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虚無

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 口をついてでようとする言葉を咄嗟に飲み込む。遠藤たちの前で口に出すには危ぶまれた。
 こんな時でさえも自分大事、どこまでも浅ましい自分に腹が立つ。腹が立ったところで、遠藤たちに歯向かう勇気など持ち合わせてはいないが。
 平田が口惜しそうに絵菜を睨(ね)め付けた。絵菜は、底冷えのする冷ややかな眼光に射抜かれ、愕然とする。イジメを受けている間も、絵菜を縋るふうに見つめることはあってもこんな目で見たことは一度たりともなかった。平田なりに絵菜の心情を察してくれていたのだろうか、それとも、いつか助けてくれると信じていたのだろうか。どちらにせよ、絵菜を思っての振る舞いならば、その暗澹たる瞳の中に浮かぶは、裏切りによる愁傷か、あるいは、裏切りに対する怨嗟か。
 ――そんな目で、見ないでよ。
 心の中でぽつりと呟く。
 ――だって、仕方ないじゃない。わたしにどうしろっていうのよ。
 先ほどまで嗚咽をあげて泣いていた弱々しい姿が嘘のよう、気丈にもきっと口を固く結び、気圧(けお)されるくらい力を込めた眼差しで絵菜を睨め付けたまま、涙を流している。
 ――わたしだけが悪いんじゃない。だって、だって、わたし……。
 頭の中で様々な感情が入り乱れ、体中の血液が波立ち、思考が混迷する。胸やけがして吐気を催す、口の中に酸っぱいものが広がった。
 ――仕方がなかったのよ……本当に、仕方がなかったのよ!
 くわんと耳鳴がした。それを合図に意識が身体を離れてゆくような不思議な感覚に襲われる。頭の中がぼうっとして、もう一人の自分が離れた場所からこの光景を見下ろしている、そんな感じがした。これは夢か、現実か、全てがまどろんで見える。
 ――わたしが悪いんじゃない。
 頭の中で自分の声が反響する。
 ――遠藤たちにやらされただけだもの。わたしの意志でやったわけじゃない。それに、やらなかったらわたしがイジメられていたのよ。それとも、その方が良かったとでもいうの?
 心の中で平田に問うた。睨め付ける平田の目が、今はさほど怖く感じられない。絵菜は臆せず見つめ返した。
 ――元はといえば、あなたが遠藤に逆らうからいけないんじゃない。イジメられる方にも、原因があるのよ。
 そう、イジメられる方にも原因がある。周囲の人間にそうさせる何かがある。だから、イジメられるのだ。そうでなかったなら、誰も虐げたりなんかしない。
 ――イジメは良くないことだわ。だけど、あなたにもそうさせた責任があるのよ。
 こんな酷い思いをする前に、平田はそれに気づくべきだった。そして、自らを律するべきだった。それをおこたったつけを、制裁という形で支払っているのだ。
 ――だから、わたしは悪くないわ。こんなの、逆恨みよ!
