ソラニワ
静かな声に、男たちの視線が一斉に手元へと向けられた。
その隙に、少年が『支柱晶』で床に大きく円弧を描く。軌跡は一瞬青白くきらめいたかと思うと、次の瞬間、赤く燃え上がった。
「う……っ!」
熱風に思わず目を細める。ちりちりと頬が熱い。
人の背丈を超える大きな火柱が、何もない床から噴き出していた。それはごうごうと勢いを増しながら、男たちへと迫っていく。
揺らぐ炎の隙間から、悲鳴を上げて後じさる男たちが見えた。
「行くぞ!」
手を引かれ、ソラは通路を駆け出した。
思うように動かない足がもつれ、その度に少年の肩を借りる。
通路はどこまでもまっすぐに伸びていた。天井が高い。通路というより、ここは巨大なホールのようだ。前後左右に大きな装置が等間隔で並んでいて、それが壁のようにどこまでも連なっていた。
装置の影に駆け込むと、少年が腕時計を確かめた。チカチカと光る数字の列を指でなぞる。
「そろそろ、いいか」
ソラを一歩下がらせて、少年が深く息を吸う。まぶたを伏せ、ゆっくりと息を吐くと、水平に持った『支柱晶』がふわりと浮き上がった。
「乗れ」
「え?」
言われた意味がわからず、ソラは思わず聞き返した。
『支柱晶』はちょうど腰あたりの高さで、空中に静止している。
取り出したゴーグルを装着して、少年は再び言った。
「いいから、乗れってば」
「乗れって……この棒に?」
「そうだよ、ほら早く!」
腕をつかまれ半ば強制的に、ソラは『支柱晶』にまたがった。両手にひんやりとしたガラスの感触が伝わる。おそるおそる体重を預けると、それは水面に浮かぶ小船のようにわずかに沈んだ。
少年がソラを後ろから抱え込む格好で『支柱晶』に足をかけた。頬が触れ合うほど近いその横顔を、横目でちらりと見る。
唇の端に、赤い血がにじんでいた。
「しっかりつかまっとけ……頼むから、落っこちるなよ!」
笑いを含んだ声が、耳元で囁く。
次の瞬間、全身を押しつぶす圧力とともに、足が床から離れた。
胃が浮き上がる感覚に思わず悲鳴をあげる。
身を屈め、必死で『支柱晶』にしがみつきながら、ソラは恐る恐るまぶたを開けた。
足の下で、装置の群れが猛スピードで背後に流れていく。
ふたりを乗せた『支柱晶』は、空中をすべるように飛んでいた。
空気のかたまりが顔にぶつかる。うまく息ができない。まぶたを開けているのもやっとだ。それでも恐怖を感じたのはほんの一瞬で、生まれて初めての感覚にソラの心は浮き立った。
まるで鳥に、いや風になったみたいだ。
ざわりと首筋が粟立つ。叫びたい。あらん限りの声を発して、この風と真っ向から対決してみたい。そんな衝動に、唇がむずむずした。
前方に灰色の壁が見えた。
改めてまわりの景色を見る。途方もなく広い空間に、数えきれないほどの装置が並んでいる。人の姿は見当たらない。奇妙なところだ。なにかの施設だろうか、まるで見当もつかない。
何本ものコードを生やし、見ようによっては生き物のようにも見える装置の群れを見下ろして、ふと気がつく。
ついさっき自分が這い出てきたのは、あの装置のうちのひとつだったらしい。
ということは、もしかして。
この装置のひとつひとつに、人間が入っているのだろうか。
「抜けるぞ、しっかりつかまってろ!」
風圧が増して、耳元で風が唸る。本当に息ができない。
少しでも油断すると、体を持っていかれそうだ。
少年が何かを叫ぶ。
直感的に身を屈めて、固く目を閉じた。
次の瞬間、凄まじい爆音が全身を呑み込んだ。
世界が回転し、どちらが上か下かも曖昧になる。
体がバラバラになりそうだ。
背中に少年の体温を感じる。
そのぬくもりだけを頼りに、ソラは待った。
永遠のような一瞬を抜けて、突然、すべての音が霧散した。
空気の質が変わる。風の音がやわらかい。
ソラはゆっくりとまぶたを開けた。
……——青い。
上も下も。
右も左も。
地面はどこにも見当たらない。
本当に、ただ、青い……。
砕けた壁の残骸が降りそそぐなか、空はどこまでも果てしなく、ただ青かった。