赤い瞳で悪魔は笑う(仮題) ep2.姉妹
「気配がね……、急に消えたんだよ」
紅也は、何もないはずのある一点――空気中の粒子か何かでも見つめているのだろうか?――を見つめたまま、呟くような小さな声で、俺にそう言った。
――気配? ……何の。
俺も自然対抗するように、小さな声で問う。紅也は横目でちらりと俺を見て、呆れたようにため息をついた。……少し、癪に障る。
――何なんだよ、ため息なんかついて。
「つきたくもなるさ。キミ、本当に僕の話、聞いてたの?」
――ええっと……。
じろりと睨み付けられて、俺はたじたじとなる。……何だっただろう?
「はあ……。君は、時々本当にどうしようもなく救いようのない高校生に成り下がるよね……。まあ、良いよ。じゃあ、五秒で思い出してみて。僕とキミが、何をするためにあそこまで走ったのか」
――…………。
ああ、……そうか。『通り魔を捕まえるため』、だったか。
「……全く。そう、その通りだよ。一体、君の脳内の諸機関の連結は、どうなっているんだろうね? いちいち手取り足取り、一から十まで教えなくちゃならないのかな……」
眉間にしわを寄せ、紅也は首を振る。……申し訳ない。
「うん、もうそんなことはどうでもいいや。それで、話に戻るけれど。その『通り魔』の気配が、僕たちがあの場所にたどり着く、そのほんの数秒前に突然、消えたんだよ」
――……消えた? 『通り魔』が?
「うん。まあ、信じられないくらい逃げ足が速かった、という可能性もあるにはあるけれど……。でも、僕が感じ取れる気配は、この市内なら全てに及ぶはずだから……。たった数秒で、市外へは、……流石に、常人には無理、でしょう?」
――ま、そうだな。
「だから――……おかしいんだ。一体、どうしてあの気配は消えてしまったのか」
赤い瞳を細めるようにして、紅也は考え込む。でも。
その唇が笑みの形に歪められていて――……どことなく、この状況を楽しんでいるようにも見える。
「あ、あの――……」
咲屋が、細く開かれたドアからひょこっと顔を覗かせた。手にはトレーを持っていて、ティーカップが一つ、湯呑みが一つ、マグカップが一つ置かれている。
「その……、お邪魔だった……、かな?」
「ううん、そんなことないよ。そもそもここ、咲屋さんの家じゃない」
紅也は、不安げに居間に入ってくる咲屋に、笑いかける。そう、ここは咲屋の家だ。あの後俺たちは、死体ではなかったとはいえ通り魔の被害者を見た直後だったし、周辺は危険だろうということで咲屋を家まで送ったのだが、律儀な彼女はそのお礼をすると言って聞かず――……俺たちはここで、彼女がお茶を入れてくれるのを待っていたという訳だった。
「これ――……えっと、お茶、なんだけど――」
咲屋は、テーブルにカップを配置していく。俺の前にはマグカップが、紅也の前にはティーカップが置かれた。
「マグカップにティーカップに、湯呑み……。もしかして咲屋さん、……一人暮らししてるの?」
「うん。そうなの……」
儚げに微笑む咲屋。流石に大黒の家ほどではないが、一人暮らしするのには十分な大きさのテーブルである。
「御免ね、狭い部屋……で」
「ううん、そんなことないよ」
さっきとそっくり同じ台詞の癖に嫌味に聞こえないのは、紅也の言い方が柔らかいせいだろう。
咲屋が一人で住んでいるというここは、一軒家ではなかった。彼女自身が先ほどそう言った様に、部屋……アパートである。とは言っても、一間の貧乏長屋というわけでもなく、割と立派な、ちゃんとした造り――具体的に言うと、3LDK――の、アパートだった。
大黒の家と同じくきちんと整頓された居間に通されたわけだが、ここにあるのは大黒の家とは違って、『見せるための』清潔さではなかった。本当に――物のない、余計なものの何一つない、違った意味での清潔さ。キレイ、というのではなく……こざっぱりとした、という形容のほうが似合う、そんな場所。
俺はふと、咲屋がここで一人で食事を摂っている光景を想像してしまう。それは、置いてある小さなテレビすらつけることのない、静かで清廉な、教会の修道女のような、仏寺の修行僧のような、ある種の美しさすらかんじられる、そんな光景。そしてそこには、一切の感情の入る余地がない。ただ黙々と、咲屋は目の前の料理を食すのみ。
作品名:赤い瞳で悪魔は笑う(仮題) ep2.姉妹 作家名:tei