 思って、絵菜は自分の心の奥底に、ずっしりとした重みのある冷たい塊が落ちてゆくのを感じた。

 あれから数日、絵菜の学校生活は一変した。遠藤は一線を越えてしまった絵菜に率先して平田をイジメさせた。自ら手を下すよりも、それを傍観している方が面白いのだろう。平田の方も、遠藤たちより絵菜に痛めつけられる方がよほど堪えるとみえて、大げさなくらい面白い反応を示した。絵菜は絵菜で、遠藤を恐れて渋々従うふうな素振りをみせるものの、平田をイジメている間、自分も辛いのか、それを必死に堪えている顔がなんとも滑稽で、いっそう遠藤を楽しませた。
 しかし、月日が経つにつれ、次第に絵菜の中の大切な何かが麻痺してゆき、罪悪感は徐々に薄れ、痛みの変わりにえも言われぬ快楽が芽生え始めていた。――生き物が持つ多様性とは、こういった場でも発揮するらしい。げに恐ろしきは、人の業か。
 イジメの手段も手を変え品を変え、苛烈に、陰湿に、派手になっていった。当初は教師の目を盗むようにしてこそこそ行っていたものだが、最近では、放課後の掃除の時間を利用し、教室のドアを閉め、クラスの男子に協力してもらって平田の制服を剥ぎ取り、ごみと一緒に袋につめて焼却炉へ持っていくなど、行動が大胆になっていった。教師もそれに気づいていたが、「ふざけるのも大概にしろよ」と笑い含みにたしなめる程度で、特に問題視されることはなかった。
 教師の黙認が、イジメをさらに苛烈なものへと変貌させた。生徒達は場所も問わず、人目も気にしなくなった。時には授業中、廊下、校庭、教師の目前、朝会や集会など全校生徒の集まる場所、まさに所かまわず、といったふうである。
 汽車が峻坂(しゅんぱん)をブレーキもかけずに給炭口へ石炭をくべ続けて疾走すれば、速度を上げ、暴走する。この学校のイジメも、ブレーキをかける役割を担った大人たちが、その責務を放棄することで、過激さを増し、暴走をはじめたのだ。唯一、汽車と人との違いをあげるとすれば、暴走を続けた汽車はいつしか敷かれたレールを外れて転覆し停車するが、人間はレールを外れて暴走を続けても自らがブレーキをかけない限り止まることはない。人間にとってのレールとは、目に見えない導に過ぎず、この暴走はますます加速していった。
 けれども、いつまでもこれがまかり通るわけがない。天網恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず 、と古人がよく言ったものだ。
 下校途中、絵菜がいつものように遠藤らと一緒に平田を押したり、叩いたりして遊んでいる姿を、買い物帰りの母に目撃されてしまった。
 何も知らずに遊ぶだけ遊んで少し遅い家路についた絵菜を待っていたものは、憤怒のあまり顔を朱に染めた父と、気色ばんだ母であった。絵菜が靴を脱いでダイニングに入るや否や、凄まじい形相をした父の平手が飛んできて、絵菜の頭を思い切り薙ぎ払う。突然のことに、訳も分からず呆けている絵菜に、今度は怒声を浴びせた。
「おまえというやつは、恥を知れっ!!」
 声こそ張り上げて大きいが、その質は地を這うように低く、絵菜の腹にずんと響いた。絵菜はいまいち状況を飲み込めず、母に救いを求め視線を送るが、母は黙視するだけで納得のいく説明をしてくれそうにない。絵菜はやむを得ず困惑した顔を再び父へ向けた。
「おまえは、なんで殴られたのか分かっているのか?」
 分かっていたら呆けてなどいない、絵菜はそう言い掛けて止めた。この状況では火に油を注ぐようなものだ。父はそれを絵菜の表情から読み取ったのか、
「平田さんを知っているだろう。確かおまえの友達だったな」
 と、ゆっくりと静かに口を開く。絵菜は、父の言葉に驚駭(がいぜん)として目が眩(くら)んだ。一気に血の気が引き顔面蒼白になる、冷水を浴びせられたように固まり、心臓が締め付けられ、それが過ぎると、鼓動が身体の内側を激しく打ちつけた。何かを言わなければと思うのだが、気ばかり焦って適当な言葉が見つからない。
「おまえは、寄って集って友達に暴力を振るうのか?」
 ずきりと胸が痛んだ。――見られていた。でも、いったい誰に……? 咄嗟に母の顔を見詰める。母は悲しげに眉を寄せた。その表情が肯定を意味していた。絵菜は悄然と項垂れる。
「……わたしだって、好きで、イジメた、わけじゃない」
 絵菜は、たどたどしく、やっとの思いで言葉を紡ぐ。
「だって、そうしなきゃいけなかったんだもの……そうしなくちゃ、わたし、許されなかったの……」
作品名:虚無 作家名:智生梨月