処か遠くへ飛んでいってしまった。その光景を静かに見届けながら、
やっと彼女に語りかけ始めた。
「…もしかしたら、人間の言葉が君の言葉の記憶を蘇らしたんじゃないのかな
ぁ? だって、一度人間の言葉を聞いただけでそれをすぐに使いこなせるよう
になるなんてことは、ずっと昔から君はたくさんの人間達に出会ってきて、
様々な言葉を彼らに浴びせられたり逆に浴びせたおかげで今は流暢に言葉を
扱えるようになった、というのとは全くわけが違うよ。根っこの部分から異な
っている。そのことが意味することはただ一つ、
?やっぱり君は相当長い期間、誰かから言葉を学んだ。?
ということなんだよ。それ以外に考えられない。でも君にはそのような記憶
がまるっきりないんだ。」
「うん、そう。たぶんその通り。」彼女は頷いた。「それはそうと、随分前か
らあなたが言っている?誰か?って一体何者なの? だいたい予想はついて
るんでしょ? もういい加減話してくれたっていいじゃない? 別にもった
いぶらなくってもいいんだから。」
沈黙の入り込む隙間なく答えた。「……これはさっき繰り返し君から話して
もらったことをベースにしている推論ともいえるし、僕なりの結論なんだけど
…。
…もしかしたら君に言葉を教えてあげたのも、君の元へメッセンジャーを送
ったのも…それから…それから……君の両足にそんな大量の釘を打ち込んだ
のも、全部、その、
?誰か。?
なんじゃないかなぁ? そう考えるととっても今までの話に太い一末の筋
が通ったみたいに理解しやすくなるんだ。裸の君にワンピースをわざわざ回り
くどい方法で届けたのもその?誰か?の仕業なのかもしれないし……うん、や
っぱりそう考えるほうが自然といえば自然なんだ、きっと……でも、その?誰
か?が一体?誰?なのかは残念だけれど僕には分からない。
それが?人間?であることには間違いないんだろうけど……ここまでが今
の僕の狭い知識と浅い推理力で考えることのできる範囲の限界だよ…これ以
上先には……君がまた再び何か思い出してくれない限り、話を進めることはで
きないけど…ごめん、僕、頭悪くって、全然頼りにならなくって…末当にごめ
んね……。」
「…いいよ。」
彼女は今まで一度も聞いたことのないような優しく、そして切ない声で僕を
制し、柔らかい手で頭を撫でてくれた。「…私だって、昔のことほとんど何も
思い出すことなんてできやしないのだから……あなたは末当に私のためによ
くやってくれたと思う……ありがとう。」
「でも…。」
「気にしないでったら…。」女の子は美しい瞳からこぼれ落ちる結晶のような
涙を丁寧に拭い、それから空を眺め、話し手へ向いた。「…あ、あれ、もうす
っかり太陽があんなところまで上がってる。もうそろそろじゃないかな、誰か
があなたを探しにここへやって来るのは。」
そう言うと、かぐや姫は大木によしかかってまた空を仰ぎ、西の山の陰で朝
日の光によって姿を消滅されかかっている満月をぼんやりと眺めた。時計を覗
いた。
…午前九時四十三分。
視線を隣に移した。かぐや姫は口をつぐんでいた。彼女の両脇から白い湯気
のような沈黙が大木のドームの下で立ち上り始めているような気がした。
…沈黙。
小鳥の可愛らしい鳴き声。
…沈黙。
動物が獲物を食いちぎる物騒な音。
…沈黙。
今にも死に絶えそうな枯れた草木達の最後の大自然に対する抵抗と囁き。
…沈黙。
土は水辺で風と蟻と飛蝗と然るべき原因、理由と共に踊る。
…沈黙。
猛烈に自爆を熱望している地球の嘆き。
…沈黙。
彼女の頬に漂う美しい詩の数々。
…沈黙。
…沈黙。
断続的な沈黙と生ある者の為にだけに送られる祝福と喝采。
生無きものなどこの世には存在しない。
…そんなことが果たして、誰に断言できよう?
風に?
然るべき原因、理由に?
涙に?
沈黙に?
僕に?
彼女に?
彼女を罵った不特定多数の奴等に?
全裸のまま何処かへ行方をくらました親子に?
「誰か」に?
それとも……何に?
四
それからしばらくの間、惜しむことなく自分の身の上話をした。勉強が大の
苦手なこと、スポーツではサッカーとドッヂボールを休み時間にクラスの友達
等と一緒にプレーすることが学校に来る目的の一つとなりつつあること、もう
一つの目的はおいしい給食のデザートにあるということ、担任の先生のお腹が
この森の入り口にそびえ立つ大きな岩のようにぽっこり出ていること、その先
生が隣のクラス担当の美人な先生のことが大好きで、廊下や職員室で会うとい
つもしつこく話しかけていて、その美人な先生がとっても迷惑していること、
その先生のお腹を使ったゲームを考えて遊んでいたら、ある日とんでもない失
敗をして先生方や両親にたっぷりと叱られてしまったこと、その事件は「ポコ
ペン事件」という学校伝説として語り継がれることとなったこと…。
先週の月曜日にうちのクラスに遠い外国の日末語学校からお父さんの仕事
の都合で転校してきた、ずっごくカッコイイ男の子にクラスの女の子達がメロ