我侭姫と下僕の騎士
カルバンでなくとも情欲をそそられる眺めだ。
「お父様、そろそろ足を閉じさせてください」
強弱をつけて撫で続けても蜜を滴らせないクレアの蕾。
それは自分で慰めることも知らない処女の蕾だった。
「……いやっ!」
身体の芯に感じた生暖かく、滑った柔らかい感触に、クレアは反射的に腰を引く。
いったい何が、誰も触れてはいけない所に触れたのか――?
怖々と父の顔を覗き込むと、クレアの秘処に触れていたものは、カルバンの舌だった。
赤黒い舌を器用に操り、カルバンは娘の蕾を舐めあげる。
艶めかしい舌の動きと、唾液を塗りこまれる水音。異様に目をギラつかせた父であるはずの老人。
「やめて、お父様!」
何かが違う。
いつもの優しい父ではない。
「いやです! なんだか変ですっ!!」
反射的に逃げ出した腰を再びカルバンに引き寄せられ、クレアの白い肌が粟立つ。
部屋の中でこんなに叫んでいるというのに、フィリーが戻ってこないのは何故だろう。
クロードが飛んでこないのは何故だろう。
あの、何か大きなものが床に落ちる音はなんだったのだろう。
全てがおかしい。
「いやっ、いやです! 助けて、フィリー! フィリー!」
声の限りにいつも頼りにしている侍女の名を呼ぶが、フィリーが部屋の中へと駆け戻ってくる足音はしない。
「クロード! 湯殿への入室を許可するから! 今すぐ来て!」
自分の許可がないから、クロードは部屋の外で中に入れないのかもしれない。そう気がついてクロードを呼んでみたが、騎士が部屋に駆け込んで来る事もなかった。
「クレア、誰を呼んでも来ないよ」
「な、なぜですか?」
今現在、恐慌の最たる理由になっている父親に殊のほか優しく耳元で囁かれ、クレアは青い瞳に涙を浮かべたまま瞬いた。
「ここの主人は、お父様だからね」
優しく囁かれた最後通告に、クレアは言葉をなくす。離宮の主人はクレアと母であるが、離宮の建てられた城の主人はカルバンだ。
たとえ二人の騎士がクレアを主人としていようが、城主であるカルバンに逆らえる者は居ない。
呆然として口を閉ざしたクレアを、カルバンは労わるように掻き抱く。すべらかな黒髪を撫でた後、頭を抱いて椅子の上からクレアを抱き上げる。そのまま床の上へとクレアをおろし、再び娘の太ももを広げた。
「どれ、この父が、少し味見を……」
「いやあぁっ! イグニス、イグニスっ!」
顔の上へと落ちた父の影に、クレアは我を忘れた。
午後から休みを取るといって町へ出かけたまま戻らぬ騎士の名を呼ぶ。どんな時でも、彼だけはクレアの味方だった。彼であれば相手が城主であろうとも、自分を守ってくれるはずだ。
「イグニスっ!」
ほんの一時間と言って出かけたまま、夕方になっても戻らぬ騎士に、悲しいよりも先に腹が立った。
自分がこんなにも怖い思いをしている時に、町でいったい何をしているのか、と。
イグニスへの怒りで、クレアは僅かに我を取り戻した。ささやかな抵抗ではあったが、カルバンの腕から逃れようと身をよじる。
「いい子だから、大人しくお父様の言うことを――」
「お館様っ!」
優しく髪を梳くように、カルバンがクレアの頭を捕まえた瞬間、部屋中に勇ましい女傑の声が響いた。
「……カーラか」
ふくよかな身体を弾ませ、肩を怒らせたまま部屋の中央へと進み来る乳母の姿を認め、クレアは安堵のため息をもらす。
彼女ならば、きっと父を止められる、と安心して。
「公爵様に、傷のついた娘を差し出すおつもりですか?」
「どうせ愛人じゃ。少しぐらい味をみても、かまうものか」
「身分が低い者に下げ渡すのならば、傷物でもいいでしょう。ですが、相手が公爵様となれば、それは通じません」
主人は自分であると言うのに、一歩も引かない態度を見せるカーラに、カルバンは舌を巻く。――興が冷めた。カーラの言葉にも一理ある。
「……ふんっ!」
忌々しげに鼻を鳴らすと、カルバンはクレアを解放した。
「せいぜい公爵に差し出すまで傷など付けぬよう、しっかり見張れよ」
「心得ております。ご覧の通り、相手が誰であれ、変わらず姫様をお守りいたします」
カーラはカルバンに道を譲り、恭しく頭を垂れる。
非の打ち所のない完璧な作法を持って自分を送り出すカーラに、カルバンは目を細めてひと睨みしてから、部屋を出て行った。
去り際に部屋の外から何かを蹴る音がしたが、クレアにはそれが何であったのかもわからない。
ただ、自分のすぐ横へと膝をついた乳母に縋りつくと、遅れてガタガタを震えはじめた。
(やれやれ。まさか、仕上げで待たされる事になるとはな……)
予定よりも遅くなった帰還に、イグニスは手にした包みを見下ろす。
若い娘が好みそうな可愛らしい包みの中身は、出来上がったばかりの耳飾りだった。クレアの誕生日にと用意したものだが、この分では今日のうちに彼女の手へと渡りそうだ。帰りが遅い、と拗ねる姫君を宥めるために。
本来ならば、正午には出来上がっているはずだったのだが。
イグニスが耳飾りを注文した細工師は評判が良く、先日カルバンが離宮へと呼んだ中にも含まれていた。そこで将来的に耳飾りの持ち主となる姫君の美貌を目の当たりにし、職人魂に火をつけられた結果として、仕上げに凝り、納品が遅れた。
理由が理由なだけに怒ることも出来ず、イグニスが待たされることとなったのだ。
クレアのためにより良い物が出来上がるのなら、イグニスとしても悪い気はしない。
ただ一つ気がかりがあるとすれば、予定の一時間を大きく過ぎ、六時間も放置された姫君の我侭が噴火していないか、それだけだ。
夕闇に沈みつつある城門を通り抜け、イグニスは早足に離宮へと続く小道を進む。いっそ森と呼んでも間違いではない林を抜け、夜に備えて明かりの灯されはじめた離宮の窓を見上げ、気がついた。
誰かが離宮から出てくる。
こんな時間に訪問客など珍しい。
否、城主の偏愛のせいで、離宮には来客があること自体が稀だ。
いったい誰が――? と目を凝らすと、離宮から供も連れずに出てきた人影は、城主その人だった。
「お館様!?」
この数日間警戒し、見張り続けた人物との予期せぬ遭遇に、イグニスは目を見開く。
背筋を嫌な予感が這い上がった。
正面から来るカルバンとイグニスの目が合う。イグニスと目の合ったカルバンはにやりと相好を崩すと、何事もなかったかのように城へと続く小道を進んだ。
にやにやと笑いながらすれ違ったカルバンを見送り、その背中が林の奥に消えるまでイグニスは見守る。
そして、ここしばらくの懸念事項を思いだした。
「姫様!」
予定より良い物が手に入ったと浮かれてしまい、失念していた。
仕上がりが遅れるのなら、後日改めて受け取りにいけばよかったのだ。
他の何を捨ててでも、自分はクレアの側を離れるべきではなかった。
カルバンの笑みと、予定よりも五時間も帰りが遅れた自分。
己の失態を悟り、イグニスは離宮の中へと駆け込んだ。
「何があった?」
クレアの姿を離宮中探し回り、ようやく湯殿の前で蹲る弟を見つける。
嫌な予感は当たってしまった。