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ソラニワ

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 もう二度と帰れないだろうと、ジインは言っていた。



「おれたちが追われる理由は二つ」
 言いながら、ジインが人差し指をぴんと立てる。
「その一。おれが魔法使いだから」
「魔法使い?」
「そう。手を触れずに物を動かし、炎を操る。そういう力を持つ人間を魔法使いと呼ぶんだ」
 ジインが手をかざす。風のようで、風よりも確かな感触のなにかが、ソラの頬を撫でていった。
 目には見えない、不思議な力。これが、魔法。
「どうして魔法使いだと追われなくちゃいけないの?」
「厳密に言うと、魔法使いだからというよりも、魔法使いなのに“魔法士”として国に尽くすことを拒否したからだな。魔法士は、国に従い、国のために働かなくちゃいけないんだ。法律でそう決まっている。“魔力を持って生まれた国民は、その能力を公共のものとし、公益および公の秩序のためにこれを使用しなければならない”」
「国に従い、国のために働く……拒否できないの?」
「できないな。“これに背反する者は、法に従って厳重に処罰される”。まあそもそも、背反する者自体が少ないんだけど」
「どうして?」
「今いる魔法使いのほとんどが、人工的に生み出された“作りもの”の魔法使いなんだ。閥族やら金持ちやらが莫大な手術費用を払って、まだ母親のお腹にいる自分の子どもを“改造”する。赤ん坊が魔法使いとして生まれる確率は7.2%。何人もの“はずれ”を生み出した末に生まれた貴重な魔法使いは、院で教育を受けて魔法士になり、軍部や政府、院の中枢と、閥族を繋ぐ重要なコネクションになる。そんなわけだから、魔法使いとして生まれた人間で、魔法士になりたくないなんて奴はまずいないし、許されない……というか、魔法使いとして生み出された時点で、すでに魔法士になることが決まっているんだ」
「じゃあ、ジインは?」
「おれはしがないサラリーマンの家に生まれた、天然の魔法使いだから。軍部にも政府にも興味がないし、閥族連中に義理もない。……よく考えたら、両親が死んでからのうやむやで住民登録も消滅してるから、国民としての義務すらないな」
 つまらなそうに鼻で嗤い、ジインは話を続けた。
「魔法士になれば、衣食住すべてにおいて最高級の生活が保証される。でもそのかわり国に忠誠を誓わされて、徹底的に管理されるんだ。日々の生活はもちろん、思想や嗜好、服の趣味までな。あいつらに飼われるぐらいなら、一生逃げ回るほうがマシだよ。それに……」
 ジインの指先がソラの膝を示す。昼間に傷ができたところだ。半日も経っていないのに、すでにかさぶたが取れかかり、その下から真新しい皮膚が見えていた。
「おれたちが追われる理由その二が、おまえの特殊体質だ。そのめちゃくちゃな治癒能力。成長速度と身体能力も、普通の人間と比べ物にならない。おまえみたいな体質の人間は“ヒトガタ”と呼ばれて、捕まればモルモット同然の扱いを受けることになる。わかったか?おれたちが二人で平穏無事に暮らすには、この二つをうまく隠さなくちゃいけない」
「ぼくらを追っているのは、警察?」
「いや、国立魔法院だ。魔法士を管理育成総括する、公の機関……院の長老どもは国政の実権も握っているから、そのうち警察や軍も動くだろうけど」
「そんな人たちから……逃げきれるの?」
「逃げきるさ」
 ジインが不敵に笑った。
「そのために少しずつ準備してきたんだ……たとえ第一士団が来たとしても、うまく切り抜けてみせる」



 シャワーの音が聞こえてきた。
 なんとなく浴室のほうに目を向けて、思わずぎょっとする。半透明の壁の向こうに、黒と肌色がにじんでいた。
 さっきは気がつかなかったが、浴室側では全面鏡になっていた壁が部屋側から見ると透けていて、不明瞭ではあるが浴室内が見えるようになっていた。部屋がうす暗いので、浴室はまるで発光する画面のように見える。
 にじむ肌色からあわてて目を逸らす。
 もしかして、さっきの背伸びやらしかめっ面やらも、透けて見えていたのだろうか。だとしたら、マヌケすぎる。
「うわあ、最っ低……」
 ベッドに頭を埋める。
 ガラスのにじみは大きく、人の形はわかるけれどその表情までは窺えない。そもそも作業をしていたジインが浴室のほうに目を向けていたとは限らないのだが、マヌケなポーズを見られたかもしれないと思うと、部屋中を転がり回りたいくらいの恥ずかしさが込み上げてくる。
 数分の間、うんうんと唸った後、ソラはベッドの上のリモコンを手にとった。このままでは、いやらしい映像を観ているようで落ち着かない。とりあえず部屋を明るくすれば、浴室もあまり目立たないだろう。並んだボタンを、適当に押してみる。
 照明が青に変わった。
「お……」 
 別のボタンを押してみる。キラキラとミラーボールが回り始めた。
「おお……!」
 別のボタンを押してみる。ベッドがゆっくり回転し始めた。
「おおお!!」
 おもしろい。この機能に何の意味があるのかわからないが。
 ベッドにあおむけに寝そべって、天井を眺める。小さな白い光の粒が、ソラを中心にくるくると回る。まるで水の中にいるみたいだ。
 楽しくなってボタンを次々と押していく。
 赤、黄、紫と照明が変わり、フラッシュが点滅したり、スポットライトが当たったり、ベッドが逆まわりになったりした。
 ぱっと浴室側が明るくなる。見ると、頭を洗うジインの鮮明な後ろ姿が目に飛び込んできた。
 驚いて跳ね起きる。壁がない。丸見えだ。
 曇りガラスが曇っていない。
 あわててリモコンを見る。どのボタンを押したのか、まったくわからない。
 ボタンを押していく。照明が青になる。ピンクになる。チカチカする。ベッドが回転する。
 ジインがこちらを振り返る。心の中でぎゃーと悲鳴を上げ、ソラはベッドに突っ伏した。
 寝たふりのまま数十秒が経過する。
 恐る恐る顔を上げると、ジインはとくにあわてた様子もなく、体を洗っている。どうやらこちらには気づいていないようだ。
 もしかして、浴室側は鏡のままなのだろうか。
 ほう、と胸を撫で下ろす。いや、安心している場合ではない。ジインが浴室を出る前に、壁をもとに戻さなくては。
 リモコンに視線を移そうとした瞬間、ソラはぎくりと動きを止めた。
 白い泡が洗い流された、ジインの体。現れた無数の傷あとに、視線が釘付けになる。
 斜めに裂かれたような傷、やけどらしき小さな点、すり傷、青あざ。古いものもあれば、いまだ鮮血が滲んでいるものもある。そしてそれらの多くは、服の外からは見えないところに集中していた。
 臓腑の奥が熱くなる。
 これは、事故やなにかで偶然できたものではない。人の手で、故意につけられたものだ。
 脇腹のひときわ大きな傷を、ジインの手のひらがそっと覆う。真新しい傷だ。ジインの視線が、鏡ごしに傷へと向けらた。表情は静かだ。
 その表情と相反して、ソラの中に怒りが逆巻く。
 誰だ。誰にやられた?
「魔法院……」
 きっと、やつらに違いない。
作品名:ソラニワ 作家名:緒浜