生物は温かい。
ゆっくりと掌から何もかもこぼれ落ちていく気がした。
そして残ったものでさえどんどん白いペンキで塗りつぶされていくのだ。
でも、その刷毛を持ってるのは私だ。
呆然と呟いた。
あぁ
「…何をしたの?」
井上君は飲みかけた珈琲をおろした。
彼はこんな真面目な空気も出せるのか。
知らなかった。
何も知らなかった。
彼が私を愛していたとは。
でも今の私には彼を許す配慮など全く無かったのだ。
代わりに彼に向かってペンキの缶を投げつけることしか。
「…斎に何をしたの?」
「殴った。」
井上君はきっぱりと言い切った。
申し訳無さも後悔も微塵も感じさせない物言いで。
それは私を一層苛立たせた。
負けた、と思ってしまったのだ。
完敗だ。
彼はあまりに強すぎた。
強く、そして子供すぎたのだ。
健やかなのは彼の方だった。
私でも、斎でもなく。
「何をしたの?…何をしたのよ。ねぇ何をしたの!!」
私は狂った様に叫ぶ。
夕飯の後斎からのメールに気付いた。
井上君のせいかはわからない。
直感だった。
自分のせいとは思いたくなかったのかもしれない。
…そして彼は認めた。
私は正当に彼を責め立てる権利を与えられたという訳だ。
最低な人間になる代償として。
「なんでっ…」
「好きだから。」
「なんでっ」
「わかんないよ。」
「私はっ私はっ斎が…」
斎が、好きなのよ?
なんで?
なんでだろう。
斎が消えてしまう。
紗英子
僕は僕を手放したくないみたいだ
ごめん
本当にごめん
ちょっと暫く出かけるよ
会社には連絡を入れといた
有給だからクビにはならないと思うよ
今時の若造はとか思われるかもしれないけど
紗英
僕は思ってたより君が好きだったみたいだ
今ふっと気付いた
何でだろうね?
君は訳がわからないかな
いや、でも…
勝手な言い分はやめとくよ
じゃあ
さよならだ
斎