transcendence
生。安全な文体は僕に怠惰を齎し、欲望を岩のように硬くさせる。今から四十
年前、灰色と暗闇の時代に僕は生まれたかった、極個人的な願望は射殺、とい
う他人の手段によって息絶えてしまった。
女のコントラバスの弦が切れた時、僕の死体は動き出し、何の利得を期待等
せず、修理に精を出す。物語の嫌いな女は感謝一つせず、硝子玉を拾い上げて
指を切り、血を流し、其れ等を僕の口の中に放り込む。太陽の光射す場所が一
番嫌いな僕は、無言で女から後退し、闇に燃え尽きる。硝子玉は坂道を転がり
続け、港の前で止まって死刑宣告を受けた太陽を撃ち殺す銃弾と化し、ぶれ始
めた意志の在る方角に向かって発射して行った。僕という人間の影は僕を生き
返らせる術を知っているのだと思う。影には僕の意思 以外全て備わっていて、
この世に生きる他者達全員に落胆している。其処が僕と違うところかもしれな
い。
午前三時に成ると、執筆中の僕の背筋が急に軽く、そして温かく成った。エ
コーの掛かった雲よりももっと高く僕の想像力は昇って行き、満月をがっしり
と掴んだ、満月を抱き締め、午前三時に降り注ぐ星々の光は僕の心に幾つもの
穴を開け、其れを癒す為に臨月の女を抱いた。
ナイフの影に刺された僕、ぶるぶると震える港町。先入観の陳腐さと、機械
的兵士の行進。飛び出した土筆のように地球上に屹立する前述の四つの心象。
自衛軍の迷彩柄、リムジンの静止した世界、影、影、影。フックに垂れ下がっ
たずぶ濡れの心は、悲しみと涙を本能的に二分化している。動き出した鎧、記
憶の中の電灯、合わせ鏡の前に立った僕は、無限を垣間見る恐怖によって脳髄
が破損した。貸家とこれから成るであろう貸家を掻き分けて、夢の中の電話に
出る。長い、永遠の映画を観た。背筋の筋肉が発達していない為に再生される
自殺願望を恐れる僕と、恍惚感に浸る女、其の女に心を噛み砕かれた僕は、一
生このような散文詩を書き続ける、其れは正に快感である。
apple
海魚の肉に染み込んでいる、潮の香り。僕は其の匂いを嗅ぐと無性に切なく
なり、涙を堪えるのだ。生クリームとカスタードクリームの冷たさ。僕は其れ
等を口に含み飲み込むと、後頭部に頭痛が起こり、内臓一帯が冷え切るのだ。
此の鎮魂歌によって導かれるアマデウス大聖堂。僕にとって散文詩を書いて居
る時が生きて居る中で最も幸せな一時であり、其れはまるで日溜まりの中、眼
球の痛みの先に在る、世界で一人きりで居られるような、そんな気持ちである。
世界の鼓動がやはり等身大の僕を一人きりにさせてくれないが、其れは彼女の、
僕に対する愛情なのかもしれない。
風のヴァイオリンが弦を空中に放す時、僕は仮死状態に陥る。オートマティ
スムのような散文詩が絶賛されることに絶望した故に。世の人々は何を求めて
居るのだろう? 僕にはまだ其の答えが出されない。コントラバス、ベースギ
ターは其の絶望を奏でる楽器であり、其の反動として僕は今までも、そして此
れからも、自分の散文詩に完璧を追い求め続けるのだ、猫の鳴かなかった夜に、
戦争が根絶する夜に。
空腹を満たす為に散文詩を書く事自体は今の時代、難しいのかもしれない。
変調した両瞼に、僕は恍惚を感じ、沿線の夜道を歩きながら、決して繋がるこ
との無い女の電話機に、祈りを捧げた。詩人は彫刻家に何処となく似ている。
完璧な文章は今此の空間に存在を始め、此の世界の陳腐な謎を解き明かすであ
ろう。「等身大の自分」、其れが一番、死んでいった女の眠りを妨げる為の文
章と成り得るのではないだろうか?
