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ソラニワ

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004:PINKY LOVER BOY



「あの……ジインさん?」
「ジインでいい。“さん”いらない。“爺さん”みたいでいやだ。あと中途半端な敬語もやめろよ、調子が狂う」
「じゃあ、ジイン……聞くけどさ」
「うん」
「なに、ここ」
 ド派手な壁紙に、ふかふかのカーペット。へんてこなかたちのベッドはてらてらと光り、悪趣味なこと極まりない。
 ピンクの色水に浸したような部屋は、いかがわしさに溢れていた。
 立ち尽くすソラの横で、顔色ひとつ変えずにジインが答える。
「ええと、ここはラブホテルといって、おもに恋人同士がちちくりあう……」
「そんなの知ってるよ!そうじゃなくて、どうしてこんなところに来たのかって聞いてるんだ!」
「え、知ってるんだ……ふーん。おれのことは覚えてないのに、ラブホは覚えてるんだ。ふうーん」
 半眼で言われ、肩をすくめる。
「う……ごめん」
「冗談だよ」
 くすりと笑って、ジインの手が頭をくしゃりと撫でた。記憶をくすぐる懐かしい感触に、頬が熱くなる。
 手の甲で頬をこすりながら、照明がピンク色でよかったと、ソラは思った。



「……覚えてない?」
 記憶がないとわかった時のジインの反応は、意外なものだった。
「覚えてないって……え、何も?」
 ジインが目を丸くする。
 いたたまれない気持ちで、ソラはうなづいた。
「おれのことも、自分のことも……なにもかも、全部?」
 わずかに間を置いて、再びうなづく。
 まばたきをひとつして、ジインは黙り込んだ。
 ふたりの間に、風が吹きすさぶ。
 重苦しい沈黙。
 険しい表情で押し黙ったまま微動だにしないジインを、ちらりと上目遣いに盗み見る。
 怒っているのだろうか。
 それとも、がっかりしているのだろうか。
 そうだとしても仕方がない。自分のことを忘れられてしまうなんて、自分が逆の立場だったら、ひどく落胆するだろう。
 胃のあたりがぎゅうっとなる。空腹のせいではない。
 所在なげに視線を落としたソラの頭に、いきなり衝撃がきた。
 ごつ、と世界が揺れる。
 殴られた頭を抱えて、ソラはしゃがみ込んだ。
 世界が涙でみるみる歪んでいく。
 理不尽なげんこつに、立場も忘れて、ソラは思わず声を荒げた。
「いっ……てええ!な、なにすんだよ?!」
「いや、記憶が戻るかなと思って。どう?」
「どうって……戻るわけないだろこんなことで!」
 拳をさするジインを、涙目で睨みつける。ジインは悪びれる様子もなく、首を傾げている。
「うーん、じゃあ、あっためてみるか?脳みそがまだ凍ってるのかも」
 ジインが手をかざす。吹き出す炎を思い出して、ソラは後じさった。
「いいよ、もういい!」
 叫んだ拍子に、ぐう、と腹が鳴る。あっと声を上げて、ジインが手を叩いた。
「飯食ったら戻るかもよ?!」
 なんなんだこの人。
 思わず口を開けたまま、まじまじと見つめる。
 視線に気がついたジインが、眉をひそめた。
「なんだよ、信じてないな。いいか、食事をとれば脳に糖分が……」
「いいです。もうわかりました」
「うっわ、ムカつく。何だよその言い方」
「だっていきなり殴るから!」
「前もって言ったら効果ないだろ。今からびっくりさせますよって前フリしてしゃっくりが止まるか?」
「それとこれとは別問題だろ?!」
「あーうるさいうるさい。記憶がなくても、それだけうるさきゃ、大丈夫だな」
 にやりとジインが笑う。
 あ。
 もしかして、慰めてくれたのだろうか。
「ああ、そうだ、名前な。おれはジイン。おまえの親みたいなもんだ。よろしくな」
 そう言ってにかりと笑ったあざやかな笑顔は、ソラの中に渦巻いていた後ろめたさや不安や心配を一瞬できれいさっぱり吹き飛ばしたのだった。



「しかし不思議だよなあ。言語とか一般常識は覚えてるのに、他のことは忘れちゃうなんて」
「……ごめんなさい」
「謝るなってば。そんなもんだろ、記憶喪失って。何かの本で読んだけど、記憶が完全に消えることはなくて、本人が忘れているだけで、脳のどこかには残ってるらしい。だからおまえも、そのうちけろっと思い出すかも……あ、なんならまた衝撃を与えてみるか?」
 にっこりと笑って、ジインが拳を作る。
「……遠慮しとく」
「あっそ。まあ、あんまり気にするなよ」
 さらりと言うジインの横顔を見ながら、ソラはかすかな寂しさを覚えた。
「……ジインは平気なの?」
「なにが」
「ぼくがジインを覚えてなくても……」
「平気なわけないだろ」
 きっぱりと言われて、押し黙る。かげりのない夜色の瞳がまっすぐソラに向けられた。
「悔しいし、もどかしいし、寂しいよ。でもそれはおまえのせいじゃないし、ごちゃごちゃ悩んでも仕方ないだろう。冷凍睡眠から目覚めて、こんなに早く身体機能が回復したことだけでも良しとしないと。それに……」
 ソラの頭を引き寄せて少し屈み、ジインが目線を合わせる。
「心配しなくても、きっと思い出す。おまえの脳みそは、そんなにヤワじゃない。大丈夫だよ」
 こくんとうなづきながら、ソラはさりげなく視線を落とした。顔が近すぎて恥ずかしい。ジインはことあるごとに肩を抱き、頭を撫で、屈託なくソラに触れる。それが嫌なわけではないけれど、慣れないせいか、その度にどぎまぎしてしまう。
 ジインの指はいつもさらりと乾いていて、少し冷たかった。
「まあ、なくして惜しむほどの記憶でもないんだけどな」
 その唇に皮肉な笑みが浮かぶのを見て、ソラは訊ねた。
「いったいどんな暮らしだったの?」
 “ソラ”がジインと町外れの廃工場で暮らしていたことは、道すがらに聞いていた。ふたりとも身寄りがなく、住民登録もなければ『身分証』もない。群れをなして路上で生活する浮浪児童……いわゆる『ノラ』というやつだ。
「財布盗ったり、食いモンちょろまかしたり、まあ普通の極貧生活だな。といっても、そこらの『ノラ』に比べたら生活水準高いほうだったけど……ああ、これこれ。これが使いたくてここに来たんだ」
 ジインの指先が小さなテーブルに触れる。突然、部屋いっぱいに女の喘ぎ声が響き渡った。
 とんでもない格好で絡み合った男女の裸体が、リズミカルに弾みながら、テーブルの上でゆっくり回転しはじめる。
「なっ、ななななにそれっ!」
 後じさり、壁に張りつく。耳が熱くなり、全身から汗が噴き出した。
「ホロだよ。粒子流動ホログラフ。ここ数年で普及したんだ。これは完全立体型で、他に平面型もある。おまえ、見るの初めてだよな」
 ジインが操作板に触れる。男女の裸体が融解し、光る粒子の流れが色とりどりの魚に変わった。草原を走る馬の群れ、砂に煙るカーレース、何かの映画のワンシーン……円盤の上に、小さな立体世界が現れては消えていく。
「映像受信用のネットワークシステム。うまく使えば、これでやつらの動きが多少調べられる」
 ジインが慣れた手つきで台座の裏蓋を開ける。いくつかの配線を変え、腕の端末から取り出したチップを小さな隙間に挿入した。
作品名:ソラニワ 作家名:緒浜