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ソラニワ

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 夜色の瞳が、じっとこちらを見つめている。その視線があまりにもまっすぐなので、ソラは何だが落ち着かない気分になった。
 なんだろう。ぼくの顔になにかついているのだろうか。
 あ。
 まさか、よく見たらぼくが“ソラ”じゃなかったとか。
 そんなオチってあるんだろうか。
 まさかまさか、そんなこと……。
「ソラ」
 ふいに少年が手招きする。名前を呼ばれたことに少しほっとして、ソラは少年のすぐ近くにしゃがみ込んだ。
 手振りに誘われて、さらに顔をよせる。
「?」
 かがんだところをいきなり抱きすくめれ、ソラは少年の上に倒れ込んだ。
「わっ、ちょ、なにっ?!」
「ソラだ……」
 少年が腕に力を込める。前のめりの無理な姿勢で背骨が折れそうだ。
「ちょ……くる、し……っ」
「ソラだ、ソラだ、ソラだ!!ついにやったぞ!!」
 足をばたつかせながら、少年が幼子のように歓声を上げる。その声がわずかに震えていることに気がついて、ソラはもがくのを止めた。
 少年は、心の底から喜んでいた。頭のてっぺんからつま先、鼓動、吐く息にまで、喜びが溢れている。
 ああ、この人は。
 本当に、“ソラ”が好きなんだな。
 ぎゅうぎゅうと抱きしめられながら、ソラはどこか他人事のようにそう思った。
「ああ、ソラだ……ちゃんと生きてる。生きて……」
 少年が声を詰まらせる。泣いているのだろうか。
 見ないふりをすべきかどうか迷っていると、とつぜん体が持ち上がった。ソラの目と鼻の先で、夜色の瞳が子どものようにきらきらと輝く。
「なあ、どこに行きたい?紅富都?珀林?とりあえず海見たいよなあ、海。あと白絹砂漠と、輝日野の原生林……どこでも好きなところへ行ける。おれたちは、もう自由だ」
 双眸が強く光る。さっきの無邪気な輝きとは違う、ぎらりとした刃のような光だ。
「もうこんなくそったれな国で、くそったれなやつらと一緒にいなくていい。どこか遠いところへ行って、ふたりで……っ」
 とつぜん少年の顔が歪む。
「どうしたの」
 痛みを堪えるような表情に、ソラは思わず腰を浮かせた。
 なんでもない、と少年が首を振る。その瞳が、ふっと遠くなった。
「……本当に長かった。おまえが捕まってから毎日、もう殺されてるんじゃないかとか、二度と会えないんじゃないかとか、考え出すと止まらなくて。こんな日が永遠に続くのかもしれないと思うと、本当に気が狂いそうだった。でも、終わった……もう二度とあいつらの好きにはさせない。いいか、ソラ」
 腕を強く掴まれる。挑むような瞳が、再び鮮烈な光を宿した。
「もう絶対に、おれはおまえと離れたりしない」
 強い意志が鼓膜にぶつかる。
 いや、意志なんて生易しいものではない。これは誓いだ。少年の魂が、そう誓っている。少年は自らの命を賭して、それを必ず実現するだろう。
 鼓動が高鳴る。
 魂には、魂で応えなければならない。
 ソラはまっすぐに少年を見つめたまま、全身の力を絞り出すように、ゆっくり一度だけうなずいた。
 安堵したように、双眸の光が和らぐ。少年の腕から力が抜けた。
「魔法院がおれたちを追ってくるだろうけど、内々に済ませようとして、始めのうちはあまり大きく動かないはずだ。軍が出てくる前に、“裏”の空港からとりあえず玖倉へ渡る。出国するまでは気が抜けない。おまえもおれから離れるなよ」
 少年が再びまぶたを閉じる。ぐったりと体を投げ出して、深いため息を吐いた。ひどく疲れているようだ。
