ソラニワ
今までソラは魔法院を、なにか得体の知れない生き物のように思っていた。巨大な力を持つ、国の最重要機関。国内全土へ根を伸ばしているその組織力は実体のない影のようで、つかみ所がない。ジインが一緒ならまだしも、何の力もない自分一人では立ち向かっても勝ち目はない、ひたすら逃げることしかできない。そう思っていた。
けれど今、その恐れは吹き飛んだ。
魔法院は、敵だ。
ジインを傷つけるなんて、絶対に許さない。
「ぶっとばしてやる……」
ジインのような力がなくても、この拳で、必ずぶっ飛ばしてやる。
そう心に誓い、ソラは拳を握り込んだ。
シャワーの音が止まる。はっとして、ソラは我に返った。
「やばい……!」
壁をもとに戻さなくては。
手当り次第にボタンを押す。赤、青、ピンク、フラッシュ、ミラーボール、赤、スポットライト、フラッシュ。どれも違う。
ジインが服を着終える。
「わーっ!」
ジインが扉に手をかけたところで、リモコン側面にもポタンがあることに気がついた。
“主”と書かれたそのボタンを押す。ジインが浴室を出るのと同時にすべての照明が消え、部屋が真っ暗になった。
「なに遊んでんだ?」
入口近くのスイッチで明りをつけたジインが、ソラを振り返る。照明は普通の白色になり、壁はもとの曇りガラスに変わっていた。
「うん、ちょっとね」
曖昧に笑って、ソラはそっとリモコンを置いた。
危なかった。心臓がばくばくしている。
「荷物は枕元に置いとけよ。何かあったらすぐ逃げられるように」
ホログラフの裏からチップを取り出し、ジインがベッドへ腰かける。首まで隠す黒いシャツに、暗色の細いジーンズ。その下に無数の傷が隠されているなど、立ち振る舞いからは微塵も感じられなかった。
「靴もすぐ履けるようにな」
「わかった」
「うー、疲れた。おれは寝るぞ」
さっさと毛布にくるまるジインの、当たり前のように空けられた左側におさまって、ソラはゆっくりと息を吐いた。
しんと静まり返った室内に、隣の部屋の喘ぎ声がやけに大きく響く。頼みもしないのに、まぶたの裏にホログラフの男女の姿が蘇った。それらを無理やり頭の外へ押しやって、ソラは耳まで毛布を引き上げた。
ふいに背中と背中が触れる。緊張して、ソラは身を硬くした。ジインの眠りを妨げないよう、身動きせず、呼吸も最低限に抑える。まぶたを閉じてみたが、意識は冴えて背中に向けられたままだ。
こんなんでちゃんと眠れるだろうか。
靴をはく、上着をきる、荷物を持つ。意識を背中から遠ざけるために、何かあった時の逃げる手順を頭の中で繰り返す。
「記憶」
「えっ?」
掠れた声に、どきりとする。ジインが身じろぎした。
「記憶、早く戻るといいな」
「……うん」
揃いの鍵を握りしめる。背中がじんわりと温かい。
もしも脳みそがまだ凍っているのなら、やわらかなこの熱がきっと溶かしてくれるだろう。
ジインの寝息を聞きながら、ソラはしばらくの間、ド派手な壁紙をただぼんやりと眺めていた。