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ボンベイサファイア
ボンベイサファイア
novelistID. 18513
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孤島

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 不意にその事を思い出した。それからさっき部屋に入って来ていたボーイはどうだったろうか、と思い出そうとして、船旅と散歩と新しい環境、新しい人たちとの会話に思っていたよりも疲れていた私の体と神経は眠りに付いた。
 ノックの音で目が覚める。
 すっかり日は昇っていて、カーテンの隙間から日の光が差し込んで来ている。時計を見ると七時だった。
 少し寝ぼけた眼をこすりながら扉を開ける。すると、昨日と同じようにボーイが立っていて、昨日と同じように微笑みかけてくれた。
 「朝食で御座います。」
 「ありがと。」
 朝食はツナと野菜のサンドイッチだった。それを昨夜と同じ手順でテーブルに広げてくれる。その合間によく眠れましたか、と尋ねられたので、ええ、と答えた。
 ボーイが出ていくと、急にお腹が鳴った。私は取り敢えずそのサンドイッチを食べた。おいしかった。
 それから顔を洗おうかどうしようか迷いながら牛乳を飲んでいると、再びノックがなった。ボーイが朝食を下げに来たのだった。
 「どうぞ。」
 招き入れ、まだ残っているテーブルの上の牛乳を飲んでしまおうと持ち上げた時、手が滑ってこぼしてしまった。
 「きゃ、ごめんなさい。」
 「いえいえ、大丈夫ですよ。お嬢様は大丈夫ですか。」
 「ええ、私は大丈夫。」
 自分の服を見てみる。大丈夫だった。
 「それでは、拭くものを取ってきますので、少しお休みになられててください。」
 ボーイは出ていくとタオルみたいなものを持ってすぐに戻ってきて、テーブルと、少しこぼしてしまった床とを拭き始めた。私はその様子をベッドに腰かけて眺めていた。
 ボーイは慣れた手つきで染みにならないよう後処理をしていた。その姿を見て、私は前に付き合っていた男を思い出した。
 その男は別にそういう事が得意だった訳では無かった。むしろ逆で、そういう事に無頓着だった。自分の手を煩わせる事は全て他の人がやってくれると思っていたし、そうでなければ放っておくような男だった。ただ、その鼻の形が似ていたのだ。
 「似てるの。」
 「何がでしょう。」
 少し時間を置いてからボーイがそう返して来た。その間はちょうど真剣にカーペットを擦っていたので私の言葉が聞こえなかったのかと思った。
 「昔好きだった男に。」
 「どなたがですか。」
 「あなたが。」
 ボーイはよく見るといい男だった。今までコンシェルジュやここのシステムの影に隠れてきちんと見てみる事が無かったけれど、今こうやって私の為に努力してくれているボーイの顔は格好良かった。何より、鼻が私の前の男に似ている。
 「その男ね、別の女に取られちゃったんだけどね。」
 作業が終わりボーイが立ち上がる。
 「そうだったんですか。なんと申し上げたらよろしいのか。」
 それから朝食とそのタオルとを片付けるボーイを眺めていた。最後に台車を押して出て行く前、ボーイが聞いてきた。
 「本日の昼食の場所はお決まりでしょうか。」
 「ここにいる、片足の女の子にね。大きな木の根元で一緒に食事をする約束をしているの。わかるかしら。」
 少しボーイは頭を巡らせているようだった。それから言った。
 「左様で御座いますか。承知しました、そちらへ手配させて頂きます。」
 そして、出て行った。
 それから顔を洗い、着替えて、一度ミルクをこぼしたカーペットを見た。ほとんどこぼしたと分からないぐらいになっていた。私は少し満足した。
 女の子と落ち合おうと私は外に出た。別に待ち合わせの場所を決めたりはしていなかったけれど、彼女が私を訪ねてくるか、昨日の場所でまた煙草を吸っているかのどっちかだと思った。私は取り敢えず昨日の場所へ行ってみる事にした。
 そこに彼女は居た。
 昨日とは違うシャツ、同じようなキュロット、同じ松葉杖で同じ煙草を吸っていた。
 「おはよう。」
 挨拶をすると彼女も気付いて私の方を向いた。
 「おはよう。さっそく出発してもいいかな。私、ちょっと時間かかっちゃうんだよね。」
 「ええ、いいわ。」
 それからゆっくり私たちは歩き始めた。
 草花の香りが清々しく、道もなだらかで申し分の無い散策だった。
 「一月ぐらい前なのよ。」
 歩きながら彼女が話してくれる。
 「何が。」
 「足。」
 私はその途中で切れている太股を見た。
 「夜ね、ワインが出て。ほら、ここってお酒なんか出ないじゃなん?そんで、めずらしいとか思ってたら、次の日目覚めた時にはもう手術室のベッドの上で。」
 私は少し彼女の言ってる事を考えてみた。
 「それって、ここで足を切られたってこと?」
 彼女は頷いた。さっきから屈託の無い彼女の顔は特に変わることは無かった。
 「それから杖ついてるんだけど、なんか慣れなくてね。」
 私は黙ってしまった。
 それを彼女がどう取ったのかは分からなかったけれど、ぽつぽつと歩く合間に話をしてくれた。
 「シェフは料理がすごい上手だよね。私、食べるもんには結構うるさいんだけど、ここのは安心出来るわ。後は、散歩してて飽きないよね。庭とか、森とか。」
 「海は?」
 彼女は首を振った。
 「煙草吸うときに、ずっと見てるの。」
 そう言われて、あの場所から海が見えたかしら、と私は疑問に思った。
 「あそこから海って見えるの。」
 素直に聞いてみると、また彼女は首を振った。
 「あそこからじゃ見えないわ。」
 「じゃぁ、別の場所があるのね、よく煙草を吸う。」
 「ん、そんな感じ。」
 「今度案内してくれないかしら。」
 「いいよ。」
 そこで私との会話に遠慮を示さないこの少女と並んで壁に寄り掛かりながら海を眺めるのも楽しいかもしれない。そう思った。
 遠くに大きな木が見えてきた。彼女はそれを指差して、あそこよ、と言った。
 「良さそうな所ね。」
 近づくと根元にテーブルと椅子が置いてあるのが見えた。丁度上の木が屋根のように日陰を作ってくれている。確かに良さそうな所だった。
 私たちはたどり着くと椅子に座った。その時彼女が腕時計で時間を確認して、それを見てボーイの腕を確認するのを忘れた事に気付いた。確かその顔を見て違うことに思いを巡らしていたんだった。
 「素敵な腕時計ね。」
 私は話題を振った。確かに彼女の腕時計はピンクのベルトに小さな丸い時計が付いていて可愛いデザインだった。
 すると、彼女は驚いたように私を見て、それからすぐににっこりと魅力的な笑顔を見せた。それに合わせて自然に腕を降ろし手首とその腕時計とがテーブルの下に隠れてしまう。それが意図した物かどうか判断に困った。
 「ありがと。」
 彼女がお礼を言った。しかし、その一瞬見せた態度に私はよく見せて、とか、そういうこの話の続きをするのを躊躇ってしまった。
 「今朝ね。」
 それで私は少し間を置いてから話題を変えた。
 「牛乳を零しちゃって。でも、ボーイがちゃんとしてくれたの。」
 「ここ、そういう所しっかりしてるよね。サービスもいいし。そうだ、聞いた?」
 彼女はそこで小悪魔みたいな笑顔を見せて少しテーブルの上を私の方へ擦り寄った。私が何を、と聞くのを待っているみたいだった。私は聞いた。
 「何を?」
作品名:孤島 作家名:ボンベイサファイア