MARUYA-MAGIC
た。それでも、詩人はその恋人に捧げる為の詩を書く仕事が残っていた。詩人
はそれらの詩を編纂した詩集でお金持ちになったが、自分にとってお金などた
だの?代償?だと感じて、全額どこかの善良な団体に寄付してしまった。詩人
は不特定多数の他者に、恋人に対する愛を認知してもらう為に、詩集を出して
しまったのだ。詩人はそのことを苦にして、毎夜悪夢に魘され、次第に毎日辛
い気持ちで?生きなければ?ならなかった。まるで自分の全てを他人にひけら
かした後のような、あの具.の悪い気分だ。詩人は世俗を離れ、山奥に住んで
いた。恋人の形見のイヤリングをずっと大切にしながら。
詩人は瞼の裏の涙腺から涙を流した。僕達が生きているこの時代よりもずっ
と昔に、詩人は生きていた。しかし残念ながら、僕達の高校の教材の国語便覧
には詩人の名前は載っていない。何故なら、その詩人とは、僕の頭の中の世界
で生まれたこの文芸作品の登場人物だからである。僕はいつも詩を書くとき、
その核となる登場人物を完全に頭の中の子宮から引っ張り出すことに苦労する。
僕はこの詩を書く為にだけに約一日かかった。普段なら一作一時間で出来上が
るのだが。
僕も詩人と同じく詩人である。僕には友達というものがいない、と、とある
世界でも有名な小説家が若かりし頃に書いたエッセイに書いてあったけれど、
ならば僕もこの詩作品で書こう。僕には自分の創造した人間達以外の友達など
いない。何故なら、僕は自己中心的だからだ、その小説家は、?友達がいない
?、という理由を現在でも言ってくれない、でも僕は思う、その小説家となら、
僕は友達になれるんじゃないかってさ。
詩人の家には、恋人の肖像画が壁に掛けられている。死ぬ前に、大金を払っ
て、とある画家に、大きな画布に恋人の等身大の絵を描いてくれないか、と頼
んだ。画家は当然承諾し、三日かけて、その大作を完成させた。詩人は言った、
「君がもし死んでも、この絵に描かれている君が、末当の君だと思って生きて
いくよ」と。しかし着.に死に近づいている恋人が衰えていく様を見ていると、
いたたまれなくなり、その苦悩を恋人はすぐに察知し、満天の星空を見上げな
がら、寒さと涙を堪えながら、自分でも結局何時死んだのか分からないままそ
っと、息を引き取った。詩人の恋人の絵を描いた画家も、恋人の病気が伝染し
て、黒い血を吐いて死んだ。
詩人は山奥に、恋人の死体と、肖像画を持って来て、恋人を開けた花畑の中
心に埋め、肖像画は墓の後ろに溝を掘って、立たせた。詩人はいつの間にか耳
が聞こえなくなっていた。風の音、動物達の鳴き声、.の音、恋人が腐敗して
いく音、雪が降り積もる音…。僕も真剣に詩作をしている時に、耳の機能なん
て要らないとよく思う。僕の住んでいる地域の季節は今、初夏、もうすぐ子供
の頃と何ら変わらない夏がやって来る。僕一人の力ではどうすることもできな
い。太陽の傘に覆われ、青空に火照った身を浸し、僕は何時までも、何時まで
も、生きていたいと思う。大人のままずっと。何処までも、何処までも詩作を
極めるまで。極めてもずっと。僕は神になりたい。詩人もまた、恋人の伝染病
に感染して、黒い血を一日一Lは吐いた、詩人は/僕は、覚悟した。自殺しよ
う/…今日はもう一篇詩を書いてみよう。詩人は劇薬を飲んで死に/僕は集中
する為に深呼吸をした。
楓
楓の並木道を、生温い風と君が通り過ぎる。僕がもっと若かった頃、君は毎
