夜桜お蝶~艶劇乱舞~
胸板から顔を離したお紺の口は紅く濡れていた。そして、胸板は乳首ごと皮を喰われていた。
本当に喰われると弥吉は恐怖した。
竹棒で叩かれるよりも恐ろしい。生きたまま喰われるなど、底の知れぬ恐怖と苦痛だ。
「た、助けてくれ!」
弥吉は叫んだ。
恐怖に歪む相手の顔を、さぞ至極であるようにお紺は嗤って見ていた。
「できないね」
「お、おおお願いだ!」
「あんたはあたしを裏切った、二度も」
「…………」
ごくりと弥吉の咽仏が上下した。
お紺の指先が弥吉の胸の傷をなぞる。
「ギャ!」
「一度目は、名前はなんだったかね、あの娘。ほら、あんたが惚れてた娘だよ」
それはお千代の姉であるお千佳だと知れた。お紺は二人の仲に気付いていたのだ。
「あんたがあの娘に惚れてるのを知ってね、わざと代官に売ったのさ」
嗜虐症のお紺は、弥吉を苦しめるためにお千佳を売った。
しかし、弥吉は認めなかった。
「おれはそんな女知らねえ、だから助けてくれ」
「そうだね、あんたはあの娘を忘れたように、献身的にあたしに尽くしてくれた。だから許してやろうかと思ったけど、二度も裏切られるなんてねえ」
「おれが姐さんを裏切るなんて……」
「あんたが連れ出そうとしてたあの娘。前にあんたが惚れてた女の妹かなにかだろう?」
ぎょっと弥吉は眼を剥いた。お千佳の名前すら覚えていないお紺になぜわかる?
「あんたの惚れてた娘の顔も名前も覚えちゃいないけど、臭いは覚えてね。臭いが同じなんだよ、あの娘」
臭いというのが比喩なのか、弥吉には判断できなかった。お紺に感じる底知れぬ恐怖は、人智を超えたものだ。つまり人間とは思えなかった。
次の物色をするために、お紺は弥吉の爪先から股間に向けて舐めるように見た。
「どこを喰おうかね?」
「や、やめてくれ! もう嘘はつかねえ、姐さんに魂を売る。だから助けてくれ!」
その言葉は本心だった。
「あたしに魂を売る?」
「売る、売る、だから助けてくれ!」
「醜い人間だねえ」
裏切りだった。お千代への裏切り。そして、愛したはずの女への裏切り。
弥吉は女を裏切った。
鼻水と涙を混ぜながら弥吉は泣きじゃくった。
「助けてくれ、なんでも言うことを聞く……」
「その言葉、嘘偽りはないね?」
暗がりでお紺の瞳が金色に光り、弥吉は震えるように首を縦に振った。
お紺は人の魂を買った。
作品名:夜桜お蝶~艶劇乱舞~ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)