生物は温かい。
海が溶けるようにしてしぼんでいく
悲しくて悲しくて
それはまるで
あなたのように笑う
「…なにそれ」
とろりとした声で青山浬が尋ねた。
空気と混じりあってしまいそうなくらい甘く、柔らかな声だった。
僕は緑の革の背表紙を頭の高さまで上げて見せる。
大きなポケットの中にならすっぽり収まってしまう程の大きさだ。
「詩です」
ふうん、と彼女はどうでもよさそうに応えた。
そして暫く考えこみ、また口を開いた。
「高尚な詩ね?」
僕は首を傾げる。
「どうかな。彼女はそんなに賢くなかった。…けれど愚かでもなかった。」
「…知ってるの?」
詩人を、と青山浬は聞く。
僕は苦笑いの様な微笑みを浮かべた。
参ったことに、と話を続ける。
「母なんです。」
青山浬は一瞬目を大きく開いた。
けれどすぐにとろりとした瞳に戻ってしまった。
当然か、彼女は風邪をひいている。
「あら、そう。いい母ね。」
「なんですかそれ?」
青山浬はさも当たり前なことを言う調子で答える。
「詩を書く母親はいい母親なのよ。それだけ自我を認識しやすいから。…認識出来るってわけじゃないの。認識しやすいということを、認識しやすい。普通はもっと上手くいかない。」
青山浬は教師の様なもの言いをする。
僕を甘やかす母親の様な教師。
僕は内心の動揺を唾と一緒に飲み込んだ。
「…そんな説は初めて聞いた。」
「300年くらい前から決まってるわ。…それにとってもいい詩。」
そうかな、と応える。
僕が読み聞かせたくせに。
「僕はよく理解出来ないんだ。あまりに抽象的すぎて。」
…一度だけ、母に尋ねたことがあった。
この詩は数ある母の作品の中でもとりわけよくわからなかったものだ。
簡単な単語の組み合わせなのに。
僕は珈琲をいれるため立ち上がる。
青山浬にはホットミルクを。
外からは薄く雨の匂いがした。
マグカップを出していると青山浬が小さく息を吸った音が聞こえた。
「わかった。」
「え?」
「抱きしめられてるのね。」
青山浬は透き通った子供の様な瞳で僕を見つめた。
僕は息をとめた。
ああ。
彼女をどうにかしなければいけない。
僕がおかしくなってしまう。
既に僕はもう何の言い訳も出来ないのだ。
お別れしなくてはならない。
ぐるぐると視界が回転する。
回転木馬。
広がる母のスカート。
口に残る甘いシェイクの香り。
風景画のようにぼくらを見る父。
風船。
母が僕を振り返る。
ショートカット。
「あの詩ね」
回転木馬。
「あれは」
抱きしめられてるのよ
ぎゅっと心臓を
それがいやでいやで嬉しくて嬉しくてたまらないの
そういう、うたよ
キラキラと笑う母の顔が青山浬と重なった。
僕はもう僕を見失っていたのだ。
…いや、逆かもしれない。
でも結局はどちらでも同じことだ。
海が溶けるようにしてしぼんでいく
悲しくて悲しくて
それはまるで
あなたのように笑う
私は白い糸をつむぐ
それはまるで
神のようだと、
母が笑う