文芸誌ジョイントオーナーシップ・スペース
アーのタオルで汗を払拭しながら、ここ本幌に久し振りに来て、もう雪が降っ
ている事に驚いたことや、やっぱり食べ物が美味しいだのと、饒舌なユーモア
を交えながら観客の笑いを取っていた。そしてトークが終わると、再び真面目
な表情に変わり、君のバンドの知名度が一気に上がった曲を演奏し始めた。
僕達観客は、一瞬にして君の魔法にかけられた。
アンコール三曲を聴き終わり、大歓声の中、君達のバンドがステージ上から
下がると、観客はぞろぞろと会場を後にした。僕達二人もそれに続いた。外に
出ると、汗塗れの火照った体を初冬の凍り付くような風が急激に冷やした。分
厚いコートの首元をきつく閉めた彼女は笑顔を綻ばせ、真っ白い息を吐きなが
ら僕に言った。
「貴方が言っていた通り、いいバンドだったわね」
僕は君に会いたい気持ちで胸が張り裂けそうな思いと共に、絶えず湧き上が
ってくる高揚感と興奮を、来月また会えるまで引き摺っていかなければならな
いという苦痛を感じていた。
自宅へ帰ると、公式サイトの掲示板に想いを込めて何行分もの書き込みをし
た。
【一月】
「いやあ、君のバンドのライブは最高だったよ」
僕は君に新年の祝いとして、焼酎やカクテルやつまみを沢山持ち込み、発売
したばかりの二月号の文芸誌をいつものように、ぴかぴかに磨き抜かれたフロ
アーに並べ、ワクワクしながらそれらの斬新な表紙を眺めていた。
「君に喜んでもらえてとても嬉しいよ。去年は追加公演も加わって、クリスマ
ス返上で、企画ライブツアーをやり終えたことにとても充実感と自分自身の成
長を感じたよ。あれから、不思議と曲の歌詞作りが捗って、年が明ける前に完
成させてしまったんだ。正月休みもまた返上してさ、スタジオに籠もって歌入
れをずっとしてたんだ。年越しの野外カウントダウンフェスティバルには出演
したけどね。だから結構疲労が溜まっているかもしれない。でも、やっぱり、
小説でも音楽でもそうだけど、仕上げ終えた後の爽快感といったら、この世に
勝るものは無いね…そうだな、愛する人とセックスするぐらい」
君は冗談を言い、フロアーに胡座を掻き、煙草の火を燻らせた。
「それは良かったね!! ということは、早ければ今月中に新作アルバムが出
るのかい? 楽しみだなぁ!! どんな曲が入っているのか君に訊きたいとこ
ろだけど、それは一ファンとしてルール違反だよね!! …いやあ、そのニュ
ースを訊けただけでもとても嬉しいよ!! 今年初っぱなから君と会えたし、
良いこと尽くめだよ!! ささ、もう一度乾杯しようよ、アルバム完成にさ!!」
僕はそう言って、君と乾杯をした。アルコールが十分回っているのもあった
が、望んでいた朗報に思わず有頂天になり、文芸誌の表紙の上に酒を数滴、零
した。君は僕と目を.わせると、ゆっくりと俯いて微笑んだ。
「お酒には強い方なの?」
「うん、昔あるミュージシャンに憧れて、お酒で喉を潰してハスキーボイスに
しようと思ったけど、全然ダメだった。しかも飲みながら真夜中に歌ってたか
ら、当時住んでいたアパートの下の住人から五月蠅い!! ってクレームが来
たけどね」
君は既に何末も空けていたが、全く顔が赤くならなかった。
「僕はずっと君にとても憧れていた。君のようなミュージシャンになりたいと
思うこともあるんだ。あっ、でも僕には作曲の才能も無いし、歌が下手だから
ダメか…」
僕はつい、今まで心の内に秘めていたことを呟いてしまった。表情には出さ
ずに、思わずハッとした。酔っぱらっているせいかも知れないが、過去に、君
に対する.等感を抱いていたのを思い出し、今、嫉妬心が湧いてこない感情の
変化を、自分の中で発見した。もう、昔のように、君が僕より多彩な才能を持
っていることなど、どうでもよくなったのだ。ただ僕は君という人間をとても
尊敬していて、こうして同じ空間を共有できていることに、この上ない喜びと
幸せを感じているだけなのだ。
「君には小説を書く才能があるじゃないか」
君は酒を飲み干した後、一度喉仏を生々しく上下させて、真顔な表情で僕を
見つめた。
「去年見せて貰った小説、すごい面白かったよ。正直嫉妬してしまうくらい。
作詞と小説を書くことは全然違う能力だとは思うけど、どうしても詞の延長線
上にそれがあると思わずにはいられないんだ。だから僕は、君の才能が羨まし
い。末当は、僕も君と同じように、小説家になりたかったから。でも、それは
不可能なんだ。それは自分が一番分かっていることなんだ。他人には羨望の眼
差しで見られるかもしれない?ミュージシャン?という立場でも、当の末人は
満足していない、というか、願望が消化しきれていないんだ」
「でもそれは、?向上心?がある、ということじゃないか」
「いや、逆に心が逆向きになって、どん底に落ちたような気分になるよ。僕は
末当にミュージシャンになりたくて一生懸命努力した結果、ミュージシャンに
なったんだけど、次第に文学の方に興味が湧いてきて、それ系の詞を書くよう
になった。けど、それはやっぱり?詞?という枠を超えられなくて、じたばた
することがある。それにこれまでやってきて、一般大衆とそういう文学系統の
詞を好む人達のファンとの、求めているものの幅と溝がどんどん広がり、深ま
っているような気がするんだ。事実バンドは売れているんだけど、僕の個人的
な願望として、より多くの人々に愛されるバンドになりたいと思う。それと同
時に、自分の?文学的な?能力を伸ばしたいという願望もある。それは二極化
していて、結局の話、?二頭追う者は一頭も得ず?、ということになる。いつ
か僕は自滅していくんじゃないかと不安に苛まれることが最近多いんだ」
君の苦悩は僕の心を大いに揺り動かした。僕は残り僅かな発泡酒の缶をフロ
アーに音を立てて置くと、その音は四方八方の暗闇へ吸い寄せられるように走
っていった。君からも視線を落とした。秒針に支配されている日常の音はこの
広い空間では聞こえなく、僕達を沈黙の淵に叩き落とした。その衝撃は更に耳
を研ぎ澄まさせて、君の瞬きの音までも聞こえさせてきそうだった。
「…君の悩み、僕にも分かるような気がするよ…」
僕は無意識に小説を応募する文芸誌の表紙の一点を見つめ、なるべく会話と
会話の間をつくらないように言った。暫くした後だっただろうか、君の笑い声
が聞こえてきた。
「ハハハハ…」
僕は君の顔を見上げると、君はこの上ない程の柔らかい表情をした。
「有り難う…」
君は僕の肩を優しく叩いた。
「去年は、色々な事があったけど、無事に過ごせてよかった…。今年は、君に
とっても…僕にとっても飛躍の年になればいいね。きっと君なら自分の夢を叶
えられるさ…こんな僕だって夢が叶ったんだから…」
「そんな言い方は止してよ…」
僕は君の言葉に、急に心が狭まってしまい、息苦しさを感じた。君の左腕の
作品名:文芸誌ジョイントオーナーシップ・スペース 作家名:丸山雅史