生物は温かい。
男は拍子抜けするほど普通の男だった。
くしゃくしゃとした黒髪とがたいのいい体つきは海外を飛び回る芸術家を彷彿とさせる。
そして彼はファミレスに入ってきた僕を見るとニヤリとした。
何で電話の主が僕だとわかったかはわからない。
でも多分、そういう男なのだ。
彼女が愛した男は、きっとそういう男だ。
男は着古した様なTシャツとこれまた古ぼけたジーンズを履いていた。
それらは男の体の一部かと錯覚するほど彼にしっかりと合っていた。
僕は小さく息を吐く。
勝てるんだろうか?
こんなやつに。
だって彼はもう彼でしかないのだ。
全てが彼なのだ。
…そんな人間を見るのは初めてだった。
僕は息を吸う。
大丈夫、酸素という仲間ならフルにいる。
「…どうも。」
僕は軽く頭を下げて男の席へ向かった。
ファミレスはこんな時間のせいか僕ら以外は気だるげな若者がぽつぽつと座っているだけだ。
男の席にはほとんど飲まれていないブラック珈琲とタバコの吸殻があった。
僕はそのまま勢いにまかせドサッと固いソファに腰かける。
想像以上に安っぽい座り心地だ。
「…いいな。」
男がポツッと言った。
その言い方があまりにも優しかったから、うっかり「そうですね。いいですね。」なんて応えてしまいそうになった。
「…何が、ですか。」
「お前。」
男はまたニヤリと笑う。
僕はさっぱり訳がわからない。
そもそも僕は何をしに来たのだろう。
男は人を混乱に貶めるのが得意な様だ。
「…あいつの話か?」
あいつ、が青山浬を指していることに気付いたのはしばらく後だった。
全然だめだ、これは。
僕の周りだけ二酸化炭素濃度が増えていく。
「…僕は」
何を思ったか僕は勝手に口を開いていた。
どうやら無謀にも戦い続けるつもりみたいだ。
おいおい、お前らしくないな。
上手くかわせばいいじゃないか。
「僕は貴方が嫌いだと思っていた。」
男は、興味深そうな顔をする。
僕は話を続ける。
「でもいいです。」
ん?
何を言ってるんだろう。
自分のことまでわからなくなってきた。
「もう」
いや
「僕は何も知らない。貴方のことも、貴方と青山さんに何があったかも。けれど知りたいとも思わない。所詮僕には関係ないんだ。関係ないやつがどんなに怒ったり嘆いたりしてもどうしようもない。でも無理だ。僕はこう見えて面倒見がいいんです。だから疲れてしまう。もうこりごりです。あなたたちにはほとほと嫌気がさしました。だから」
そもそも自分をわかっていたことがあったのか?
「二度と彼女の前にその面見せるな。」
男は低く口笛を吹いた。
どうしてだろう?
無性に紗英子に会いたかった。