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金木犀の手

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 私は何をそんなにムキになっているのでしょう。彼女が長瀬さんと付き合っていた事はどうしようもないことです。だけど、それを一緒になって言わなかった長瀬さんと彼女の気持ちが理解に苦しんだからです。しかも、お互いに未練が残っているくせに。それが嫌だったのです。彼女の事を本当の姉みたいに慕ってしまった私は裏切られたような気持ちで一杯でした。聞かなければ、言わなければ何も言わないつもりだったのでしょうか? 隠す事も嘘を突き通す事もしないのに。けれど、それは彼女の、同じような立場の私に対しての精一杯だった気もするのです。不安で仕方なくて、誰かに言わずにはいられないのに誰にも言えないで頼ってくる私に対して、彼女は必死に嫉妬や悲しみを堪えて対応していたのではないでしょうか。彼女の精一杯で。本当は聞きたくなかった筈です。誰でもそうするように、私の話の音量を下げてしまいたかった筈です。でも、怖いものみたさと近い感情で、自分が傷つくのがわかっていても私の話を聞きたくもあったのかもしれません。そして、もしかすると聞き続けるうちに、それを自分に負担がかからないように上手く何とか変換出来ないかと自然に防衛本能が働いて、結果自分の事のように聞く事にしたのかもしれない。だからこその嫉妬。いや。嫉妬はもう最初から彼女の中で静かに燃え続けていたのかもしれないのです。彼女も気付かないくらいに静かに静かに。緩やかに。だからこその時々顔を出す言葉達。だからこその行動だったのかもしれません。彼女は本当に私を助けたいと思っていたのだと思います。彼女の誠意でそう思っていたんだと。
 お互い様。いいえ。まるで平安時代の女性達のような心持ちだったんだろう。私は彼女に少なからず感謝しなくてはいけないと思いました。恐らく最後になるだろうメールを彼女に送ったのですが、メールは宛先不明で戻ってきてしまいました。彼女も思い詰めたらしくメールアドレスを変え、私の番号を着信拒否に設定したらしいのです。
 意味がわからなくなり、疲れ果ててしまい私は寝てしまいました。彼女とはそれを最後に連絡は途絶えました。


 次の日、私は朝から時間もないのに2回も選びなおしたよそ行きの服を後悔していました。
 今日は長瀬さんと一緒に、お昼ご飯を食べに行く筈だったのです。長瀬さんが家まで迎えに来てくれて、これから起こる楽しい事に気持ちを浮きだたせて玄関で抱擁し、一緒に階段を降りたとこまでは良かったのです。彼が言ったのです。
「今日は車だから」
 私は急に気持ちが塞ぎ、戸惑いました。彼の車は自家用車。つまり家族で使っている車だったのです。長瀬さんには奥さんとお子さんがいました。前から再三、私はその車に乗るのは嫌だと言っていたのですが、彼はついさっきまで仕事の作業の関係上その車を使っていたので、一旦帰って置いて来るのも面倒だからとそのまま来たのです。彼は今日は疲れたと言っていました。
 私はそのまま乗れば良かったのでしょうか?車の置いてある場所に向かう間、知らず知らずに足が重くなって下ばかり見ていました。
どうすればいいのだろう・・無神経に乗ってしまうべきか、彼の気分を悪くさせても断るべきか。私は悩み倦ねました。家族で使っているものの中に私という部外者、有害者がどんな形でも侵入するという事はどんな気持ちがするものだろう?
 もし私の髪の毛が一本抜け落ちてしまったら。そしてもし奥さんがその髪の毛を見つけてしまったら。或るいはお子さんが見つけてしまったら。どんなに嫌な気分になるだろう。少なくとも私が同じ立場だったら、すごく嫌だし傷つくし、何も信用出来なくなるかもしれない。何より今まで築いてきたものに私がのうのうと座っていたなんて。
 もし私が乗っているのを奥さんが見かけてしまったら? もし私の臭いがしたら? 今日の生理の血が洩れて微かに血痕が残ってしまったら? 指紋を見つけたら? 考えれば考える程私の体は動かなくなっていきました。
 車が駐車してある場所につくと彼は颯爽と馴染みの運転席に乗り込みました。私はのろのろと助手席の所に来て、のろのろと扉を開けました。彼が少しこちらを見て、すぐに出発出来る様にハンドルを軽く握って座っていました。
 車内は特に飾り物があるわけではなかったのですが、家族の生活臭がそこここのシートの隙間や小さなシミなんかから滲み出てくるようでした。この車に乗って、家族で遠くに旅行したり帰郷したり出掛けたり、何処かに食べに行ったりしているのだと実感せざるえないのです。その現実が、有無を言わさず目の前に突き出されます。決して独り者では作りだせないなにかが、確実に車内に満ちていました。私は頭が霞むような感じになりました。私はまた非人道的な最低な事をしようとしているのか。わかっているのにしようとしているのか。けれど、乗らなかったら長瀬さんはどんなに気分を害するのだろう? 疲れている上に、私がこんなじゃ怒るかもしれない。もしかしたら、もう一緒に何処かに行けなくなるかもしれない。
 乗らなければ。乗らないと死ぬと思って乗らなければ。でも、なら死んだ方がいい。逃れたい・・・
 私は扉を開けたまま、しばらく長瀬さんの顔を見れずに、ウロウロ目を泳がせたり足下の石を蹴ったりしていました。体が乗ろうとはせず、そのくせ長瀬さんとは一緒にいたかったので、どうしていいかわからなかったのです。
 長瀬さんは薄々気付いていましたが、さすがに私が乗るのが嫌なんだとわかったらしく「扉閉めて」と言ったのです。私は扉を閉めました。彼は私の方を振り向きもせず、そのままエンジンをかけて行ってしまいました。
 疲れた横顔でした。そしてその首の後ろから、なにか白い手が頰を優しく包む様に出ているのを見たのです。一瞬目を疑いました。ああ、まただ・・・
 けれど、今はそれよりも自分の気持ちの葛藤が続いていました。私は悪い事をしたのです。少なくとも長瀬さんに対しては。彼は忙しい仕事を一生懸命早く片付けて、やっと私の所に迎えにきたのです。私と昼ご飯を食べに行く為に。だのに、私の個人的な気持ちで車に乗らず、彼は一気に疲れた。
 今更帰って、車を置いてもう一回来るにしても時間がかかるのです。それを私達はお互いに承知していました。でも、どうしても私の体が嫌がって乗らなかったのです。何も気持ちは伝わりませんでした。ただ、私の我が儘だけが目立ったのです。
 私は長瀬さんが去った後、もう一回車を置いて来てくれる事を待ちました。もう来ないのは何となくわかっていました。けれど待ちたかったのです。電話してみようかとも考えました。が、彼が怒っていたら嫌なので出来ませんでした。
 彼からメールが来たのは、20分程経ってからでした。
「もう疲れたからやめよう。ごめん」
作品名:金木犀の手 作家名:ぬゑ