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MARUYA-MAGIC

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のカーテンをサッ! と開き、大都会に初夏を齎しました、そして僕はいつも
の人生と同じように、皆と残りの余生一年を過ごし、老衰で亡くなりました。
こうやって今、天国に若かりし君と一緒にいることができて、生前の記憶を持
っていることができているのは全て人生を全うに生きたご褒美であるのです。
Lifetime Respect、もうあんな思い出深い人生を送れない、
と思っている目の前のアナタ、それは大きな間違いですよ……。












スヌーピーと白銀の世界



スヌーピーが、現在(2009年)の谷川俊太郎氏に似ていると思うのは私
一人だけであろうか、スヌーピーの大きな両耳が、谷川氏の現在残っているサ
イドヘアだといつも錯覚してしまうのは私だけだろうか? 私はやはり失礼な
人間だろうか? ということはこの作文は世に出さない方が良いのだろうか?
私の中で、私だけが楽しめる作品として位置付け、私の内面が潤えば良いのだ
ろうか? …良いわけがない、やはり誰が見てもスヌーピーと現在(2009
年)の谷川俊太郎氏は瓜二つだし、私がそのことを戦場の前衛隊のように、散々
世間の非難を轟々と浴びてでも世に提示しなければならないことだからである。
私にとって、この詩作品を世に発表することは、命よりも、愛する妻よりも、
重要なことである、というのは言い過ぎであろう。

そんなこんなで、私とスヌーピーと谷川氏は私があるラジオ番組で二人の外
見が著しく酷似している件についてこの詩を発表する前につい口が滑って話し
てしまうと、二人から三人で一緒に冬の間だけ、とある雪の街で過ごしません
か? という旨の手紙を受け取った、二人は私の発言がきっかけで親しくなっ
たのだという。私は内心、詩壇の大御所、谷川氏にてっきり激怒され、詩の世
界から永久追放されると思っていたのだが、やはり噂通り、氏の心は広く、私
はますます氏を敬うようになり、私と妻は二人でこの冬を過ごすことにした。

そのとある場所とは、北海道にある、「留寿都村」という所だった、その村
には、スヌーピー達の友達等も来るという。彼らは毎年この時期になるとこの
村で長い休暇を取りに来ており、羊蹄山で毎日スキーを楽しむのだという。私
達は羽田空港から飛行機で新千歳空港まで飛んで、其処のロビーでスヌーピー
と谷川氏と初めて会った。二人共すごく気さくな方で、私達はスヌーピーが借
りたRVに乗り、留寿都村まで向かう間にすぐに打ち解けた。スヌーピーもモ
デルの傍ら、詩を書いていると言い、私達の詩集をよく読むと話してくれた。
私はある程度仲良くなると、一.二人に、特に谷川氏に、ラジオでの件、具体
的に言うと、この詩作品の冒頭で述べたような感想に対する謝罪をした。する
と二人は同時に笑って、谷川氏は、別に何にも気にしていないし、寧ろあの発
言でこうして仲良くなれたことに感謝している、とまで仰って頂いた。私は氏
に感激し、思わず嬉し涙を流した。私は氏の詩作品を読んで詩人になろうと決
心したぐらい、氏から多大なる影響を受けたのである。


留寿都村に着くと、私達はスヌーピーの別荘である巨大なロッジに荷物を置
くと、早速スヌーピーの友達等と羊蹄山まで行ってスキーを滑って楽しんだ。
夜までたっぷり遊ぶと、ロッジで、皆でジンギスカンを食べた。その後、天然
温泉に入り、夜がふけるまで雑談をした。

スヌーピーや谷川氏等と約四ヵ月間の間、白銀の世界で日々を過ごした。ス
ヌーピーは完全にモデルの仕事を休んでオフに入っていたが、谷川氏や私はそ
の間、毎日決まった時間に詩作をし、互いの作品について論議した。やがて末
州に春がやって来る時期になると、私達は、留寿都村を後にして、新千歳空港
で別れることになった。スヌーピーはこれからフランスのパリへ、谷川氏は中
国の北京へ仕事があるのだと言った。私達は固い握手を交わし、今年の冬もま
た一緒に休暇を楽しもうと言うと、私と妻は笑顔でそれに答えた。











春風



浮世離れをし、春になると桜が満開になる山の中で生活するようになってか
ら、今年で七年が経った。空にはよく天狗様達が飛び回っており、桜色の軌跡
で絵を描き、山に住む動物達を楽しませる。僕の友達のツキノワグマや野兎、
鹿等は、僕と一緒に空を見上げて歓声を上げ、拍手をする。

僕は他の動物達とは違って、自分で食料を取ることに限界がある為、自作の
詩を朗読して聴かせて、そのお礼として食べ物を貰っている。なので、一日の
大半は執筆活動に専念し、小屋に籠もっている。新しい詩ができたら昼夜問わ
ず山の広場に向かい、中央の切り株に座って動物達が集まる中、朗読を始める。
昼間は太陽の光が、夜間は月明かりがそれぞれ広場を照らし、僕の発する言葉
に彼らに通じるような互換性を与える。僕の言葉は詩の朗読といった形でしか
彼らに意味が通じなく、普通の話し言葉では意思の疎通は不可能である。彼ら
は僕のそういった朗読を聴くと、飛び跳ねて嬉しそうに踊り、感情の表現をす
る。時には感動してくれているのか、瞳を潤ませてじっと僕の方へ向いていた
りする。そして朗読が終わると皆、何処からか食べ物を持って来てくれて、僕
の頬を舌舐めずりし、「また聴かせてね」という意思表示をする。

今年、春風の便りで、僕の唯一の肉親である、母が亡くなったことを知り、
七年振りに山を下りることとなった。母はまだ.十歳であった。膵臓癌で亡く
なったらしい。動物達や天狗様達に、そのことを、「詩」の朗読で伝えると、


皆は悲しそうな顔をし、僕に早く生まれ故郷の東京に帰った方がいいと伝えた。
僕は彼らのいう通りに東京へ帰った。しかし七年も山に籠もっていたせいか、
東京の街並みがすっかり変わっていることにとても驚いた。僕は動物達が、人
間達が山の中で落としていったお金を僕に渡してくれ、取り敢えずカプセルホ
テルに一泊し、身なりを整え、.家へ向かった。

母親は既に御骨となっていた、僕は母親の遺影を見たが、別段悲しくともな
んともなかった。浮世との係わりを断ち、末来持っていたに「違いない」、人
間的な感情を失ってしまったのか、僕は御骨と遺影を入れた包みを持ち、気が
つくと「山手線」を電車でぐるぐる回っていた。まるで仏教界で言う、「輪廻」
のように。

いつの間にか眠ってしまっていたのだろう、車掌が僕を起こした時、僕は何
故か、もう二度と「山」へは帰りたくなくなっていた。手に持っていた包みは
どこかへいってしまっていた。七年前に大人気であった芸能人と会った。今、
その彼女が何をしているのか分からなかったが、とにかく「山」へは帰りたく
なかった、天狗様やツキノワグマ、野兎や鹿達の笑顔や、付き.いが「くだら
ない」と心の中で呟いた。母親は死んだ。芸能人は老けていた。僕は東京の中
で、春の風の唄を聴いていた。この世界は今、何を欲しているのか僕にはすぐ
理解できた。渋谷区の有名な交差点で僕は立ち止って車という生き物にクラク
ションを鳴らされた。