transcendence
争いの宇宙とは対極に在る、この大きな世界。幼.の頃に疑問に感じた事柄
を大人に成ってから理論の肉付けをし、発表することは万人に言えることだ。
僕もまたその一人で在り、陽が昇り、この大きな世界が青藍の光に染まる時、
彼等と同じような感銘を受けるのだ。ソクラテスの瞳は僕をやはり一人きりに
させてはくれない。それはきっと、僕の心そのものの影と面と向かう為であろ
うか。
暗闇を握り締めれば、不洗浄液が零れ落ちた。此れこそが心を蝕む全ての根
源なのだ。僕は老化し、何時かは創作することさえできない肉体に身を包んだ
まま、死んでいく定めで在ることぐらいは知っている。黒猫の日常のような、
だらりとした目玉焼き。TVがウインクし、笑顔を絶やさずに、しかし夜中だ
けは真剣に不特定多数の人間にひっそりと、語り掛けてくる。浮き輪が.の日
の体育館へ流れて行く。その中の空気が自由になりたがって居る。「助けてく
れ、助けてくれたら代わりに一緒に遊んであげるから」。
家電製品の死。僕は彼等の遺言と共に万人の心の湖の奥へ沈んで行く。或る
小説家の住む街の.は彼が降らせたものであると言っても過言ではない。記憶
を消す仕事をしているたった一人の友人は、腹を満たす為に、仕方なくその仕
事をしているという。僕は彼に頼む。?生まれてきた理由?を、僕の中から消
してくれ、と。そうすれば必然的に何故、詩作等を行うのか忘れてしまうだろ
うから。島国の最北端の岬、鴎、潮の香り、黒々とした.雲……。
激しい不快感が背中を叩き付ける。書物を読む暇さえない煩悶の日々。ホッ
ト・カフェオレで引き延ばす覚醒時間。音楽の太鼓、フルートの初恋。凡庸な
感受性、生温い心の痛みと嫉妬心、嫌悪感のオンパレード。生まれ付き羽の骨
の無い小鳥が兄弟達の餌食と成って居た。走馬灯の灯を吹き消し、全人類に僕
はこのまま生きて居ていいのか問う。だんまりとした調理場、大爆発、巻き上
がる埃の匂いで想起するカラオケ屋と灰皿。
折れた幾つかの爪と、解けた幾本かの呪縛への未練、後悔。自問し続ける、
変温動物のような心を持つ僕。いくら砕こうとしても砕けない無力感、先端が
曲がり続ける、研ぎ澄まされた感性。此の箱から出て、カフカが注文したホッ
ト・カフェオレを浴びる程に飲みたい。「詩とは彫刻に似ている」。若し、僕
が教師をやっていたならば、詩作をしていただろうか? そう思うとひどく心
が荒び、凍り付きそうな程冷たく成る。ドストエフスキーの生まれた街に、僕
が望む冬が訪れたならば、僕はもうこの世に居ない、と断言するのはあまりに
も現実的過ぎる危険思想だろうか?
