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生物は温かい。

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私がその男に出会ったのは全く空っぽニンゲンの時だった。
地位もお金も恋人も友人も家族も何もかもがいて、それなのに結局何もない時の話。

…と言っても今だってその時とあまり状況に変わりはない。それでも、決定的に違うことがある。

もう私の中には溢れんばかりのあの男の成分が組み込まれてしまった。
私はあの時本当に寂しくて寂しくて、カラカラのスポンジに勢いよく水を垂らした時みたくむさぼる様にヤツを吸いとった。

…でも実際に吸いとられていたのは私だったみたいだ。

相変わらず私はカラカラなのだもの。


私は軽く周りを見渡した。
若い男の一人暮らしにしては妙に落ち着いた部屋だった。
適度に乱雑で、でも驚くほど清潔な。

すーすーと安定した寝息が聞こえてくる。
ベットの下で男は寝ていた。
私のためにシングルのベットを空け、ワンルームのため他の部屋で眠るわけにもいかず私の足下で眠ることにしたんだろう。

おそろしくお人好しのようだ。

私は穏やかに眠る男の寝顔を見た。
美しく均等な顔立ち。
私は自分の胸が安堵でいっぱいになったのに気付いていた。

この人はあいつとは全然違う。

あぁだから、好きにならずにすむ。…憎まずにも。


あいつだったら私にベットなんか譲らない。
むしろ心行くまで私の体を持て遊ぶだろう。
いじ悪く嫌らしい不敵な笑みを浮かべて、なのに驚くほど優しい指先で。

…煙草の香りが放つ布団の中。


私は脳裏に浮かぶやつに合わせて不敵に笑ってみた。
でも私の口からは痩せっぽちな弱々しい笑い声しかでてこなかった。

私は自分の現状を再び把握し、今度は声を立てずに苦笑いした。

…男はまだ寝ている。


私はぱたりともう一度ベットに倒れこんだ。

しかしもう一度寝る気分にはなれなかった。
男が寝ている側に背を向けベランダの方を見るとクリーム色の薄いカーテンの隙間から細い朝日が覗いていた。

時刻はもうすぐ5時になろうとしていた。


キシッ…と、床がなる音。
私は背中に意識を集中した。
どうやらこの男はなかなかの早起きな様だ。

しかも私とは違う、おそらく健康的な方の。


どうするかなぁと私はそのまま寝たフリを続ける。
男が静かに、完璧に立ち上がった気配がした。

弱った女が隣に寝ていてもキスひとつしなかった紳士すぎる男。


なのに私は少し緊張してしまった。
そんな自分がおかしくて憐れで、私は思わず声をたてて笑いそうになる。


…強い視線を感じる。
男はつっ立ったまま私を見つめている様だった。

でもそんなに嫌な感じはしない。


…むしろ、何か懐かしい空気を私は感じとっていた。
はるか昔に感じていた、懐かしい空気を。


(…あ。)


男は私に覆い被さるような体系になった。

…そして、私に布団をかけた。



そのあと彼の柔らかな欠伸の声が聞こえて、そのまま彼はシャワーを浴びに行ってしまった。


私は不覚にもよりにもよって年下の部下のせいで泣き笑いの様な顔になっていた。
布団の裾をしっかりと握りしめた。

そうしないと誰かにその薄っぺらな布団をとられてしまうような気がした。


…あーあなんて馬鹿な男。



母さんみたい。


作品名:生物は温かい。 作家名:川口暁