「既遂 序章」
それにしても、えらく気に入られてしまったようだ。半人半鬼が珍しい存在だというのは耳にしていたが、ヴァレスが異常なほどに興味を示すのだから、よほど珍重な存在なのだろう。実験道具扱いされるのは不服だが、もしかすると、人間に戻る方法があるかも知れない。まぁ、恐らくは期待するだけ損であり、徒労に終わるのだろうが。
「しかし、この治療はどれくらいかかる? もう結構な時間が経ったと思うが」
「もう少しかかりますね。文句は言わないで下さいよ」
「治療できるなら、それでいい」
「ふふ、貴方は彼にべったりですね。妬いてしまいそうです」
「喉笛を噛み砕かれたいか」
「恐ろしいことをおっしゃらないで下さい」
また気味の悪い微笑を浮かべて笑う。目の下に薄らと引かれている暈(くま)が、不健康に痩せた身体が、またヴァレスの不気味さを引き立てている。身の毛が弥立(よだ)つような恐ろしさだ。
「そういえば、この少年はアルヴァージュ家の三十二代目当主になられるお方でしたね。名前をまだ聞いていませんでした」
「セルビア・ロゼ・オルディス・ラ・アルヴァージュ。正統なアルヴァージュ家の血を引いている方だ」
「高貴で気高いお名前です。前代の方々よりも優秀な功績を残してくれましょう。大魔術とか」
「大魔術?」
聞いたことはあった。
大魔術とは、この国に住まう吸血鬼を殲滅させるための魔術であると。
「吸血鬼を滅ぼすための魔術であるということしか知らない」
「ならば、お話しいたしましょうか」
手術台の上に座っていたディストの隣にヴァレスが腰かけるが、ディストは二人の座っている距離を少し開ける。男がぴったりとくっついて来るのは、不快以外の何物でもない。相手がヴァレスならば尚更だ。やれやれとでも言いたそうに困ったような笑顔をして見せたが、しばらく睨んでいると近づくことを諦めてくれたようだった。
「吸血鬼は人間の天敵であり、幾度となく戦乱の歴史を重ねてきました。その度に、この国は人間のものになったり、吸血鬼のものになったりを繰り返してきた末、とある魔術師は大魔術を発見したのです。それが、遠い昔のアルヴァージュ家の人間だったのです」
「名家と呼ばれる理由が、それか……」
「はい。ですが、また吸血鬼が蘇る度に、アルヴァージュ家は、国の命を受けて、大魔術を行使しました。最初は、アルヴァージュの血を引く者しか大魔術を使用することができないとされていましたが、研究が進み、大魔術の素質を持つ者は複数いることが判明し、素質のある者ならば、誰にでも大魔術を取得することのできるようになったのです。つまり……」
「……もういい」
「そうですか。まだ続きがあるというのに」
吸血鬼は全て滅ぶべき存在だ。
両親を失ったとき、ディストはそう思っていた。今でもその思いは揺らぐことがない。
だが、微かに畏怖していた。自分が死ぬかも知れないということに。
「ひとつだけ、聞かせてくれ」
「貴方が私に質問を投げかけて下さるとは喜ばしい」
「……」
「ふふ、そんなに睨まないで下さい。それで、何でしょうか?」
「その大魔術は……俺のような半人半鬼も滅ぼすのか?」
「さぁ、どうなのでしょう。半人半鬼に関しては、分からないことが多すぎますので」
聞くところによると、大魔術は独学で勉強できるものではないらしく、国が認めている王都の国立魔術学校でしか教えられていないらしい。ヴァレスはその学校の卒業生らしく、素質はなかったが、学校で教えられた程度の大魔術の知識はあるようだ(ちなみに、医師の資格を取得したのも、その頃らしい)。
「大魔術か……」
ディストは物怖じしながら、そう呟き、膝を抱えて俯いた。
誰かが大魔術を使用すれば、積年の願いは叶う。しかし、復讐を果たせば、もしかすると、自らの身は……。
「貴方は考え事をするとき、そうする癖がおありのようですね?」
「癖?」
「そうやって、膝を抱えて俯くことですよ。先ほどもそうされていました。今度は何をお考えですか?」
「お前はなぜ、屍霊魔術を研究するんだ。国が使用と研究を禁じている、禁忌の魔術だというのは、お前も知っているだろう」
ふむ、と小さく唸り、口元に指先を当てて考え始める。しかし、結論に至るまでに、あまり時間はかからなかった。
「私が、原因不明の不治の病にかかっているというのは、お教えいたしましたよね?」
「あぁ。それについて研究していたんだったな」
「はい。私が医師になったのも、それが理由です。私には、生まれながら法術の素質がありましたので、学校では法術の勉強もしました。しかし、知識を身につけても、答えは得られなかったのです」
「だから、屍霊魔術を」
「そうです。死は怖いですからね。私のように才能がある偉大な人間も、死んでしまえば、そこらのネズミの死骸と何ら変わらない。屍は同じなのですから」
「そうか……」
要は不老不死になりたいということか。
屍霊魔術を研究する者の最終的な目標は大概、不老不死だ。彼もまた、その一人にすぎないのだろう。
「貴方も、死が怖いのですか?」
「……分からん」
頭を覆い隠すように俯く。生か死かの境地に立たされていたことがあるにも関わらず、ディストは、本気になって自分が死ぬことを考えたことがなかったのだ。
今、自分の命が運だけで成り立っていて、奇跡的にあるものだとすれば……そう考えると、命は実に尊い。
「生きとし生ける者、全てが皆、死を恐れています。だから、人間は禁忌を犯してまで、生に執着するのです。貴方はその典型ではないですか」
「どういう意味だ」
「さぁ、何でしょうね。ふふ」
恐らく、吸血鬼化のことを言っているのだろう。血を見た程度で吸血鬼化してしまうほど自分が分かりやすく単純だというのは、自覚しているので、否定も反論もしない。
「そろそろですね。数年ぶりに目を覚ましていただきましょうか」
とんと手術台を下りると、装置の操作を始めた。だが、ヴァレスの様子がおかしい。カプセルの様子と装置の操作をするスイッチを、何度も目配せしている。
「何があった? まさか、失敗したのか?」
「治療には成功していますし、呪符の解除にも成功しています。しかし、少し困ったことがありまして」
「何だ?」
「さすがアルヴァージュ家の正統な血を引く者と言いますか、私の魔術と、彼の血が反発してしまいまして」
こんなときにでも、ヴァレスはいたって落ち着いており、淡々とした口調で今の状況を説明する。魔術の知識があまりないディストには、ヴァレスの言っている言葉の意味を理解するのは苦しかったが、とりあえず、大変な状況下に置かれているということは分かる。
「どうにかなるのか?」
「なるといいですがねぇ」
カプセル内の水が抜けて、カプセルが開くと、中に合った水は空気と一体化して蒸気となった。
中で眠っていた少年は重たい瞳を開き、目を覚ました。八年ぶりの目覚めである。
蒸気の向こう側からゆっくりと歩き出すも、今の状況をなかなか飲み込めない少年は、ひとまず辺りを見回した。大量の書物が収められた本棚や、見慣れぬ装置。まるで、彼の知らない世界であることには間違いがない。
「ここは……?」