ジェスカ ラ フィン
ェップの後についた。
壁道を歩いて行く。ノェップと足並みを揃えた僕とソフサラコマ。僕は何か
話したくてしょうがなかった。
「なぁソフサラコマ、靴を履かなくて痛くないのかい? 君の足元を見ている
とこっちまで足が痛くなっちゃうよ」
ソフサラコマはいきなり僕に蹴りを入れた。
「うるせぇんだよ。僕の足には肉球がついているから大丈夫なんだよ。…ほら
見てみろよ」
僕は立ち止まってソフサラコマの足の裏を上げてみた。
「…ついてないじゃないか」
「冗談だよ」
ノェップは苦笑いした。
「…仲が宜しいですね。早く行きましょう。着いたら靴を差し上げましょう。
ただし皆を笑わせることが条件ですよ。靴は特別です。人参はギャラから差し
引いて差し上げますよ」
「笑わすわけじゃないよ。ウサギのパフォーマンスショーなのさ」
「そんなことは区別しなくても別に結構ですよ」
「分嘗てないなー。笑わすわけじゃない」
「…もういいです」
僕は笑ってノェップの顔を見た。ノェップは笑っているようだが心の底から
笑っているようには見えなかった。僕は表情を元に戻した。再び僕達は黙って
歩き続けた。歩いている間にノェップは、僕達が飛び降りた謎の塔のことにつ
いて教えてくれた。
「末当ですか? あなた方が飛び降りたと話していた塔は200年前、時計工
場だったのです。今はもう閉鎖して砂の中にほとんど埋まっているのですけれ
ど。そうだったでしょう?」
「えぇ」
短い緩やかな坂を上がると20メートル程進んだ先に滝があり、川に落ちT
字型に流れていた。橋の架かった先には温泉があり、橋の前で左折した先には
「ハヌワグネ時計工場」があるとノェップは教えてくれた。僕たちは橋の前ま
で進んだ。ソフサラコマがノェップの横へ寄って来た。
「あんたと交代してくれる奴と全然すれ違わないけど」
「あっ!…そう言えばそうだなぁ…どうしてだろうな…」
ノェップの顔の色は突然青くなった。
「…ほ、ほら、煙が見えるでしょう? …あれです。時計の工場は。…き、気
にしないで下さい。ドゥエン工場長に後で、これからどうすればよいか訊いて
みましょうよ…」
ノェップは油汗を手の甲を汗で拭った。滝の激しく落ちる音が壁道に響いて
いた。ソフサラコマが両耳を動かした後両足を外側に開いた。ソフサラコマは
何か考えているようだった。考えさせる時間を僕が行動しないことによって与
えているようであった。
「おい、どうしたソフサラコマ。早く温泉に浸かりに行こうよ」
ソフサラコマは真面目な顔になった。
「そういう気分じゃない。我儘だっていいたいのは分かるけど温泉に入りたく
ない」
「だってお前から温泉に入りたいって言ったじゃないか」
「それはこのおじさんにそそのかされたからだろ? 入る気になれない」
「なら分かった。…すいません、あの、工場の方へ向嘗てくれませんか? 僕
は温泉に入りたいのだけどなんか待たせたらみなさんに悪いような気がして…
ダメですかね?」
「私は構いませんよ。我侭な兎さんはどこかお気に召さないようだから。蝶ネ
クタイでも持っていたらあげたいぐらいだがね。…いいじゃないかソフサラコ
マ君、君の友達の為に.し温泉の外で待ってあげてはどうかね?」
腕組みをしたままそっぽを向いて口を結んでいるソフサラコマは考え事にま
だ時間を有しそうな様子だった。何を考えているのか分からないのが普通だけ
れど、僕はソフサラコマの考えていることを無意識の内に読もうとしていた。
ソフサラコマはノェップの言葉を全く聞いていないようだった。すると、ノェ
ップの言葉をボールのように丸めてぶつけてやりたい、といったような顔つき
でソフサラコマはノェップを睨み付けた。
「いやいいよ。君に言われなくても分嘗ている。むかつくな。憎たらしく思う
よ。エクアクスを温泉の外で待っててあげる。僕は明日のショータイムのこと
で頭がいっぱいなんだ。.し話しかけるのをやめてくれないか? 待っている
間に飲むキャロットジュースも頼む。このくそおやじ!」
ノェップの顔は真っ赤になり手が震え始めた。怒りを抑えているのが見え見
えだったが、ソフサラコマを非難しようとは見えなかった。ノェップは体を動
かせないようだった。頭の血が下がる前に肩が下がり怒っているのか冷静にな
っているのか見分けがつかないノェップは、僕には危害を加えないと分嘗てい
たが目が離せなかった。
「…よろしいでしょう。元々あなた方を工場にお招きいたしたのは私ですし、
あなた方の言葉をよく思い出してみれば悪いことを言っていませんしね。エク
アクス様でしたか? どうぞごゆっくりなさいませ。こちらのソフサラコマ様
はあなたがお上がりになるまで私達がお相手なさいますから心配なさらないで
下さい。温泉は.内温泉と露天風呂が2つございます。なかなかのものですよ。
それでは話もまとまったことですし温泉へと行きましょうか?」
ノェップは先に橋を渡り、滝を過ぎた辺りで腕を上げて手を縦に振った。
「最初からこうなることは分嘗ていたよ」
と何も悪気が無いといった様子で澄ましているソフサラコマは.し笑ってい
るように見えた。
橋を渡った後、川の流れに沿ってゆっくりと右折すること暫く、下り階段に
出た。階段の横では小川が向きを変えて崖へと落ちていた。渓谷の天然温泉は
もう1つの熱湯の滝の轟音と温泉から立ち昇る煙でいっぱいだった。階段を下
りてすぐのところに「ようこそチャイタル温泉へ」という古びた木の看板が斜
めになって立っていた。ノェップはその看板の向きを直した。ソフサラコマは
その様子をじっと見ていた。入り口の後ろには崖に生えた葉のついていない白
い幹の木が飛び出し滝はその上の岩の中から流れ出ていた。僕はその木を見て
仙人を連想した。滝の水は池の中へ吸い込まれていた。
暖簾をくぐり中へ入ってみると右斜め奥に木製の下駄箱があり中央に番頭台
があった。僕とノェップは靴を脱いで下駄箱に靴を入れた。ソフサラコマは、
「何か足の汚れを磨くものを持ってきてくれ」
とノェップに頼んで玄関の前で腰を下ろし両足を上げて溜息をついた。僕が
ソフサラコマの横にしゃがんで頭を撫で、鼻の上を親指で突付いてやると、
「エクアクスの通ってた学問所で飼われているとしたらこんなことは味わえな
いもの」
と人指し指を.し齧って僕に甘える真似をした。しばらくすると法被を着た
ノェップが手に手拭いを持ってきて駆け足で走ってきた。
「ありました。これでいいですか?」
とソフサラコマの前に差し出した。
「うん。イマイチのサイズだけど我慢してあげるよ。どれどれ…熱い! もう
ちょっと冷ましてほしかったよ…」
と両手に息をかけて冷やしていた。
「相変わらず我侭ですねぇ。そうだソフサラコマさん、さっき手拭いを持って
来る時に調理場を覘いたのですがね、冷蔵庫に食材が残っていて人参もありま
したよ!」
作品名:ジェスカ ラ フィン 作家名:丸山雅史