釘の靴
達二人はもう既に崖から飛び降りて死んでしまっているかもしれないし、例え
その時思い止まって自殺を止めていたとしても、全裸でこの森から出ることは
まず考えられないよ。だって裸の赤ん坊を抱き抱えた若くて綺麗な女性が平然
として人目につく場所をうろつき回るなんてありえない話だからね! とん
でもない騒ぎになるよ、きっと…ある意味で君もその時のままの状態で人前に
出ていったら恐ろしいくらいに注目されそうな気がするけど…。
けどまぁ、君は例外といえば例外に当てはまるのかな。存在自体すっごく珍
しい例外的な存在だから……やっぱり、その人達は末当にこの山の中で自ら命
を絶ったのかもしれないし、あるいはお腹が空き過ぎたり凍えたりして死んじ
ゃったのかもしれないし…さすがに生身の人間は君のようにこの山の驚異に
耐えられる特別な能力なんて持ち合わせていないからね。彼女達はさ…たぶん
…だから彼女達が現在、この山の何処かで見事に生き残っているなんてとって
も……僕にはとっても考えられないなぁ。」
「いや、でも、だけどあなたの考えはたぶん間違っていると思う。」かぐや姫
は依然と変わらず、ちょっと視点を変えて見てみれば様々な種類の表情を垣間
見ることができるような複雑さを整った顔面にびた、と貼り付けたまま反論し
た。目には彼女の表情は反抗期のちょっと憎たらしいけれども、キュートな美
しい女の子のように映った。久しぶりに少しばかりドキッ、とした。
「私、なんだか分かったような気がする。…あなたは間違ってる。」
「何がおかしいって言うのさ?」彼女に尋ねた。
「なんであなたは勝手に彼女と赤ちゃんが死んだもんだと決めつけている
の?」
ひるんだ。「…そ、それはさっき君に説明したはずじゃない。色々あれこれ
考えてみてもやっぱり彼女達はこの森で最後を迎えたとしか僕には思えない
んだ……うん、やっぱりそうとしか結論づけられないなぁ。」
「じゃあもし、彼女達が前もって着替えを持参して私の元へやって来ていたと
したらどうなのよ?」
「それは…。」思わずはっ、とした。…そんなことにも気づかなかったなんて。
頭がそこまで回らなかった。寝不足のせいなのかもしれない。ただ.に僕の思
考能力が彼女に比べて低いせいなのかもしれない。なかなか次の言葉が出てこ
なくてイラついている女の子が自問自答した。落ち葉が大木の枝からちぎれて
さっきの嘔吐の溜まりに落ちて浮かんだ。
彼女は推理し始めた。「…私に出会う前に、彼女は何処かの茂みか何かに着
替えの服の入った鞄とか袋を隠して置いて、私のところにやって来て不可解な
言動を繰り返した後、突然全裸になって私にワンピースを渡し、そのまま姿を
消して崖から自殺したように見せかけといて、末当はその持ってきた荷物を置
いた場所に戻ってきて代わりの着替えを身につけてこの山を出ていったんだ。
…私の考えは絶対正しい。そしてあなたの考えは間違いなく欠陥だらけのポン
コツ。」
しばらくじっと考え込んでいた。使えないポンコツ頭をフル可動させて。彼
女は自信満々といった様子で白く華奢な腕組みをつくり、少し勝ち誇った態度
とこの朝の森の静寂な雰囲気とを見事にマッチさせて美しく輝いていた。その
光景には不思議と違和感はなかった。足元の悲惨な状況でさえも…だ。やっぱ
りだいぶ疲れているんだなぁとよくよく思った。
「…そりゃあ君の推測に欠点はないように思えるけどさぁ、さっきも話したん
だけど、どうして彼女達…と言っても赤ちゃんは何もできないだろうけど…は、
どうしてそんな意味のないことをしなくちゃいけなかったんだろう? .な
る君への嫌がらせ? にしてはちょっとやり過ぎていないかなぁ? そうい
うことには君はもう慣れきってしまっているしさぁ、彼女にとってそのパフォ
ーマンスは一体何の得になるっていうんだろう? もし、ストレス発散の為に
そんなことをするなんてちょっと異常じゃない?
…確かに君のところにやって来る人達はみんなおかしくなっちゃった人間
ばっかりだけどさぁ…やっぱり彼女は気が狂ってたんだよ。そうとしか僕には
思えない……けど、それ以外に彼女の不可思議な言動の理由として考えられる
ことと言えば、ただ一つかないような気がする……。」
「…何?」女の子はゴキュリ、と風情な音を鳴らして唾を飲んだ。
一度大きく深い深呼吸をしてから答えた。「…彼女達はもしかしたら、君に
何か?どうしても伝えなければならないこと?があってはるばる何処かから
ここにやって来たんじゃないのかなぁ?」
「?どうしても伝えたいこと??」彼女は美しい両眉毛を定位置から移動させ
て共に近づけ、程よい弾力を兼ね備えた魅力的な上唇で下唇を被せ、噛んだ。
そして吠えた。「…一体どういうこと?」
「僕の思う限りではたぶん彼女は?メッセンジャー?だったんだよ、たぶん…
…全く自信がないけどさぁ…。」
かぐや姫は一瞬キョトン、とした。「?めっせんじゃぁー?って何?」
「…あっ、ごめんごめん。」すっかり忘れてしまっていた。「君が知らない.
語はあまり使わないつもりだったんただけどなぁ、ついうっかりしてたよ…あ
のね、メッセンジャーっていうのは、?ある人?が?ある人?に今すぐ何か?
どうしても伝えたいこと?があるんだけども、色々な事情で自ら直接?ある人
?の元にそれを伝えることができない状況にあるときに、?第三者である、あ
る人?がその?ある人?に代わって用事のある?ある人?の元へ至急、?どう
しても伝えなければならないこと?を届ける仕事を引き受ける人のことなん
だ。でも、最近、そういう仕事の依頼を頼む人も頼まれている人達もあまり見
かけたことないなぁ。僕はまだ子供だから大人の社会を見渡す力なんてないか
ら断言することはできないけれど…でも、なんとなく彼女は?誰か?から君の
元へ届けなければならない?大切なメッセージ?を引き受けて君に会いに来
たような気がするんだ。」
「だからあなたの言う?誰か?が私に?どうしても伝えなければならないこ
と?って一体何なの?」牧場の牛の歩調のようなのんびりとした口調は彼女の
怒りのボルテージをだんだん上昇させているようだった。その火山が噴火しな
いうちに、次の言葉の塵埃を頭の中で掃除機のようなイメージがぐんぐん吸い
込んでいく。そしてしばらくしてなんとなく考えが丸くまとまった。
「…君がさっき僕に教えてくれた話をすまないけれどもう一度喋ってくれな
い? ちょっと確かめたいことがあるんだ。」
かぐや姫はもの凄く綺麗なしかめっ面を僕の視界にジュッ、と焼き付けた後、
渋々ながらもさっきよりもより克明に再び話し始めた。話全部を聞き終えて時
計を見てみると、デジタル腕時計はもう午前七時六分を示していた。早朝独特
の大気が二人を、この最期の黄金の森を、そしてこの今にも死に絶えそうな山
全体をすっぽりと覆い尽くしていた。朝食はこの朝の森の新鮮なエキスをたっ
ぷりと含んだ空気で十分だった。ホントに美味しくって、二、三回深呼吸する