脳裏に空白の空白が浮かんで居て、其れは宇宙よりも速い速度で拡がって行
く。連続的心象の切断、接合、女と寝た後のA・ブルトン的非シュルレアリス
ム宣言、只川のように蕩け流れていく其れ等。失明した心、エトピリカ。植物
園の地獄、蟻の歩行、此れ等は全て僕の冬の時代のフラッシュバック。
飛び跳ねる玉虫色の水滴、水面の全ての生理的現象。記憶を拾い、また記憶
を拾う。熱病の伝染、くしゃくしゃに丸まる左瞼の報酬。歯止めを効かすオー
トマティスム。エトピリカの羽音、二十代以前の全てが心的外傷、高校生時代
の机、僕の心情吐露、居心地の悪い天国、居心地の良い現実。光の粒子の無量
大数が僕だけの空に染み渡り、僕を津波のように包み込む。
今までの文章を再読し、極度の安心感からか、眠気がやって来る。瞼を顔面
の皮膚に食い込ませ、ひたすら詩作に向かう。シメントリーの中心から針が飛
び出して来て、僕の両目を突っ突いた。大奥の主人公は女達に苛められ、将軍
は見て見ぬふりを、彼女の精神的成長を半ば願って居る。「人魚掬い」に群が
る無知な男達、「命よりも自分の創作物に力を注ぐ君は、本当に純粋無垢で馬
鹿極まりないね」、と何時かは終わってしまう詩作のクオリティーを高める僕
を責め立てる「女」。
流星が。胸が熱く、痛い、両腕の体温が下がっていく。音楽家達の宴、混じ
る僕、細く、願わくば太く、脈々と、それこそ無限に永遠に読まれるのならば、
僕は此の散文詩を書いて幸せである以上に、二十代以前の心的外傷は塞がるの
ではないだろうか。僕はあの女が好きなのだろうか? 心のしこりが解れ、胃
の中で溶け、僕は僕の事を愛してくれる「女」を好むように成った。痺れを切
らした僕はあの女とセックスをする想像をし、男根の根元が硬く、温かく成っ
たのを感じた。
masturbation
緑の十字架、金髪と銀髪の女達から連想される御伽噺。深い森の中、苔生し
た倒木を渡って行く白髪の女。産毛が燃える程の寒さ。インスタントカメラが
吐き出した三枚の、三人が一人ずつ映った写真。素朴な感情に半面しか焼いて
いないホットケーキを連想、巨大冷凍庫から無へ、夕暮れの綺麗な橋から見渡
すあの光景。ラ・カンパネッラ。不快感を吹き飛ばす、彼から洗礼を受けた意
志と努力。
さようなら、Garden。玄関の扉の鍵が.し乱暴に開けられ、チャイム
の鳴る音。美しき女性達が冬の空に溶けて、心臓の実を頬張り、己の心臓の拡
張を目指す。流れて行く不安感が浮遊して、噴射寸前に鼻腔の奥の粘膜に融け
ていく鳥肌。二箇所からの頭痛が僕の先程みた夢のコメディアンを覚醒させ、
彼等の現実世界での隔たりをアダルト達に痛感させていることに気付かない
ことの滑稽さに笑う。
逃げろ。無人島からの律動が消滅する前に。僕は胸の奥に彼の無常さを感じ、
何れ水没する彼の身代わりと成る。僕は孤独で虚しい存在で在り、空白の地面
に落ちて居た煙草を記憶した。体の凝りが溜まった軟体動物のように、僕はく
ねくね、うねうねと海底を這い、やがては河豚の毒に中って死んでしまう。明
るい散文詩には暗い曲を、暗い散文詩には情熱的な曲を其々付けて、其れ等の
矛盾さに空白、つまり虚無を感じなければ詩人として失格であると考えて居る、
おぞましき自分。
鰥夫達の葬列、空は腐敗した雷雲に覆われ、荒地には皮膚を裂く様な虚しさ
が吹き荒れている。女の剣が僕の脊髄を貫通させ、柄の部分で美しい両目を抉
作品名:transcendence 作家名:丸山雅史