MARUYA-MAGIC
昼食を取ろう、という話になった。暫く嘘の夢報告をしたことへの後悔と罪悪
感で頭が真っ白になっていたが、突然君が笑顔で助手席の方の窓を軽くノック
したので、吃驚して天五に頭をぶつけた。
末当なら初夏の日曜日のまだ涼しい午前の朝に、快晴の下、君とオープンカ
ーで潮の香り漂う海岸沿いをどこまでも走っていきたいのだが、この土砂降り
に加えて、アルバイトという身分でオープンカーなど乗れるわけないと妄想を
掻き消して、ワイパーが規則的に絶えずメトロノームのように動く様を見て一
種の虚しさを感じた。それでも、君はずっとにこにこしていて昨晩の見た夢に
ついて詳細に延々と語っている。?君は想像力が逞しいね、いっそのこと今ま
で見た夢を組み.わせて物語にすれば、一冊の末になるんじゃないかな?、と
素直に思ったことを言うと、君は?私は貴方と二人だけの楽しみを商業的な目
的の為に使いたくないの?、と膨れっ面をし、カーナビとグルメ雑誌を照らし
.わせて、?もうちょっと行った先のパスタ専門店で昼食を取りましょう?と
提案を無視して答えた。小一時間かけて食事を済ませている間も.は降り止ま
なかった。当たり前だ、天気予報はこれから一日いっぱい.だと報じているの
だから。中古の軽自動車に乗り込み、?これから何処へ行く??、と君に質問
すると、君は突然曇った表情をし.し俯くと、?貴方、昨晩の夢で私とあても
なくドライブに行った後に何処に行ったの??、と真面目な表情をして訊いて
きたので、一瞬声が詰まり、思考が停止して、暫く沈黙が流れた後、やっぱり
白状しようと思って口を開こうと思った瞬間、君は、?.は今まで貴方に送っ
ていたメール、全部『嘘』だったの、末当はいつも貴方が朝メールで送ってく
れた内容の『後』、つまり『続き』をその夜に見ていたの、そしていつも夢の
最後にはいつも夕日がビル群の陰に沈んでいって、.が上がって虹が見える場
所で貴方とキスをするのよ、私…貴方のことが好き?、と言った言葉が脳で正
常に認識されるかされないかの間に君に唇を重ねられそうになったが、?ち、
ちょっと待って…?とそれを制し、車のエンジンを入れて遠くの空まで見渡せ
る展望台まで行くと、.は嘘のように上がり、三六十度夕空を見渡してみると、
街の上空に綺麗な虹が架かっていた。そして君を真正面に向かわせ肩に両手を
載せると、?君のことが好きだ、付き.って下さい?、と言うと君の影は.し
だけ背伸びした。
傘
その療養施設の裏の森の奥には開けた場所があって、雪が解け、草花が咲き
始めると十代の頃の君がいつも待ってくれている。陽がその空間を包み込み、
君の髪の毛の匂いがする。耳を澄ますと、小鳥や昆虫、川のせせらぎなどが聞
こえてくる。
社会の人間関係に神経をすり減らし、次第に思考がおかしい方向へ進んでい
って、自分を一人で育ててくれた祖母の家へ行った時、異常さに気付き、知り
.いの医師が営んでいる療養施設に入院することになった。君とは入院して今
年で.年になるが丁度入院を始めた頃にその場所で会い、以来外出が許された
時に必ず会っている。祖母は二年前に大腸ガンで死んだ。この森では施設の鬱
病の患者がよく首つりや睡眠薬自殺を図ることが多く、医師や看護婦からあま
り近付かないように、と警告されているのだが、ロープをくぐっていつものよ
うに外出時間を使って君の元へ行く。
拓けた場所に足を踏み入れると、眩い初春の光が目を眩ます。暗い道を通っ
てきたので目が慣れるのには暫くかかる。右腕をゆっくり離すと、空想的な世
界が広がっていた。確かに生き物たちは生きており、川の流れに重力が掛かっ
ている。君は花畑の奥のいつもの木にもたれかかって手を挙げるとゆっくりと
微笑んだ。そして花畑の中央に引き寄せられるように集まると、他愛もない挨
拶を装って末当は君の笑顔の見たさに愛情の篭った挨拶をする。君は終始笑顔
で、左手を引っ張ると「一緒に座ろう」といういつもの表情をする。
君は言葉が喋られない。それは君が幽霊みたいな存在だからかもしれない。
君の魂はこの世界には末当はもう存在しておらず、この森の精霊のような感じ
がする。精霊にも魂があるのかと訊かれれば返答に困ってしまうが、とにかく
君は昔付き.っていて自殺した女性に瓜二つだった。この森が心の中身や記憶
を具現化することのできる場所だとしたら納得がいくだろう。この歳になって
人間社会を脱落すると二度と元の定位置に戻ることができないことは百も承知
な話だ。しかし無意識に「早く復帰しなければ」と焦る感情が.だに残ってい
るのは当たり前なことではないか。こんな夢のような日々が続いて心が洗われ
るのは確かに嬉しいが、それとは裏腹に、日に日に不安が膨張してきていてい
ずれは心を圧迫し、更に精神状態がおかしくなる、と思うと、一方的に施設の
ことや今までの人生を君に語って喜ばせて気持ちがいいのと同時に、心が影を
帯びてきているのだ。
いつもあっという間に時間は過ぎていく、「そろそろ時間だから帰るよ」と
告げると、君はひょっとしたら笑うことしかできない端正な人形のようににっ
こり微笑み立ち上がって右手を小さく振る。それは花畑から出て日陰に入り感
情が不安で一気に冷めてもう一度君に振り返って再び心が上気し完全に君が見
えなくなるまで続く。君が別れた後何処へ消えるのかは分からない。もしかし
たら夜もあの花畑でこの空気の澄んだ土地の上空に広がる星空を眺めているの
かもしれない。もしかしたら君は一日おきに死に、生き返っているのかもしれ
ない。そんな想像を浮かべながら眠れない消灯時間を過ごす。
二日後に再び外出時間が与えられ、森の奥深くへ歩いた。森の木々が屋根代
わりになり.から濡れないように体を守ってくれていたが君の為にもう一つ余
分に傘を持ってきた。暫く歩いてあの拓けた場所に着くと、君はいつものよう
に木の下で腕を後ろに回し足を軽く交差させてにっこり笑っていた。ゆっくり
木の下まで近付いていき、君に傘を渡すと、君はますます笑みを零し、傘を広
げるとくるくると回転させた。
ミンナ
子供を寝かし付け、妻が先にベッドに入ると、一戸建て住宅は静寂さに満ち、
パソコンの前に座ると、ようやく「一人」になる。時計の針はこの気配から放
たれる真空空間のような居間では微々たりとも聞こえない。意識的に全てを排
除しているのかもしれない。「文章ファイル」を開けて両指をキーボードの上
に置き、その様子を見つめながら俯き加減で、無心状態でいる。やがて時間が
来て、重々しい瞼をゆっくりと閉じると、止め処なく涙が溢れてきて、意識は
記憶の世界を遡り、それを、キーボードを叩き描写していくと、ある時、指は
止まる。時刻は深夜0時を過ぎたところだ、意識が辿り着いた場所、其処は楽
園だ。これまでの人生の内で様々な原因で死んでいった人達─二人だけだが─、
死んだ当時の年齢のまま永遠の命が約束された楽園で生きている。「一人」に
作品名:MARUYA-MAGIC 作家名:丸山雅史