obscurity
電灯の下、他者が.を降らせ、広背筋の左側にセメントを塗った刳られる。
僕のストレスが将来の緊張、恍惚、そして絶望、失意を生み出す。イスカリオ
テのユダに握らせた札束は、僕を一時的に盲目にさせ、本能的感情表現である
涙を流させたのだ。ユダの裏切りと涙の意味がステンドグラスから射し込む。
万華鏡を覗き込むジョルジュ・メリエスの満月。煌めく律動の川を漂って行く、
そこはかとなく美しい死体。花が咲き乱れる草叢。
骨がりん、と音を威勢よく鳴らし続けて下り坂を転がって行く。藤の花が初
恋の女性に右巻きに巻き付いている。言い様の無い虚しさが昨日の浴槽で、無
限なる切なさが今朝の己の映すパソコンの前で、それぞれ層を成して胸の奥に
堆積していく。そこはかとなく憂鬱で趣が有り、感慨に耽る日々。僕の世界は
僕の為に創られたのだ、眠気を吹き飛ばす魔法の飲み物、心に貼り付く余分な
脂肪的言葉。
目覚めた橙の大地。平常心の瞳。火照った体、ひきつけを起こした女。静か
に永眠する心…。時が、人々が、白い軌跡を遺して僕から遠ざかって行く。ま
るで巨大旅客船が大海原へ飛び出すように。疲れ果てた魂は、意識を失おうと
する脳味噌にカフェインを送り続けるが、全く逆効果だった。メラトニンが意
識を虜にし、子守唄を歌い始めた。己の成長の為に抑圧する本音。PGO波に
支配された僕の幸福。苦悩は全て自分の無知さ故であった。
雪化粧した連邦が四方を包み、清涼な水が滾々と冬の生き物達の美しき死体
を其れ等から引力に従う。「お前は詩作の地獄と現、どちらで生涯を全うした
いか?」、迷った挙句、選び出したのが「此処」。
春には生命が流れ、夏には素麺を食って人生の宿題に精を出し、秋には…が
やはり流されて行きそして冬には思い出のアルバムを整理する。そして春、時
間の概念が蕩ける春、平常心から一心不乱と変わる詩作、まだまだ続く僕の命、
空気に触れると爛れる夏、第一印象の悪い秋、革命の冬、更に春、夏、秋、冬
へと……。銀の緊箍児が音を立てて割れ、僕は思想の翼を取り戻した。改めて
読み耽るまだ小さいこの空間の空気の律動の歌詞。凍て付く皮膚、「今」、生
きて居ることを実感させてくれる脳天の痛み、僕は今まで勝ち得てきた経験や
技術への御恩を決して忘れてはならないと思った。書けば書く程、万物の世界
の万物全てに意味が有ることを知ることを再確認させてくれる。
東洋の神秘、思想に翻弄された勇ましきユング。僕がその後を継ぐよ、と幼
き精神の頃の僕という彼。思想から詩想への変移、濃縮した緑々とした苦しみ。
本日の、前世償いきれなかった業の刑務は終了です、窓辺に置いた珈琲の入っ
たマグカップの皮膚に鳥肌が立っていた。「何故今まで詩作を怠っていたの
か?」/「全て、甘え、故にです」。やはり僕にはまだ、現実を直視すること
は不可能であった。
動かない自然の氷、皇帝ペンギンの腹滑り、僕の唯一の友達だった、約二十
年前ののらくろ。やっと眠ってもいいのだろうか、花火が次々と上がっている。
肉体は熱を失っていき、僕はそこはかとなく詩作とは完全に切り離された絶望
に満ちた日常へと戻って行く。そこはかとなく、山田かまちの詩集の虜となり、
この地球上での争い事を好んでいた幼き頃の無知な自分に同情するどころか
敬意を抱いた僕なのであった。
pain
僕の中に新たな人間が生まれ、木枯らしの吹く中、葉を落とした木の下で彼
と僕はゴドーを待って居て、己の無知さ故か、僕は彼のこめかみに銃弾を食い
込ませる心象を抱いてしまった。彼も僕と同じ匂いを放つ人間だというのに。
僕と彼は切ない。彼と人間達は切り離されていて、この僕とくっ付いた。遠
くには細長い死の絶望が見える。白骨化した人間の死神が鎌を右肩に載せてす
すす、とやって来た。黒いフード付きのマントを被った彼(彼女)は僕と彼に
自殺を促し、静寂をようやく齎す。木枯らしの額に汗が伝う。死神は自分の首
を切り落とし、更に世界という世界に静寂を齎す。夜が擬人化してやって来て、
死神の遺骸をぼりぼりと腐食していく。夜の果てしない物語は僕と彼を退屈さ
せ、だが、物語が終わるまで僕と彼は一度も会ったことのないゴドーを待ち続
けることはできないだろう。
夜の物語がようやく終結した後、僕と彼はやはり曇り空の下、ゴドーを待っ
作品名:transcendence 作家名:丸山雅史