年毎年この時期に、.しずつ大きくなっていく白黒の斑のちわわを連れて、散
歩していた。この長い、果ての無さそうな楓の並木道を、ある時を境にちわわ
の姿が見えなくなった。君は、毎日が日曜日なこの世界を、午前の十時過ぎの
永遠を、冬がやって来る前に、押し止められなくなった時間の流れに寄り添う
ように、ちわわの遺体を、楓の森の中に埋めた。僕は知っている、その中には
僕の命も埋められているということを。ちわわと同化して、地面を伝って、楓
の並木道に両翼が生えたことを。
宝石店に三人組の強盗がやって来て、君は額を銃弾で撃ち抜かれたんじゃな
かったっけ? 君が僕の心臓の真下で「楓」を歌う。涙腺から涙が溢れ、鼻の
奥がつん、として、君は森の匂いを切り裂くように華麗に踊る。永遠、冬にな
れば君はこの世からいなくなるだろう。世界という漠然とした存在が君の想い
の代わりに時を押し止めている。十一月に入っても十二月に入っても冬の使者
は降ってこない。
ちわわが吐血した色の楓の葉は.だに落ちない。吐血色の街、いやこの五戸
の中の狭い世界、僕はまた微睡む。一マスの空白の中に計り知れない程の時間
が流れている。過去を振り返る。天使達の雪の翼、僕を冷たい天国へ連れて行
こうとする。君はもうこの世界に存在しない。ちわわの心臓だけが腐敗せずに、
腐敗せずになんで動いているのだろう。君はこの荒廃した地上に舞い降りて、
雪を降らせ、腐葉土に分解した楓の葉を、全ての命を封印する。僕の中の並木
道のベンチ、目を刳り抜かれた現代人は、まるで退化した猿。
誰も通ることのないこの秘密の楓の並木道、自動車の喧噪だけが聞こえる。
他人がこの領域を侵すことを恐れている僕とちわわ、胸が疼く。君が踊り出し、
歌声が反響する毎に心は深海に沈んでいく。ぜつぼう、青臭いくのう、残りの
じゅみょう、と、し。短気な風が激しく揺さぶろうとも、楓の葉は落ちず、土
の血の匂いは消えない。人々は自動車で空を飛び、世界は滅びて、それでも外
界のことを露知らず、君は楓の中で眠り続ける。
理想郷は破れて、冷え冷えとした砂漠をちわわの末当の寿命で歩く。太陽は
宇宙から消え失せ、地球の自転は止まり、重力と引力を失い、落下を始め、僕
と存在しない君は宇宙空間に投げ飛ばされた。ただ、地球との距離が広がって、
君と出会ったあの楓の並木道を思い出、そうとするけれど、思い出せない現.。
第三者の視点から、それは、神、僕等の凍り付いた死体は暗い空気のプール
を漂い彷徨った。二人ともばらばらに、距離を広げて、ポケットに楓の葉を忍
ばせて。救いようのない現.、意識だけが鼓動の止まった死体の中に残ってい
る。なんという苦行、僕達が一体何の悪いことをしたのだろうと永遠に思う罰、
と感じたちっぽけな生前、東京の街並みがぐるぐるぐるぐると渦を巻いてほっ
とした気分にさせた。世界を統括する宇宙国家があるけれど、ただただ同じ速
さで体に付着していた翼果が、とある拍子で脱落し、くるくると回って、その
宇宙国家に落ちて、数十年後、見事な楓の風媒花を咲かせて、数百年後見事な
楓の並木道ができて、そこを、生温い風と一人の女性が通り過ぎた。一人の青
年がもっと若かった頃、彼女は毎年毎年この時期に、白赤の斑のちわわを連れ
て、散歩していた。
羽化
僕は名も無い芋虫で、僕だけ皮膚の色が違っていた。「みにくいあひるのこ」
ではないが、両親や、他の兄弟や、他の仲間達から孤立させられ、その理由と
作品名:MARUYA-MAGIC 作家名:丸山雅史