「既遂 序章」
一糸纏わぬ姿の少年に纏っていた白衣を渡すと、ヴァレスは埃塗れの床に跪いた。少年はそのことに関して、特に何も思わなかった。それよりも、今、自分の置かれている状況を把握したかったのだ。
「私の医院であります。アルヴァージュ三十二代目当主、セルビア・ロゼ・オルディス・ラ・アルヴァージュ様」
「身体に悪いところなんてないはずだけど」
「貴方は八年もの間、昏睡状態についておられた」
「八年? そんな……お前は、お前は何を言っているんだ!?」
困惑と焦燥で、気が動転しているセルビアの手を取り、微笑みを手向ける。それによって安堵したのか、高慢で高飛車な態度を取ることで、冷静さを着飾る。
「信じられないかも知れませんが、事実です。それを気になさられた貴方の従者様が、私の元へ訪れまして」
「従者……?」
ヴァレスの言葉を聞いたセルビアは、ヴァレスのいる場所よりも奥で、腕を組んで壁に凭れているディストへ視線を移しながら、大理石の床の上を素足で歩いてくる。
目と鼻の先の距離まで近づいてきたところで、セルビアは深い嘆息を吐いた。
「お前、従者という割に、えらく図々しい態度を取るんだな」
今、このときから、従者になったのだ。
その日が来ることも分かっていたし、最期まで尽くしていくことも、心に決めていた。
しかし、突然、従者になれというのも難しい話で、急に実感が湧くはずもない。
一頻り、そんな下らないことに思考を巡らせていたが、自分はもうアルヴァージュ家専属の従者になってしまったのだから、その役目を果たさなければならない。第一、最初からそのつもりでいたはずなのに、覚悟を決めるのが遅すぎた。
凭れていた壁から離れ、ヴァレスと同様に跪く。否、セルビアの言葉が背中に重く圧し掛かり、その比重で跪きざるを得なかったとでもいうべきか。
「……申し訳ございません、セルビア様」
「分かったならいい」
セルビアの紺碧と深緑の瞳が、ディストの真紅の瞳を冷たく見下す。
繊細で華奢な肢体や、明るい栗色の髪に映える幼い顔立ちよりも、自分を冷たく見遣る両の瞳がディストにとって、ひどく印象的だった。
高飛車で高慢。だが、貴族の特有の高貴さと気高さを持つその少年の姿を見て、彼を最期の瞬間まで守り抜く意志が急激な速度で強まっていく。この朝焼けの白日のような真っ白な絹の肌に、傷一つつけてはならないと。
アルヴァージュ家十二代目当主の少年と、彼の一家を殺戮した半人半鬼の従者。彼らの出会いは、今から二年前。セルビアが十五の齢のときであった。