「具合が悪いんですか?」
「いや……“力”の使い過ぎでちょっと疲れただけだ。少し休めば、大丈夫」
 少年が片手で顔を覆う。
「飛空はとくに神経を使うんだ。しかも二人乗りで長距離はかなりキツい。正直、あのまま落っこちるかと思った。ちょっと危なかったな」
 にやりと笑った少年が、ふいに真顔になる。
「おまえこそ、何ともないのか」
「え?」
「“え?”じゃないだろう。体は大丈夫なのか?ずっと冷凍されてたんだし、あの時の怪我だって……」
 ひんやりとした指が首筋に触れる。
「首はちゃんと繋がってるみたいだけど」
 少年がくすりと笑う。いろんな笑顔を操る人だなとソラは思った。
「覚えてないだろうけどさ、おまえ、頭とれそうだったんだぜ?すごい出血だったし、あの時はおれも本気でおまえが死んだと思ったよ。まさか本当に不死身だなんて思ってなかったからさ」
 風がふたりの間をすり抜けていく。
 少年はもう笑ってはいなかった。
「あの時……おまえがおれをかばって竜に噛まれたあと、ようやく魔法士団が来たんだ。通報からどのぐらい経ってたと思う?二日だぞ、二日!もう何十人も死んでた。残の群れの連中も半分やられたよ。結局、竜だっておれが……あいつら、全部終わったあとにのこのこ出てきやがって。おれたちを助けに来たんじゃない。ただ、竜の死骸と、竜に殺られた死体を回収に来たんだ」
 少年の声音はひどく静かだった。時折、悲鳴に似た音をたてて過ぎる風のほうが、よほどうるさいくらいだ。表情の消え失せた少年の顔はきれいな人形のようで、体温を感じさせないほどに無機質だった。
 けれど、その見た目とは裏腹に、夜色の瞳の奥で高温の何かが燻っていることに、ソラは気がついていた。
 怒りとか憎しみとか、それに似た何か。
 唇の端に滲む血が、やけに赤く見える。
「おまえが“死体”として連れて行かれそうになって、おれは思わず“力”を使った。結局おれも捕まって……護送される直前に、おまえが動いたんだ。あいつらの驚きよう、おまえにも見せてやりたかったよ。おまえは『ハコ』に連れて行かれて、おれは魔法士として院に従うことを強要された。おまえが生きていることはわかってたから、素直に従うふりをして、助け出す機会をうかがってたんだ」
 二年、と少年が呟く。
「居場所の特定と『ハコ』へのアクセスに、二年かかった。本当はもっと早く助けてやりたかったんだけど……ごめんな」
 消え入りそうな声で、少年が目を伏せる。ソラは唇を噛んだ。
 謝らなければいけないのは自分のほうだ。
 この人は、こんなにも“ソラ”のことを想っている。
 声音から、まなざしから、指先から、少年のすべてから溢れ出てる想いは、言葉よりも強い力で、ソラの心を震わせた。
 それなのに、自分はどうだ。一切の記憶をなくし、少年の名前はおろか、自分のことすら思い出せない。
 罪悪感で臓腑が軋む。情けない気持ちでいっぱいだ。頭を打って記憶が戻るなら、いますぐ地面に打ちつけてやるのに。
 唇を強く噛み締める。
 その時、ぎりぎりと縮んだ胃から、ぐきゅうぐるるる、とマヌケな音が出た。
 それは沈んだ空気をぶち壊し、長々と余韻を響かせながら、ソラと少年の間を抜けて、晴れ渡った空へと消えていった。
 少年と目が合う。わずかな間を置いて、少年が思いきり吹き出した。
 顔が熱くなる。恥ずかしい。どこかに埋まってしまいたい。
 あぁあああ。
「とりあえずメシ食おう。ああ、そのまえに服だな……ふふっ、しかし今のは傑作だったな」
 くっくっと喉で笑い、少年が肩を震わせる。なんかもう最低だ。
 それでも……。
「ああ……なんか、久しぶりに笑ったな」
 少年が穏やかに微笑む。
作品名:ソラニワ 作家名:緒浜