孤島
「お嬢様、本日のお昼は散策用にバスケットにサンドイッチを用意しております。出発前にお持ち致します。」
「頼んでないわ。」
わざと冷たく言い放った。案の定、ボーイは少し困った顔をした。
「お嬢様、お戯れはお許しください。」
ボーイがそう言うのを聞いて、私はうれしくなった。いい、と思った。おじょうさま、おたわむれはおゆるしください。いい。百点あげてもいいぐらいのお返事。
「ごめんなさいね。わかったわ、持ってきて。」
「承知致しました。」
それから少ししてボーイがバスケットを持ってきてくれた。私はお礼を言ってそれを受け取った。ボーイはそんな私の態度に少し安心したようだった。
そのバスケットを持っていつもの所にいると、いつも通り女の子は煙草を吸っていた。その足元に私と同じ作りと大きさのバスケットがある。
「今日は、ちょっと森に入ろう。草原があるんだ。花の冠でも作ろうよ。」
「うん、素敵ね。」
相変わらず彼女は屈託無く、それがさも素敵な事であるかのような話し方をした。私はバスケットを持ってあげようか、と言ったけれど、彼女は大丈夫よ、と返してきた。バスケットは余り重くなかったし、片手は開いていたので本当に大丈夫そうだった。
すぐに森に入り、木陰と葉の香りが芳しくなってきた。私は彼女に聞いた。
「足を切断した時、大変だったそうね。」
一瞬、彼女が止まった。それからすぐに歩き出した。森の中の道は杖をついて歩くには悪く、館内や整えられた道よりは足元に神経を使わないといけないようだった。
「そうでも無かったわ。」
「そう。大変だったって聞いたけど。」
もう私たちは大分建物からは離れていた。
「ちょっと、大変だったかもね。」
「かも、なの。」
それから彼女は黙ってしまった。相変わらず足元を注意しながら歩く彼女は俯いているように見える。
私も黙った。すると少しして彼女が話し出した。
「痛みは無いって聞いていたの。」
いつも通りの話し方だったけれど、彼女が何かを諦めたのは確かだった。彼女が続ける。
「でも、実際にカッターが太股に近付いてきたらわからなくなっちゃって。」
「痛みは無いんでしょう。でも。」
「痛みは無いって聞いてた。でも、わかんなかった。」
「それはわかんないぐらい暴れたから?それとも、痛いって思ったから?」
注意深く彼女の表情を見守る。彼女は唇を噛んでいた。片足が無事だったら、私を置いて何処かに走って行ってしまったかもしれない。私はまた聞いた。
「どっちだったのかしら。」
うっすらと彼女の目に涙が浮かんでくる。そこで私は彼女のバスケットを奪うように取り上げて言った。
「持ってあげるわ。」
不意をつかれた形になって、簡単に彼女はバスケットを手放す。それから私を見て、ありがとう、と言ったけれどそれは半分涙声だった。すぐまた俯く。そして、少ししてからその頬を一筋涙が零れていくのが見える。
少し、私たちは無言で歩いた。
それから突然、目の前に綺麗なお花畑が広がった。色とりどりの花が咲き乱れていて、本当に綺麗だった。
「わぁ、綺麗。」
「でしょ。」
落ち着いたのか、私の感動に少女が答えてくれる。私たちはその真ん中辺りに座るとバスケットを開けた。そして彼女のバスケットに入っていた折りたたみ式の日傘を広げると、彼女が腕時計を見て言った、
「お昼には五分ぐらい早いけど、いいよね。」
私は頷いた。そうして私たちは散策で程よく空いたお腹をおいしいサンドイッチとお茶で満たした。レストランで食べる美味しい食事とはまた違った、満たされる食事で大変満足出来た。サンドイッチは美味しかったし、日傘はきちんと日光を防いでくれていたし、目の前に座っている少女の笑顔は可愛かった。
それから私たちは少し休んで、その後花の冠を作りながら過ごした。彼女が丁寧に私に作り方を教えてくれた。
「ううん、難しいね。」
「そう?簡単よ。」
彼女は出来た、と綺麗な冠を掲げた。私も出来上がったけれど、お世辞にも綺麗と言える物では無かった。
「はい、どうぞ。きっと似合うよ。」
彼女が自分が作った綺麗な冠を私の頭に載せてくれる。
「わぁ、綺麗。可愛い。ねぇ、それを私に載せてよ。」
「え?これを?」
彼女はにっこりと笑ったので私はおずおずとそれを彼女の頭に被せた。すると、彼女はうれしそうに満面の笑みを見せた。
不思議と、掲げてみた時はダメな出来具合だと思っていたその花の冠は、彼女のその可愛い顔の上に載るとそんなに変でも無く、より一層彼女を可愛く飾った。
そのまま、私たちはお互いの冠を被ったまま楽しくおしゃべりをして、建物まで帰った。
その建物をくぐって、いつも彼女がさよならを言う少し前に私は切り出した。
「ねぇ。私ね、夜のお相手を頼もうと思ってるの。」
急な話しだったから上手く理解出来なかったのだろう、彼女が不思議そうに私を見た。だから、私は少し間を置いて、ゆっくりと、はっきりと次の言葉を言った。
「あの、ボーイと。」
彼女の目が大きく開かれた。驚いているようだった。他は、別に顔は赤くもならず青くもならず、何を思ったかはわからなかった。でも、次に彼女はこう言った。とても小さな声で。
「お願い、それはやめて。」
だから私ははっきり聞いた、
「どうして?」
ちょっとの間、彼女はその大きく開いた目で私を見ていて、それから不意にぐい、と顔を背けた。それから、同じく小さな声でさよなら、と呟くように言うと向こうへと行ってしまった。足元を気を付けながら歩く彼女は俯いているように見えた。
私はそれを見えなくなるまでずっと見送っていた。彼女は私のせいで打ちひしがれているように見えた。お花畑に向かう途中は、涙さえ見せた。そういう事を一つ一つ思い出しながら彼女を見送る。そして彼女が見えなくなると明日はどんな言葉をどんなタイミングでどんな風に言ってやろうか、と思いを巡らしながらエレベーターに乗った。
二階で降りて、自分の部屋を開け中に入り、テーブルに落ち着く。それからタンスの上の時計を見ると六時半で、私はカーテンを閉めるとまたテーブルに落ち着いて、ボーイの顔を思い浮かべた。その顔は私の前の男とよく似ている。彼は結局私を捨てて別の女の所へ行ってしまった。私にはなぜ私がこんな仕打ちを受けなければならないかが分からなかった。結局、私だけが色々な事を押し付けられて捨てられてしまった。
ノックがなった。嫌なことを思い出して気持ちが落ち込んでいた所だったので、その音は助かった。ドアを開け、台車とボーイを部屋に通す。
ボーイがテーブルの前で台車の上の丸い覆いを取る。そこにはクリームソースのスパゲッティと、ワインが乗せてあった。
ボーイは何も言わずそれをテーブルの上に用意してくれた。それから、ごゆっくりどうぞ、と言って、部屋を出て行った。彼が扉を閉める音を聞くと、私はごくり、と生唾を飲み込んだ。