MARUYA-MAGIC
僕と君は孤独だ。そして自惚れ屋だ。鉛色の曇天と海面、僕はラジオの隣に
座り、君が裸足で俯きながら波を蹴っているのをじっと見ている。
小さな右の掌には、白い巻き貝を包んで、
僕はポケットから薄く皺くちゃの文庫型の詩集を取り出す。そして、
「偉大な詩を書く為には、他人はもとより、自我からいかに離れて書くかが
大切である」のページを破き、偶々通りかかった白山羊に与える。
与えて後悔した。あのページの裏には僕の大好きな短詩が載っていたのだ。
空白、無限の空白、その最果ての心地よい快晴の空。
右耳に詰め込んだイヤホンを外し、コカ・コーラを一気飲みする。煙草を吹
かす。
君は僕から貰ったイヤリングを外す。他虐的な詩集を丸暗記する。車のエン
ジンを吹かす。
僕は/君は、青い壁に隔てられている。曇天に心が塞がれる。僕は君の枯れ
た五戸へ下りる。
五戸ノ中ニイルノニ、五戸カラ最モ遠イ場所デ詩作ニ耽ル。幻ノ大東亜帝国
カラ通信ヲキャッチシマシタ、ビビッ。
この地球の中心で、地球の心臓の鼓動を聴く。「ハツが食べたいの」。
真っ二つに割れる地球。
君の月の五戸で、乾いた心臓の生々しい鼓動を聴く。「偉大な詩を書く時が
詩人にとって最大に幸福な?一時?である」。
左耳用のイヤホンから「ラスト・ソング」が溢れ出て、君の枯れた五戸を、
君の月の五戸を満たし、僕の喉は?一時的に?潤う。
僕はあまりにも短過ぎる煙草を吸い終え、君はあまりにも短過ぎる自我との
距離を縮めようとする。僕の隣のラジオからは、大東亜帝国の崩壊が英語で淡々
と語られている。
冷たい世界
残業を終えると、僕はすぐさま会社を飛び出し、終電に乗り込んだ。息切れ
が激しい。何とか間に.った。心の底のように冷たそうなコンクリート群の明
かりが、僕の影の存在を如.に浮き彫りにする。電車の中には誰もいない。そ
のことが僕を更に孤独にさせ、冷たい世界を終電は走り続けていく。
終電で終着駅に着いた。四月下.の東京にしては真冬並みの寒さだ。僕の中
の切り替え装置を、心の手が捻る。僕は胸の中のむず痒さを堪えながら、家路
を急ぐ。その途中、野良猫や野良犬を見かける。どちらもまだ生まれて間もな
そうに映る。この寒さが彼らの内臓に溜まり、きっと時々、呻ることのある僕
の自殺願望に似た鬱憤に脳が支配され、ていることにも気付かず、独り寂しく
死んでいくのだろう。僕は彼らを抱き上げ、彼らの顔を僕の頬に磨りつけなが
ら、両肩に積もった夜の世界の遺体によってこの心臓と共鳴する彼方の僕のア
パートの心象が垂直に突き刺さる感傷を受けた。彼らは僕に地面に下ろされた
後、僕が霧のような闇によって蕩ける前に振り返って見てみると、僕の疲れ切
った体に付属している眼球をじっ、と見つめ、もっと構って、とでもいうよう
な感慨を起こさせた。しかし僕は瞼を瞑り、暫く時間が流れた後、そのまま向
き直り、重たい闇の中を進んだ。
.がぽつ、ぽつと降り始めた。アパートのトタン屋根は、洒落ていない楽器
のようだった。僕はずぶ濡れで、ネクタイが変色して、それを見下ろすと、誰
かの葬式へでも出掛ける心境へと変化していた。僕は冷たい.に打たれ続けて
いた。何故なら自宅へは帰りたくなかったから。住宅街の明かりと、水溜りを
潰す車のエンジン音をずっと見つめ、聞き惚れていた。携帯電話の充電切れの
音が濡れた鞄の中から微かに鼓膜を震わせ、その中から明日の会議で必要な書
