生物は温かい。
(…変な電話。)
僕は切れた携帯を持ったまま首を傾げた。
ほとんど途方に暮れていた。
先程紗英子からかかってきた電話についてだ。
気付くところは少しあった。
そうだとしてもごくわずかなもので、声のトーンから、なんとなく不機嫌な気がしたのだ。
でもそのあと火にかけていた鍋が沸騰しだし、おもわぬ処理に忙しくしているうちに電話に戻った時にはもう紗英子の声は元に戻っていた。
…それどころか、どこか愉快そうにさえ聞こえた。
僕は携帯を箸に持ちかえてもう一度頭を振る。
特に用を言うでもなく、あっというまに終わった会話。
用意していた気持ちが少しちゅうぶらりんに浮いてしまった。
(…まぁ、いいか。料理も出来るし。)
ひょっとしたら僕は自分が思ってるよりずっと薄情なのかもしれない。
だって誰かが僕を生かすことは出来ないし、誰かを僕が生かすことも出来ないのだ。
僕は小さい時からそんなやつだった。残念なことに。
僕は火を止め、エプロンを外して椅子に放り投げた。
エプロンは最近自分で買ったものだ。柔らかいオリーブ色にたまご色のラインが一本。男もの。
それからはーっと料理のあとの満足した溜め息をだす。
ぼうっとするのだ。
何かを成し遂げた後にはぼうっとするに限る。少し呼吸を整えるために。
…しかし、そうしていると脳が勝手に考え事をしてしまうのもまた事実だった。
結局人間は落ち着くことなんてないのだ。
僕は考える。
二人のオンナについて。
…果たして紗英子は僕の恋人なのだろうか。
いや、そうなのだろう。
今でももちろん彼女のことは愛しいし、会えばちゃんと性欲もある。
…しかし、しかしだ。
会えなくとも苦しくない。
…微かに僕の胸をざわつかせる寂しさはある。
でも、どうにもならない苦しさはない。
それでもぼくらは恋人だと言えるんだろうか?
僕は正直自信がなかった。
僕は自分で自分のこの考えにしばし驚いた。
驚愕したと言っても過言ではない。
最低だ。
…最低なはずなのに、何の罪悪感もわかない。そのことがより僕を最低な人間にしていた。
―…これは一体どういうことだ?
僕は一体どうしてしまったんだ?
何が起きているのだろう。
何も起きていない、あるいは何もかもが変わってしまったのだ。
その証拠に僕は青山浬を待っていた。
ただじっと待っていた。
箸を右手に持ったまま。