釘の靴
彼女の上機嫌さになるべく水を差さないように、そっと慎重に尋ねてみた。
辺りの気温はいつの間にかかなり上昇しているようだった。
…もう朝だ。
真上で雲一つ無い澄み切った晩秋の空の領域を、枯れ果てた葉っぱの付いた
枝先で強引に確保しようとしている大木は、冬を知らせる使者が巻き起こした
風に揺られてとっても気持ち良さそうだった。
「あぁ、これねぇ…。」彼女の表情はさっきとは一変してやはり少し崩れてし
まった。しかし先程のようにきつく怒ったりはせずに済みそうだ。女の子は続
けて言った。「…まぁ、激しく動かなければ痛みというものは全く感じない。
昨夜私があなたを助けるためにキスした時みたいに、しゃがみ込んだり前屈み
の姿勢をとったらたまにビリビリビリ、って鋭い痛みが走ることがあるけど…
今はそれにもだいぶ慣れてきたし、全然大丈夫。」
「その途中までしか抜け切れてないやつは……やっぱり君が自分で取り除こ
うとしたものなの?」
「……うん、そう、それももちろんあるんだけど…」そこで一旦かぐや姫は口
をきゅっとつぐんだ。「昔…といっても随分前の昔の話だけど……あのねぇ、
一.言っておくけれど、こういう話はあなたが私の?おともだち?だから喋る
んだからね、そこんとこ、よく分かってる?」
「も、もちろんだよ…。」なぜかおどおどしながら答えた。「け、けど、そう
いう重要な話があるんならなぜ、もっと早く教えてくれなかったの? 昨夜、
君は自分自身について知っていることは何も言ってくれなかったじゃない?
どうして今までずっと黙ってたの?」 ごくり、と水分をたっぷり含んだ唾
を飲み込んで彼女に問いただした。
「え? そんなの簡.。だって、その時はまだ私達、全然ともだちの仲じゃな
かったじゃない。」女の子は平然とした口調で素っ気なく答えた。「だからに
決まってるじゃない。」
「わ、分かったよ…。」と理不尽じゃないといえば理不尽じゃない正当な理由
に仕方なく頷くと、「そう、ならいいんだけど。」と言って彼女は一度しばら
く口をつぐんだ。沈黙という程の沈黙ではなかった。もちろん昨夜の完全な沈
黙とは比べようもないくらいレベルの低いただの間だった。しばらくしてかぐ
や姫は話をぽつりぽつりと始めた。
「…えーっと、私の中にある現時点で最も古い記憶がによると……夏のすごく
蒸し暑い夜に、わけも分からず顔にたかる羽虫を追っ払いながら、ただもくも
くと両手の十末の指を使って自分の両足に突き刺さった釘を引っぱっている
記憶…。
…その頃はまだ釘もこんな色していなくてきれいな鈍い銀の光を発してい
た。虫達だって私の足にそんなには近寄ったりしなかったし。ましてや食い荒
らすなんてことは…私、混乱していた、どうして私はこんなところに両足を釘
で打ちつけられているのかな、って……自分で自分の両足を恨み続けた、とい
うより自分自身を憎んだ…時々、この森に迷い込んだ人々は前にあなたに話し
たように、私に色々なことを言ってきたり変なイタズラをしてきたりした。そ
してそれに私はいつもいつもただじっと耐えてきた…。
…年月が経つにつれて、足元には枯れ葉や木の枝や虫や動物達の亡骸や人間
達が残していったいろんなものが増えていって、私はここに人間達がやって来
る気配を感じると必ず、足元にそういう死骸の山を被せていた。もちろん彼ら
がいなくなった後、両手でその山を退けて再び自分の足元を見るとさんざん泣
きもしたけれど……木の葉や花々が枯れて再び咲き乱れるまでずっと泣き続
けたこともあったっけ……?なぜ私はここにいるのだろう…?…この自問の
解決策だって真剣に考え込んでいた……随分長い間同じことをずっと思って
いた…けど、それから四度目の春がやって来るまで、その解決策に全く進展が
見られなかった…。」
「…その四年目の春には一体、何があったっていうの?」あぐらをくんだまま
身を乗り出して尋ねた。
「……それは桜の花びらの散り具合が一段と増したある日の夕方だったと思
うんだけど…突然私の元へ、白いワンピースと麦わら帽子を被った若くて綺麗
な女性とその人に抱かれた可愛らしい赤ん坊がやって来た。いつものように私
は足元を死骸の山で隠しといておいてね。その母親はすごい虚ろな目で私の顔
や釘まみれの足元が隠れた死骸の山をずーっとぼんやりと見つめていて、私は
?またヘンな人が尋ねてきた。はぁー、いやだいやだ面倒くさい。気が済んだ
らさっさとここから立ち去ってよね?なんて思ってげんなりしていたら、突然
彼女はぽろぽろ泣き始めて、
?おぉぉぉぉぉ!!!?
なんて叫びながら赤ちゃんを地面にぽとっと落として私に勢いよく抱きつ
いてきた。それからあまりの急な展開にあたふたしていた私の頭を撫でながら
震える声でこう耳元で囁いたな。
?…わ、わ、わ私にはみ、みんなみ、見えるのよ!……あ、あなたにと、と
ってか、かけがえのないそ、存在である…お、己末来にそ、備わるべ、べきあ、
あらゆるも、ものの、す、全てであり、そ、そしてあ、あたらし、しきし、し
しゃによってつ、つくりあ、あげられたう、美しくも、そ、そして、す、素晴
らしきき、虚構のせ、世界のこ、混沌をみ、自らふ、封印し、しているよ、よ
うにみ、見えるわ!…。
…ね、ねぇ? そ、その通りでしょ? ね、ねぇ、わ、私のい、言う通りで
しょ? ね、ねぇねぇそ、そうなんでしょ? ね、ねぇ、な、なんとかこ、答
えなさいよ、ね、ねぇってばぁぁぁ!!!……。?
って発狂しながら、突然屈んで私の足元の死骸の山を崩し始めて両足に打ち
込まれた酸化した釘を必死に抜き出した。そしてしばらくするとすっと立ち上
がって私の首を両手ですごい力で締めつけようとした……私、彼女の言葉を聞
いて全身にもの凄い鳥肌が立った…背筋がぞくっ、としたのよ。それは私が生
まれて初めて体験する感覚だった……怖くなった私は彼女を突き倒して、その
場にしゃがみ込んで顔を両手で塞いだ。
?早くここから出て行ってよ……このイカレ女!?
と心の中で一生懸命祈り続けながら…するとしばらくして辺りが静かにな
って、あぁ、やっと帰ってくれたんだ、よかったぁ……と思ってゆっくり手を
退けてみると、なんと彼女が裸で裸の赤ん坊を抱えながら私の前に立ってじっ
と見下ろしていた! …あの赤ん坊、オトコノコだったわね…。
?アレ。?
がきちんとぶら下がっていたから……そんなことはどうでもいいんだけど、
その彼女達の光景を見たときの衝撃で私、ホントに心臓が破裂したかと思った
…それから彼女は赤ちゃんを載せた方とは別の片腕を再び私の首にゆっくり
と伸ばし始めた…もうダメだわ、と心の中で叫んで目をつぶろうとした瞬間…
彼女は…厳しい表情をしながら私に白のワンピースを手渡したのよ。それは今
まで彼女が着ていたものだった…彼女の足元には脱ぎたてのくしゃくしゃに
なった白地の下着が落ちていた…。
私は彼女のちんぷんかんぷんな行動に混乱しつつも、ただ何となく軽く頷い