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ボンベイサファイア
ボンベイサファイア
novelistID. 18513
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孤島

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 「あのね、夜のお相手とかも、してくれるらしいよ、ここ。」
 少し、彼女の顔が赤くなった。私はその彼女の顔の変化に付いても考えてみた。
 「夜のお相手?」
 私は繰り返してみるのが一番だという答えに達した。もちろん、それが何を意味しているかは知っていたし、それで顔が赤らむような歳でも無かったけれど。
 「そうそう、夜のお相手。」
 三度、彼女は繰り替えした。その目は好奇心で輝いているようだった。
 「関係者なら、大体誰でもいいらしいよ。」
 海に囲まれた孤島、白い壁の清潔感溢れる建物、清々しい森。そういった物が突然嘘くさく感じるようになってしまった。
 「それで、試してみたの。」
 彼女は少し口をすぼめる笑いを見せて、俯く。
 「まさか。」
 「あのコンシェルジュと?」
 「まさか。」
 今度は首を振りながら否定した。
 「じゃぁ、あの格好いいボーイとかしら。」
 別に何か意味を含めた訳では無かった。私からしてみれば、例えば若い頃友達と気になる男に付いて話合ってる時とかに、それとなく自分が気になっている人をこの人とかどう、と聞いてみるぐらいの悪戯心しかなかった。
 しかし、彼女は突然頬を真っ赤にして、さっきまでの好奇心とはまた違う輝きをその目に宿らせて、上目遣いに私を見てこう言った、
 「ううん、違うわ。」
 それから、彼女はにっこりと笑った。私は特に何か感情を表情には表さなかった。いや、表せなくて、ただ愛想笑いに近い笑みを浮かべているだけだった。
 その時遠くから台車を押す音が聞こえてきた。ボーイが昼食を運んで来たのだった。私は彼女の受け答えと、ボーイの目付きとに注意を凝らした。しかし、二人が顔見知りである以上のなんら特別な感情表現は見受けられなかった。
 ボーイがテーブルを離れると、すぐに彼女が食べよう、と言った。私たちは食べ始めた。
 ペペロンチーノだった。程よい辛さが食欲を刺激する、おいしい食べ物だった。
 彼女は意外と行儀良く音を立てないように気を遣いながら食べた。私は小さな音は特に気にしなかった。彼女がそれを気にしているかどうかはわからなかったけれど、表情の上では嫌がってはいないようだった。もしかしたらイタリアでは音を立てるのが普通だということを知識として知っているのかもしれない。
 食べ終わると紅茶を飲みながら少しお話をした。彼女は煙草を吸って、備え付けの灰皿に落としていた。あまり早く吸うのでは無くて、他にすることも無いので煙草でも吸うことで気を紛らわせている、といった感じだった。
 話は建物の事、森の事、庭の事だった。例の夜のお相手の話は出て来なかった。
 そうして話していて、彼女は自然を愛する気持ちがある事がわかった。足がある頃は、と彼女は言った。
 「よく、駆け回ったのよ、この辺りとか。気持ち良かったわ。」
 確かに、彼女の健康そうな身体つきは駆け回るという行為が楽しそうに思えた。
 「私はあまりそういう激しい運動はしないのよ。だからうらやましいわ。」
 「もう無理だけどね。」
 やがてボーイが来て、皿を下げて行った。代わりに紅茶のおかわりを置いて行った。私たちはその紅茶を飲んだりお喋りをしたりしながら昼下がりをその大きな木の木陰で過ごした。私たちには必要に迫られない会話をするだけの配慮も好奇心もあった。
 夕方になり、日が暮れそうになったので私たちは帰る事にした。
 「カップとかはどうしたらいいの。」
 「放っておいたら、片付けにきてくれるわ。」
 そしてまた来た時の様にゆっくりと帰り、裏玄関を入った所でまた彼女はお別れを言ってエレベーターでも表玄関でも無い所へ行ってしまった。
 私はエレベーターに向かおうとした。そこで、ついでに一階のテーブル席とやらを見てみようと思い少し足を伸ばした。
 テーブル席のある部屋は確かにレストランのような雰囲気だった。窓にはカーテンが飾られていたし、戸棚に瓶やグラスが置かれていて、五つ程のテーブルにはテーブルクロスが綺麗に掛けられていた。笑顔の魅力的なコンシェルジュが丁度そのテーブルクロスを掛け替えている所だった。私は声を掛けた。
 「ここも素敵な所ね。」
 するとコンシェルジュは一度私の方を見てから、自分の作業に視線を戻していつもの陽気な口調で話し始めた。
 「ええ、お好みで音楽もかけさせて頂きますし、こちらの部屋をお気に入りにされている方も少なからずいらっしゃいます。所で、本日はどちらでお食事を?」
 「向こうの木の根元よ。テーブルが丁度木陰になる所。」
 「おや、初めてのお昼にしては随分と粋な所をお選びになりましたね。あそこはここの魅力を象徴するような場所で御座います。どうやら、お嬢様はここに気に入られているようで御座いますね。」
 「女の子に案内してもらったの。片足の女の子。」
 また、コンシェルジュが私を一度見て、それからまた自分の作業に視線を戻した。そして次のテーブルのクロスを掛け替え始めた。
 「あの子がね、言っていたのよ、ここで足を切られたって。」
 「大変でした。」
 めずらしくコンシェルジュの声のトーンが少し下がった。しかし、作業の手早さや話し相手を少し楽しい雰囲気にさせる魅力は依然として効力を持っていた。
 「われわれの開発した画期的なシステムが御座いまして、それを用いれば痛みなど微塵も感じないのですが。ご本人にもその事は説明致しましたし、ご理解も頂いていたはずなのですが、いざ、と言う時になって錯乱致しまして。」
 「あの子が?」
 コンシェルジュは小さく頷いた。
 「修羅場になりますと、やはり人は普段とは変わるもので御座いましょう。私とボーイとで必死になって押さえつけましたが、いやなかなか、女性にしては恵まれた筋肉の持ち主でして。」
 今思い出してもぐったりとするのだろう、コンシェルジュは少し疲労の色のある言い方をした。そして、私はその話を聞いて非常に興味を持った。私の胸の中に興味が沸くのが分かった。
 「あのボーイも必死に抑えたんでしょうね。」
 「そりゃぁもう、必死でしたよ。さて、この話はここまでに致しましょうか、もちろん今のは私目の愚痴、あのか弱いお嬢様を悪く言う訳でも、私たちのシステムの無能さをあげつらう訳でも御座いませんので。」
 もう、すっかり元の快活な喋り方になり、丁度正面に回っていた彼があの魔法の笑みで顔を上げて私を見た。
 「そうね。」
 私も精一杯の笑顔を見せてそう答えた。私の笑顔にはどれだけ男を虜にする魔力があるのだろうか。
 それから私は部屋に戻り、ボーイが運んで来てくれたビーフシチューを食べ、彼に掛ければ相当面白くなりそうな言葉の数々をひっそりと私の胸の内だけで味わい、風呂で昼間の散策で滲み出た汗の気持ち悪さをすっかり洗い流すと、ベッドに入り痛みを伴わない足の切断について想像してみた。
 怖がることは無い。痛みは無いのだ。
 それが私が胸の中で言葉にすると一番落ち着く言葉だった。
 そしてその安心の中で私は眠りに付いた。ここに来てから二度目の眠りだった。
 起きて、朝食の目玉焼きとサラダを食べると、それを下げる時にボーイが言った。
作品名:孤島 作家名:ボンベイサファイア