類を足元の水溜りに叩き落とした。そしてネクタイも鞄も上着もその上に投げ
捨て、シャツの第一ボタンを開け、全力で見慣れない風景の中へ飛び込んだ。
僕の世界は誰かの物語などではなく、と言いつつも僕自身の世界でもなく、肩
甲骨から翼の生えた人間の世界だと思った。僕はひたすら、暗闇の中を走り続
けた。暗闇は何処までも続いていた。僕の視界からは暗闇以外のあらゆる事象
が消えていて、それは僕の願望そのものだった。不思議と息が切れることはな
く、軽いフットワークで野良猫と野良犬が思い描くことのできない、欲動の世
界を気が済むまで走り続け、そして大声で言葉にできない思考を咆哮した。す
るとぴたりと.は止んだ。
暗闇以外のあらゆる事象も戻ってきた。僕がこの世界へ還って来た、と言っ
ても過言ではない。僕は自動販売機でスーツのズボンのポケットの中に溜まっ
ていた小銭を徐に取り出し、三.十mlの缶ビールをその場に座り両足を投げ
出し飲み始めた。もう片方のポケットに入っていたずぶ濡れの煙草の箱から湿
気た煙草を抜き、形を整え、ライターで火を点し、肺に噎せ返る程の白煙を取
り込み、想像上の生き物達が.を噴くように、煙を気管が狭まるぐらい限界ま
で吐いた。ふと前方に目を遣ると、先程の野良猫と野良犬が大きな水溜りの中
で、暖かい家の居間で寛いでいるように死んでいた。末当に死んでいるのか確
かめようと立ち上がった瞬間、大型トラックが彼らを轢き潰していった。水溜
りの飛沫の音は彼らの内臓が破裂する音と、血飛沫が飛び散る音に掻き消され
た。その遺体は僕に惨い、という印象を不思議と与えなかった。僕は完全に直
立し、ビールの缶と煙草の吸殻を黒い皮靴で踏み潰し、遠くに映える、街の明か
りを頼りに、ゆっくりと歩き始めた。
素領域
明日から約二カ月にも及ぶ夏休みが待っている。しかしその期間中に何処か
へ女の子を誘って遊びに行くにしても、かなりまとまったお金がいることに気
付いた僕は、書店の入り口に置いてあるフリーペーパーのアルバイト情報誌を
片っ端から自宅のボロアパートへ持ってきた。それらを真剣に読んでいると、
あっという間に真夜中になり、とうとう夏休みが始まってしまった。僕は読み
飛ばす速さを加速させながら、ペラッ、ペラッ、と紙上に記されている情報を
必要最小限頭の中に叩き込んで、次々と読破していった、しかし中々気に入っ
た仕事は見つからなかった。
最後のフリーペーパーだけあって、ゆっくり読みながら睡魔に負けそうな自
分を奮い立たせて、ペラペラとページを捲った。すると、一際内容が異様なア
ルバイト募集の欄を見つけた。その仕事の内容とは、「私の会社の冷凍倉庫に
貯蔵している、時間と空間を最小単位まで切り刻んで頂ければ、お礼の上限は
御座いません、何なりとお好きな報酬額を私にお申し付け下さい」というもの
らしい。僕は東京大学の哲学科の生徒で、物理の知識を使う仕事は絶対に無理
だと思ったが、やはり、「お好きな報酬額をお申し付け下さい」という言葉に
惹かれ、次の日、その雑誌に載っていたビルの住所まで行ってみると、確かに
その意味不明な会社は.在した。僕の騙されたのではないかという不安は一瞬
にして地面に投影して、そのまま建物の影に食われてしまった。とにかく僕は
ビルの最上階にあるというその会社へエレベーターが無かったので、仕方なく
七階まで階段を上がった。最上階に着いた時には激しい息切れを起こしていた
作品名:MARUYA-MAGIC 作家名:丸山雅史