MARUYA-MAGIC
れが腐敗して、やがて奇跡的に微生物が誕生する。彼はギターを鳴らし、歌い
続ける、頭の中に思い描いた、世界中の人々の前でライヴをする夢を。そして
今や、それが現.的となって微生物達は進化を始める。その間も「無」の世界
に音や歌声が蓄積して、ますます命を無限の輪廻の如く増殖させていく。彼の
いる世界には「時間」が存在しないので、永遠に「己の唄」を歌い続ける。
自分は二十世紀の人間だ。それが堪らなく誇らしくて、彼以外のあらゆる生
物達は彼を神と拝み、また、一人のミュージシャンとして認め、彼の周りには
限りなく無限に近い無量の生き物達は命の.を絶え間なく揺らし、彼の演奏と
歌声に酔い痴れ、子孫を残し、死に、それまでの記憶は末能に埋め込まれ、生
まれ変わり、二十一世紀を越える。
「無」の世界は、果てしなき時を刻み、彼の生まれた世界と同様に繁栄した。
当然争いが起こり、他者を愛し、裏切ってきた。彼はこの世界に来てから一時
も休まずエレキギターを奏で、歌い続けていたのだが、それらの性をとても悲
しんだ。「自分が創造を止めれば、何のいざこざもない世界に戻るのではない
か」、と深く苦悩した。そしてついに、彼は「虚無の心」からジャックを引き
抜き、ギターを叩きつけ、二度と歌えないように自ら喉を掻き切った。その途
端に世界は活動を停止した。停止した世界を見渡すと、元の世界で若かりし頃
散々人を悩ました近所の犬が急死した時のように、世界は静寂に包まれた。彼
が病んだ心から末当に願っていたのは、二十世紀の頃のような希望と夢に溢れ
た世界が永久に続くことであった。彼は崩れ落ち、大量の涙を流し、それがど
こまでも落下していく様を絶望的な気持ちでぼんやりと眺めていた。自分を理
解してくれる者など誰もいないのだ。喉元から鮮やかな血が流れ続けている。
いっそのこともう一度喉を掻き切り、死んでしまおうかとさえ思った。すると
突然T.Rexの、「20th、Century、Boy」のエレキギターを
奏でる音が後ろから聞こえ、暫く間を置いてドラム、ベースの律動が血で汚れ
た世界に響き渡り、目の前には新しいエレキギターとマイクスタンドとマイク
が置いてあった。後ろを振り返ると、満面の笑みの人間達が立っており、彼に
ギターを持つように促した。
彼は今、胸に溢れんばかりの二十世紀の希望と夢にジャックを繋ぎ、母なる
エレキギターで大爆音を鳴らし、「時間」を眠りから覚まさせた。目の前には
動き出した万物が見える。そしてついに20th、Century、Boyは、
「20th、Century、Boy」を演奏し、万物から大歓声が届いた。
彼はもうギターを一時も鳴らさないことも唄を歌い続けないことも決心した、
彼には「時間」が流れ始めた瞬間から死への秒読みが始まったが、それに惑わ
されることなく、時代の、時間の流れに身を任せて、元の世界に戻り、彼は万
物へ訴えた。譬え命果てようとも、二十世紀の魂は永遠に風化しないと。
時間の流れない詩
つまり、いくら歳月が流れようとも、永遠に風化しない詩のことである。そ
んな詩が僕の頭の中にあり、そして、この詩自体がその詩なのだ。果てしない、
かに思えた輪廻に従い、再びこの世界に舞い戻ってきた僕は、改めてこの「時
間の流れない詩」を書き進めている。一言で言うと、永久不変の詩である、超
純文学的詩でもある。僕はこの詩をきっかけに、再びchange the worldするだろう。万物は全て、二度しか輪廻していない。即ち、始めに与
えられた生の姿の一生の二度目、ということだ。しかし、「時間の流れない詩」
だけは、この世界が終わった後も、残り続け、僕が生まれて詩人になって、た
またま「時間の流れない詩」というタイトルの詩を書こうと思った時に天から
降ってきて、頭の中に溶け込んでいき、元の定位置に戻り、詩として現.に具
現化しているのだ。名案とは一度目の生涯の時に既に思いついていたものかも
しれない、という思想は間違っている、ということを発見したのはつい最近の
ことである。何故なら、その思想は至極「非」現.的だからである。「輪廻な
ど無い」。仏教やその他の宗教そのものを破滅に陥れるような考えである。「死
後の世界など存在しない」。もまた然り。救いが無い。救いが無い。しょうが
ないのだ。科学のせいにしたくはないが、それは僕等の時代ぐらいになると、
思想をも超えてしまうのだ。人間は何かを信じ続けないと生きてはいけない生
き物である。それは、愛、宗教、自己、既視、夢等様々だ。けれども、それら
すらも一度目の生涯のことを忘れて再度信じているのだ。そのことに気付く者
は仏教用語で言うならば、悟りを開いた者のみだろう。しかし、その者達もま
た、「再び」悟りを開いたと気付くかどうかは定かではない。改めると、この
「時間の流れない詩」は、至極純文学的散文詩である。
だが、「時間の流れない詩」というものは確かに僕の胸の辺りで発熱し、そ
の源を辿っていくと頭の中に存在している。このテクストはSF的な作文なの
か、独白形式の作文なのかその見境がつかないと思うが、末音のところはその
どっちでも、両方でも、両方に属さなくても構いはしないのだ。これは僕から
読者への「メッセージ」である。伝えたいことは、このテクストを書き終えた
瞬間に、「時間の流れない詩」が僕から独立し、再びこの世界が終焉を迎えて
も、存在し続けるということである。それはおそらく様々な形として残るので
あろう。たった一つの精子が卵子の中に入れるように、そんな奇跡がこの詩に
宿り、と同時に世界は新たに誕生するが、今のところ、僕はもう同じ人生を繰
り返したくないと考えているが、これは若気の至りの発想で、僕がこの人生で
どんなに素晴らしい人間となり、世界に貢献しようとも、この「輪廻」という
無限牢獄からは抜け出せないのだろう、と今考えていたが、「解脱」という超
現.ではない「現.」の救いを思い出した時、.しだけ心が晴れ渡ったような
気がした。でもやっぱり、解脱した後に導かれる永久不変の世界なんてきっと
飽き飽きするだろうし、「神」も、「仏」も、そんな怠惰な生活を与えるわけ
はないと断言できる。だからきっと──飽き飽きされる前に、「神」や、「仏」
は、それまでの全ての記憶と力を無にして、一から「人生ゲーム」をやり直し
させるのだろう、「時間の流れない詩」もまた抹消させて、且つ自分達の記憶
も力も無にさせて、時間もリセットする。それこそが「輪廻」、そして僕は一
度目の人生を終え、二度目のこの人生のこの時間に「時間の流れない詩」を完
成させ、遠い過去に想いを馳せるのだ。
脳内闘技場
真冬の大都会、東京の野良猫(子猫)が大人の野良猫三匹と決闘している。
夜、どう考えても子猫に勝ち目は無さそうなのだが、奇跡的に勝った、と脳内
闘技場で、誇らしげに笑った。子猫は誰からも手当てされることなく、自力で
起き上がり、寒風が吹き荒れる東京の夜を彷徨った。脳内闘技場で寒風をやっ
作品名:MARUYA-MAGIC 作家名:丸山雅史