釘の靴
だけですっかりお腹がいっぱいになってしまった。リュックに入っていたお菓
子や非常食は夜の眠りから覚めた蟻などの昆虫や狐のような小動物達がここ
へ集まって来て可愛らしい女の子に体を撫でられながらパクパクと旨そうに
囓っていた。彼らはそれを十分も経たずに全て平らげてしまった。ビニールの
袋だけがボロボロに破り裂かれてそこに残っていた。彼らにすっかり感心して
しまった。彼女も然り。しかし、彼女の表情は相変わらず長い長い昔話をする
前とほとんど変わっていなかった。いや、むしろ悪化したといっても過言では
なかった。
動物や昆虫達が満腹になって立ち去ったあと、彼女は相手の顔の方さえ向か
ずにこう話しかけてきた。「……それで、何か分かった? 今まで私にさんざ
ん喋らせたんだから、今度はあなたがたっぷりと私に説明する番。…ではよろ
しく。」
もちろんその規約の承諾を示す頷きを何度もした。「…うん、分かってるよ。
考えはもうまとまっている。でもその前に、一つだけ君に質問したいことがあ
るんだ。」そう言って女の子のいる大木の根末まで歩いていった。途中、彼女
の血で変色した土の上でそれと酷似した色の体を持つ変な虫をスニーカーで
ぐにゅ、と潰してしまったような気がしたけれど、そのまま立ち止まらずにや
って来た。
「君、どうしてそんなに言葉使いがとっても流暢なの?」
肩に上ってきていた狸の子供のお腹と髭を交互に引っ張って遊んでいたか
ぐや姫は自分の足元に群がっていた虫達が話し手の足元に向かって大移動し
ているのを面白そうに眺めていた。「さぁ? どうしてかな? そんなこと考
えたこともない。どうしてそんなこと聞くの?」
「だって、君は今までずっと独りぼっちでここに暮らしていたんだろ? なら
どうやって言葉を使うことを覚えたのさ? あのねぇ、今君はとっても自然に
言葉を操っているけれど、そんなこと、?ずっと独りぼっち?では例え寿命が
一万年あったって無理なんだよ。?他人に教えてもらう?方法以外は。君はひ
ょっとして、誰かから言葉を学んだんじゃないの? …僕の言っている意味分
かる?」
女の子は横目でチラッ、とまるで雑草の枯れ具合でも観察するような感じで
見て、すぐさま反対側の茂みの方に視線をずらした。自分の彼女と同じ視線の
留まっている場所を眺めた。そこには黄色の小鳥が一羽、葉っぱにへばり付い
ている微々たる生物を嘴を器用に操ってパクパク、ムシャムシャとほおばり、
粗未で質素な朝食を心ゆくまで味わっていた。 じっとその光景に見とれてい
ると、その視線に気づいたかぐや姫は狸の子供をそっと地面に降ろして、突然
会話を再開させた。
「私は誰から言葉を教わったのか、いつからこの大木の下に立っているのか、
ということも自分ではさっぱり分からない。もうここには随分長いこといるよ
うな気がするけど……実はさっきあの小鳥を見ていてふと思い出したんだけ
ど…記憶が正しければ一番最初に言葉を発したのは、私が一番最初に人間と出
会ったときだったと思う。その人間の被っていた帽子には黄色の小鳥の模様が
描かれていた。彼は私に近づいてきて何か声をかけてきた。すると、何故だか
分からないけれど、不思議とその人の言葉を聞いた瞬間に、私は彼に対して対
等な言葉を返していた。?おーい。?っていう具合にね。…驚いた。もちろん
自分によ? それもとっても。まぁ、当然と言えば当然かもしれないけれど、
向こうは私のそんな心の中で発生した?劇的な雪解け?になんてちっとも気
づいていなかったし、そんなことよりも両足に釘を打ち込まれた裸の私を見て
すごいびっくりしていたみたいだったしね。それからその人私に恐る恐る少し
ずつ近づいてきてこう言った。
?……キ、キミ、だ、大丈夫かい? 一体何があったんだね? お、おじさ
んが今、た、助けてやるからな…ま、待ってろよ!?
って。で、その人はまず私の肩に自分の着ていた上着を脱いで掛けてくれて、
それから私の足元にかがみ込んで両足の釘を抜こうと一生懸命頑張ってたん
だけど、地面にのめり込んだ無数の釘を引っ張れば引っ張ろうとするほど、両
足から真っ赤な血が噴き出してきては周りに飛び散って、地面や草や花や昆虫
達や空気やもちろん彼自身や彼の報われない善意を容赦なく汚く、そして醜く
真っ赤に塗りつぶしていった。
しばらくそんなことが続いたあと、その人はとうとうあきらめて私の足から
手を引いた。辺りには見るも無惨な光景が広がっていた。察しの通り、状況は
以前と全く変わらないばかりかさらに悪くなっていた。…私の出血が止まらな
かった。慌ててその人は背負っていた大きめのリュックから透明な箱の中の注
射針を何末か取り出して、キャップを外して私の傷口にぐさ、ぐさ、ぐさ、ぐ
さ、っていう具合に連続して突き刺した。そしてしばらくすると、みるみる両
足の出血が少なくなってきてしまいにはすっかり止まってしまった。その経過
を真剣な眼差しで見ていた彼は緊急治療が成功した喜びを深い溜め息と年季
の入った笑顔で表して、視線を私の顔まで上げたわ。すると突然、彼の表情が
崩れた。
?どうしたの??
と私が尋ねると、彼は体をいきなりぶるぶると小刻みに振るわせだして、
?わ、私はどうやら夢を見ているようらしいな、そ、それもとびっきり現実
的でリアルな夢を…そろそろ目覚めようではないか。出勤の時間だ…。?
と理解不能なことを言って、ポケットを開けて封筒に入っていた白い粉みた
いなものを一気に口に流し込んでそのままばたっ、と泡ふいて倒れちゃったの。
私、どうして倒れたのかわけが分からなくて、彼をそのままそっと寝かしてお
いた。一.、彼が私の肩に掛けてくれた上着はそっと彼の冷たくなった体の上
に被せておいたんだけど。
その後何週間が経って、久しぶりにやって来た訪問者が彼の横たわる姿を見
て、
?あぁこれは自ら薬を飲んで死んだんですね。強力な毒性の薬物を使って…
…こんな市場に出回ってないものをこう安々と入手できるのは、おそらく彼が
医療関係の会社で働いていた人間だからでしょう…私も以前そういう方面の
仕事に就いていたものですから、これがすぐに毒物だと分かりました。きっと
彼はすぐに天国に行かれたんでしょうね。羨ましいですな。今は聖職者の身で
ある私の手元にはあいにくロープしか持ち合わせておりませんので、彼の何倍
も何倍も地獄の苦しみを味わなくっちゃなりませんがね……ははは…もう疲
れたんですよ。これ以上神の救済をただじっと黙って待ち続けることにね…私
から直接神の元へお伺いすることにしたんです…。?
そう呟くとその人は土を掘って彼の死体を丁寧に葬って何か分厚い末を読
んで随分長い間独り言をぶつぶつ言ったあと、そこの木の枝にロープを吊して、
首に輪を通してぶらぶら揺られて悲鳴と奇声を上げて、変わった歌を口ずさん
で私の方をじっと凝視しながら苦しげな表情で、